七歳までは夢の中

親だからできる幼児期のシュタイナー教育
あきらめていませんか シュタイナー教育。
親だからできること、簡単なことからはじめてみよう。

それまで、シュタイナーといえば、神智学というイメージがあった。
けど親になって「シュタイナー教育」という言葉とともに、モンテッソーリなどと同様に幼児との接し方について注目されていることを、しった。
え?シュタイナーってあのシュタイナーでしょ?という感じで。
そういう入り方をする人って、少ないのかもしれないけれども。


知性という面では、はじめのころ、七田式や久保田式をよんだけど、
どうもしっくりこないというか、どこか腑に落ちない感じ、納得がいかない感じがあった。
井深氏や鈴木メソードも考え、そして最後には、ドーマンメソッドに、落ち着いた。
また、心の発育という意味では、
平井信義や子育てHappyAdviceに始まり、モンテッソーリや親業にまで行き着いた。
そしてそれがもうすべてだと思っていた。
けど、さらにもっと本質的なものを、
この、シュタイナーの中に見つけた。
誕生会の様子、つもりのプレゼント、などは、すぐに自分も真似てみたいと思った。
五音階の歌も、素敵だ。エルサ・ベスコフの絵本も読んでみたい。
●マインドセット

・この子が七十歳になったときに、楽しく生きていられるような種を、今までの私は、蒔いたでしょうか。
・評価や批判の眼を持って子どもを眺めるのではなく、愛情を持って子どもを細かく観察するとき、その時の彼に本当に必要なものが見えてくる
・子どもは、叱られねばならないようなことを、めったにするものではない。そもそも私たちがそうと思い込んでいるたいていの悪事は「大人に都合の悪いこと」であり、小さい子どもは、彼自身をそこなうような、本物の悪事などしないものだ。

●大人の世界に無理に揺さぶり起こさない

・シュタイナー教育では、外遊びは時間を区切って行い、いつもは明るすぎない室内で温かく、静かに過ごす。歯が生え変わる前は、お母さんのお腹に居た時の延長と考えられているためだ。
・かっと腹を立てたり怒鳴ったりしない反面「わー、すごい」「あー、楽しい」「まー、かわいい」といった盛りたて用語や盛大な拍手もない。先生の口調と同じく、子どもたちの感情の波も、静かで穏やかであるように見受けられた。
・シュタイナー学校では、大笑い、嵐のような拍手、大歓声で、テレビか遊園地と見まごう躁状態を演出するようなことはされていなかった。
・幼稚園では、一日の時間の流れが大体決まっていた。来る日も来る日も同じようなことをするうちに、次にぼくがすることは、これなんだよね、とわかるようになる。そして案の定思った通りのことが起こる。よしよし、思った通りだな、と自信を持つ。
・誕生について、シュタイナーは「人間は霊的、心魂的な世界から出て、地上の身体をまとう」と言う。子どもの心に宿る星の輝きを、できるだけ長く灯しておくために、強い刺激で揺さぶり起こして大人の世界に早々とひきずりこむことのないようにする。そのため乳児には鏡も見せず、幼児は静かなほの暗い場所に置く。保育室の中はあまり明るくしないで、桃色のカーテンを通して柔らかい光を入れる。薄暗い日は電気をつけるが、間接照明になっている。
・親は機関銃のようにいろんなものを子どもに向かって撃ち出すよりも、夢想によって何かが生まれてくる時間を確保してやることに、心を砕くほうが大切ではないだろうか。
・天界から持ってきた宝物である美しい心の働きも、彼らに共感する大人が居ないと、簡単に壊れてしまう。

ドーマンメソッドにしても公文式にしても、
このあたりのこと、重要なので見落とさないように注意する必要がある。
反省した。
●メディアについて

・シュタイナー教育ではテレビがよくないのと同じように「子どもにラジオ等の機械音を聞かせない法がよい」とされる。
・シュタイナーの教育者たちも、番組の質以前の問題を指摘している。人間には一つの絵を「じっと見ていたい」という欲求があるのに、テレビのように次々と絵を取り替えられると、ストレスがたまり、暴力的になる。あるいはテレビの前で長時間、身体を硬直させることで、不自由の感覚を飢え付ける。

見つけていた答えというか、私と同じ考え方を持っている人を
はじめて見つけた感じ。とてもうれしい。
●しつけについて

・外遊びが終わった後、流しで一人ずつ手を洗うと、タオルを広げたジョイス先生に、にっこりと受けとめられた。子どもがある日、何かができるようになると、次の日からは必ず一人でさせるのが「自分のことは自分でする習慣づけ」だと思ってきた。できるようになったとたんにそそくさと手を引かれて、「やって」と言えば「もうできるはず」と冷たくされる。できるようになるというのは、寂しいことだ。私はそうやって、満たされない気持ちだけが尾を引く子どもを育ててきたのかもしれない。できる、させるの問題ではなくて、こうしてあなたの手を拭きたいのです、という気持ちに包み込まれる幸福感は、いくつになっても格別だと思った。
・時々食器を割ることもあったが、そう頻繁でもなく、また割っても決して叱られない。割れる器だからこそ、そっと扱うことを覚えるのだろう。
・言いつけを聞かせることに夢中になると、子どもに冷たい監視の目を注いだり、侮辱的な言葉で泣かせたりしてしまう。ところで我々が恐れる「過保護」の内容を検討してみると「過干渉」であることが多い。

●語り聞かせ
・ひとつの同じお話が、二週間から一月ぐらい続く。同じ話が何週間も続くうち、子どもたちはじっくりとお話になじみ、遊びの中に取り入れだす。
・終わった後、子どもが「あー、よかった」とためいきをつくような、幸福な結末の物語を選ぶ。シュタイナーの保育者がお話を語るときは、「感情を押えて淡々と」語るように勧められる。
・同じお話を何度も繰り返してするのだが、その場合いつも同じ語り口であることが重要だという。それによって子どもは、ちゃんと待ち受けたものがやってくる安心感に満たされるのだそうだ。
・お話をする代わりに、本を読めばすむと思ってはならない。子どもたちがお話の中の場面を、それぞれ好きなように心の中に描いているところに、画家による強烈な完成品を与えてしまうのは、大変乱暴なことだと考えられている。絵本はお話のイメージを膨らませてくれるが、イメージを限定する面があることも見落としてはならない。
●その他
I Know(+) somthing(+) means I have some knowledge.(+)
I Know(-) nothing(-) means I have no Knowledge.(-)
I don’t know(-) anything(+) means I have no knowledge.(-)
I don’t know(-) nothing(-) means I have some knowledge.(+)
・シュタイナーによれば、体という家に宿った魂が、自らの住みかを居心地よく整えようとしてあちこち変えていく様子、つまりからだの発達の様子を、子どもが絵という形で自ら表現しているのだという。閉じた円が描けるようになるのが、大泉門が閉じた頃。はしごを描くのは、延髄が発達している時期なのだそうだ。
・インスタント食品を避け、ジュースや牛乳をお茶代わりにしないで、年中麦茶を作っておく。

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