男の子を上手に育てる!

「その子らしさ」を大切にする子育て

男の子を上手に育てる!―「その子らしさ」を大切にする子育て

そのものズバリの単語は出ていないけど、
ところどころに平井さんやモンテの考え方と同じことが
推奨されていた気がする。
きっとバッグボーンはそのあたりなのだろう。


●体を動かす

・活発に動くというのは、子どもに行動的な意欲が芽生えてきたことの表れです。その意欲の芽をつみとるように、「走っちゃダメ」とか「危ないからやめなさい」と規制するほうがかえってよくありません。この時期に子どもの活動意欲を押さえこむと、体は発達しようとしているのに発散する場所がない、ということでかえって欲求不満がたまってしまい、家のなかで暴れたり、反抗をしたり、ということになりかねません。

マンションだから、階下に響く騒音を気にしたり、
車社会だから、家の前で自由に走り回るのも気をつかうし、
犯罪者が増えているから、早いうちから子どもだけで遊ばせるのも躊躇するし
・・・と、現代のこの住宅事情では子どもにとってストレスが多い。
自分の小さい頃とは全然違う。
そしてこれは男の子に限った話ではない。
子どもたちにはかわいそうなことをしているんだよな。
田舎に暮らしたいなというのはずっと思ってること。
●ギャングエイジ

・小学校に入って友だちができるようになると、とくに男の子のあいだで起こる現象と関係しています。実はこの時期は子どもの成長にとってとても大事で、集団的な遊びに夢中になるなかで、社会的なルールや人間関係を学びます。仲間として受け入れてもらうためには我をとおしてばかりはいられませんから、自然と思いやりやがまんすることなどを身につけるようになります。
・しかし、この集団もしっかりしたリーダーがいないと、「周囲から浮きたくない」とか「仲間はずれになるのがイヤ」という思いが強くなり、自分の感情を押し殺してストレスとなったり、よい意味での個性的だった部分が失われたり、ひいてはいじめや、集団で万引きなどの犯罪に走ったりといった弊害をうみだす場合もあります。そのような極端な方向に向かおうとするなら、親をはじめ大人たちが止めなければなりません。でも、そんなに深刻そうな問題が起こっていないのならば、ある程度は集団の自由に任せておきましょう。

この「リーダーがいないと」という前提条件がとても重要。
娘は、リーダー不在の無法なギャングたちにひどいめに合わされた。
都心に務めることなかれ主義のサラリーマンの子どもばかりだからなのか
リーダーシップをとれる子どもが少ないような気がする。
この点も、昔とはちょっと違ってきているのだ。
状況は単純ではない。
●反抗期

・反抗期は一般に、一〜三歳、特に二歳ごろに起こる第一反抗期と、思春期の第二反抗期があり、とに自我が発達してきて自己主張を始めることで起こるといわれています。何でも自分でしたいのに、未熟でうまくできなくてイライラしているところへ、お母さんやまわりの大人が鑑賞することでイライラが犯行というかたちで表に出てきます。ただ、最近では四〜五歳の男の子が、外で活発に遊びたいのにそれができずにイライラして家のなかで親に反抗的になるということも増えています。反抗期というと、この五歳くらいの時期をイメージするお母さんも多いのですが、これは現代の育児事情がうみだした「反抗期」といえるでしょう。

五歳くらいの子がそうなるのは、
現代の住宅事情とか世相を反映しているってことなんだろうな。
自立を望む正常なプロセスではなく、
抑圧に抵抗する、ちょっと異常な自体だということだ。
●お父さんとの遊びの重要性

・お母さんのなかには、男の子だからと立っておしっこをさせるようにしたのはいいけれど、終わった後に紙で拭くくせをつけてしまう場合があるようです。男の子が幼稚園に行くようになって、男の子用の小用便器を使ったあと「拭いた紙はどこに捨てればいいんですか?」と聞いてくる、という話をときどき聞きます。
・昆虫が苦手なお母さんも多いようですが、子どもが三歳までに昆虫に触れる経験をしないと、その後もさわろうとしない、といわれています。子どもが虫をさわっているだけで「やめなさい!」などといわないで、ここはひとつ好きにさせてみましょう。
・男性としてのお手本になるはずのお父さんは、ほとんど育児に参加しません。お父さんが子どもと遊ぶときは、「自転車で向こうまで行こう」とか「キャッチボールをやろう」というように、多少なりとも男の子の持っている運動性や活動性を引き出すことができるはずなのですが、そういった役割をなかなか果たせなくなってきています。お母さんがひとりで育児の全部をする、ということになってしまうと、子どもにとっての大人のモデルが女性であるお母さんだけになってしまいます。大人のモデルとして、「お母さん」が大きくなりすぎてしまう可能性があります。男性としての能力がうまく引き出されないまま、眠ってしまうことになりかねません。

ミラーニューロンのことを考えるとよくわかる。
ここは、上の娘のときよりも、下の息子についてとさらに
意識しておかないといけないな。
昆虫嫌いになったり、内向的になったりしないように。
どんどん前に出て行く子に育つかどうかは、
父親である自分次第、か。
●好きなことをやらせる→自己肯定感

・自己肯定感が十分にあると、人前でも自分のダメなところを平気で出すことができます。それだけラクに生きられるということです。
・子どもは、大人に比べてはるかに自由だというイメージがありますが、子どもが自分で「やりたい!」と思ってやれることが、一日のうちどれくらいあるか考えてみてください。
・二、三歳の子どもには「こういうことをするとだれかが困る」ということが、まだ理解できませんから、やることなすことすべて自分の興味から発したことです。それに対して「あれも、これもダメ」では、何がよくて何が悪いのかという判断もつかなくなってしまいます。少しずつでもいいですから、子どもがやりたがることを上手にさせてあげる必要があります。
・子どもの持っている性格をできるだけいいほうに見てやるのです。「それがあなたの持ち味だ」「○○向きね」というポジティブなメッセージが、子どもの自尊感情をはぐくんでいきます。
・まず、親と子が異文化であることを受け容れることです。子どもに対して、「何をバカなことやっているの。親のいうことを聞きなさい」と、何でもかんでもしたがわせようとするのはやめたほうがいい。子どもは親とは違う異文化を持った存在で、それをおもしろがって「あなたっておもしろい子ね」というふうに見てやるのです。
・お父さんやお母さんは、自分がみんなと違うということをうごく大事にしてくれた、ということであれば、子どもは他人の違いを受け容れられるようになります。
・また、事情が許せば、子どもが大きくなる前に、文化や価値観が違う世界に連れて行ってやるといいと思います。たとえば外国に、できるだけ家族ぐるみで行ってみることです。自分と同じくらいの歳の子どもが、ほかの国ではどんな生活をしているのか、それを見るだけでも行く価値はあると思います。

まるで人権がないかのような、不当な扱われ方をしている子どもはとても多い。
ペットや奴隷、囚人のように自由を奪われ続けていたら、
ある時それが強烈な反発となってあらわれるのは当然のこと。
わがやでは子どもたちに敬意をもって接するようにしているけど、
問題がないかどうかは、改めて自己点検しておこう。
とくにこの「子どもの自由な時間はあまりない」というのは、本当にそうだと思う。
●自己主張・自己表現させる

・当然ですが、子どもの自己主張を聞くというのは、子どものいいなりになるということではありません。子どもの言い分を聞いてやり、ひとまず共感してあげて、そのうえでどうすればいいかを一緒に考える、ということです。
・「こうしたらママは怒らない」「こうしたら認めてくれる」こうした先読み能力は、自己主張の能力とはまったく異なるものです。自分を守るために大人の期待を読んで、本当の感情を隠したまま、相手の期待を自分の欲求と思いこんでいくことになるのです。自己主張をしないまま、まわりに適応していくすべだけを覚えてしまうわけです。だからあぶないのです。大人になっても自己不全感の強い、いわゆる「アダルトチルドレン」になる可能性が高くなります。
・女の子よりも自己主張がぎこちない形で出てくることが多い男の子の場合、お母さんが子どもの自己主張をめんどうくさがったり、力ずくで押さえこんだりすることがどうしても多くなりがちです。自己主張を押さえつけられた子どもは、お母さんの意向どおりにしか動けなくなってしまい、何をするにも「お母さん、お母さん」と、お母さんにべったりに育ってしまいます。
・子どもが自分の失敗を話したなら、「そうだったの。でも、そういうことをよくいえたね。えらいね」というふうに、しゃべることができたことを評価してあげます。つらいことやイヤなことでも、話せば受け止めてもらえるし、評価される、ということがわかれば、子どもは自分の気持ちを話せるようになります。特に、しゃべるのが苦手な男の子にとっては大切なことです。自分の気持ちをしゃべって表現できるようになれば、ひとりでつらさをかかえこんでしまうこともなくなるでしょう。

どんな場合でも親に好かれたい嫌われたくないと思うのが子ども。
だから子どもは、仮に親がどんなに暴力的でひどいことをした場合でも
「自分が悪い子だからだ」と思ってしまうという話がある。
親に気をつかうような、親の意思を忖度するような不憫な子にはしたくない。
●守るだけではなく自立へ導く

・親の役割には、大きくわけて、子どもを「守って慈しむ」ということと、「自立へ導く」ということの二つがありますが、日本では、母親の役割として前者だけが強調される傾向が強いようです。
・赤ちゃんが寝る前にぐずって泣くのは、寝ることによって、いつ襲われるかもしれないひとりぼっちの状態になることを怖がっていたなごりではないか、という説があるくらいです。
・「じゃいどしたらいいか自分で考えてごらん」と、自分の力で解決させること ところが日本だと、たとえば「え? ○○ちゃんがおもちゃ貸してくれないの? 『貸して』ってあなたちゃんといったの?」と、つい、いってしまわないでしょうか。これでは、子どもに考えさせるのではなくて、親が代わりにやってしまうことになります。子どもが自分で考えることをうながし、そこを手伝ってあげるのが自立の練習です。子どもの自立のためには、小さいころから少しずつ準備をしていく必要があります。準備をまったくせずに、ある日突然「さあ自立しなさい」といってもできるわけがありません。
・自立というのは、用意周到に準備された世界を歩いていくのではなくて、未知の世界に踏みこんでいって、「自分のことは自分で決めてみる」「失敗しても自分で責任をとる」という練習を重ねることで手に入れる能力です。自立心に欠ける人は、悪い人ではないのですが、どこか頼りなくうつります。それに、将来結婚したとき、相手が困ることになります。
・小さいときから「これは自分でできる」とか「自分でやったほうがおもしろい」という体験を積み重ねさせて、自分で身の回りのことができる能力を身につけ、ひとりで世の中へ出て行くことの自信をはぐくむ必要があります。そのためには、まず親がふだんから子どもをしっかり抱きしめながら、少しずつ「これはもう自分でできるでしょう、やってごらん」というように、自分でできることを増やしていくことです。特に、遊びについては子どもが自分でやることを尊重して、親はなるべく手出しをしないようにしたいものです。
・少なくとも三歳を過ぎれば、失敗することがあっても、すぐに飛んでいって助けたりしないで、「それは自分でできるはずよ」という態度で接するのです。もちろん、どうしてもひとりでは無理なときは、やさしく手をさしのべることも大事です。
・お母さんは、どんな経験も子どもにとって必ずプラスになるはずだと信じてください。そうすることで、子どもは自分で問題を解決し、乗り越えていく練習ができます。
・私は、子どものことをていねいに見て育てるのは十五歳くらいまでだと思っています。それを越えれば親のいうことは参考意見程度にして、あとは自分で考えて決めるという関係にしたほうがいいでしょう。相談相手にはなるけれど、「自分のことに関しては自分で決める」という領域をどんどん増やしていかなければいけないと思うのです。そしてそれと平行して、生活力を身につけさせなければいけません。ご飯をつくることができる、洗濯ができる、というようなことです。

突き放しすぎてもやる気をなくしてしまうし、手を貸しすぎてもいけない。
そういう意味で、実際には、この自立・自律を促すために「見守る」ことと、
共感的に接するというところのさじ加減は、言葉でいうほど簡単ではない。
娘のときに、ちょっと手を貸しすぎたかなという思いもある。
息子に対しても、ここはしっかり考えて接していこう。
●集中力の基礎

・男の子に集中力がない、落ち着きがないことのひとつの原因は、それまで何かに十分に没頭させてもらえなかった、ということにあるのではないかと思います。特に男の子は「何でこんなことに興味を持つんだろう」というようなことに夢中になります。それを、気が済むまで十分にやることができれば、いわゆる集中力が身につくのです。
・集中力は、親やまわりから「これをやりなさい」といわれているうちにつくのではありません。子どもが自分のやりたいことを見つけて、それに対して集中することが大事なのです。
・もし習い事をさせるのなら、それが将来に役立つとか、何かができるようになるといった効果を期待しないことが大事でしょう。楽しそうに何かをしている、そういう場を手に入れる、という程度の期待でいいと思います。乳幼児から英才教育をしても、本人にその気がなければまったく効果がありません。逆にやる気があれば、小学校から始めても伸びていくものです。

やりなさいとずっとやることが集中ではないのだ。
ここ、間違えてはいけない。
自発的に興味をもったことをずっとやらせてあげる。
このほんのささいなことが、現代のこの時間に追われた日常では
とても難しくなっているという現実がある。
もっともっと、子どもがやりたいことを
満足してあきるまで、やらせてあげたいと、改めて思った。
ここは、モンテッソーリの言っているところだな。

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