風姿恋伝

Domaniに連載されていた記事をみて、この人にすごく興味をもった。
実は小説は読んだことがないのだけど、この人のエッセイは興味深い。

ひとつ言えることは、30代は何て若かったのだろう、ということです。今の年になったから言えることだと思われるかもしれませんが、私が30代でいちばん悔いているのは、自分を「もう若くない」と思っていたことです。正直いって本当に悔しい。そんなことを思わずにいたら、きっと、もっと自然に、もっと大らかに楽しめたはずなのに。

20代後半を過ぎると、(それが何歳であっても)「自分は若くない」という意味のことを言う人がいる。しかしその人は、5年もすると、5年前はまだ若かった。あの頃ならまだいろいろできたのに、と公開する。そんな後ろ向きの生き方をして人生をムダにしてはいけない。常に現在をみていきる。現在は、残された人生の最初の日なのだ。

30代となると、少しは自分を知るようになった。欲しいものと、必要なものは違うのだという認識も生まれてきた。

他の人がもっているものは何でもほしい20代と、成熟した30代へのアプローチの仕方はかえなければいけないな。と思った。

若いうちに好きな男とめでたくゴールインした女はたいていそうだ。恋愛イコール幸福感というシンプルな図式が刷り込まれている。あの時の高揚感、あの時の充足感、それが忘れられない。だから夫にそれを求められなくなった今、何の躊躇もなく、過去の幸福な記憶を呼び起こし「恋愛したい」などという言葉が口から出てくるのだろう。
遅い結婚をした女性から、そんな言葉を聞くことはまずない。私の知っている限り、晩婚の女性たちは「できるものなら、恋愛なんてものとはもう関わりあいたくない」と思っている。だから、今の夫と快適な生活をするためにいろいろと頭をめぐらせる。

この表現には、目からウロコが落ちた。…そうなのか。
「もうこれで恋愛しなくていいのね」
と思いながら結婚して落ち着いた女性は、少し違う。どちらがいいとか悪いということではなく、違うのだ。
それを理解しておかないといけない。

でも、それができないのは、意志が弱いというより、自分に優先するものが何もないからだ。あれも欲しい、これもしたい、の年代は終わってしまった。欲しいものはこれ、したいことはあれ。もっと言えば、必要なものはこれ、無駄なことはあれ。そんな明確な意志を持たなければならない年になったはずである。その区別が自分の中できちんとできることが大人であり、きっとお金ともうまく付き合えるようになるのだろう。

他の誘惑にお金や時間を浪費せずに、目標に向かって一直線に進めるカッコよさは、このあたりの「大人」になれているかどうかが大きな違いになる。
自分は、どうだろうか。好きなところにはお金と時間を大きくつかって大きな感情を味わう。そして浪費はしない。それができるか、再点検してみようと思った。

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