品性論

古典には、「自分を変える力」がある
スマイルズの名著

自助論に続いて、こんどは本田健さん訳の品性論。
向上心というタイトルで出版されているものとも同じ。
これら二冊は、少し大きくなった子どもに贈りたい本として、
子ども用の棚に並びました。


●勇気と大胆さ

・自分が所属する社会以外のことを考えたり、人と違う行動をとったり、個性的な考え方や行動が認められる自由な空気にふれようとしたりする人はほとんどいません。破滅の危険性があるのに、私たちは何も考えずに周囲と同じものを食べ、同じ服を着て、同じ流行を追っています。自分自身のやり方よりも、自分を支配している迷信的な考え方に従っているのです。他人に頼らず、自力で信じる道を歩き、エネルギッシュな状態を保つためには、「知性を伴う大胆さ」も必要です。自分を貫く勇気をもつこと。他人の”影”であったり、”こだま”であったりしてはなりません。自分の力を試し、自分の頭で考え、自分の意見を発表すべきです。自分自身の考えを練り上げて、自分だけの信念を築かねばなりません。昔から、「あえて自分の意見をまとめようとしないのは卑怯者、やろうと思えばできるのにそうしないのは怠け者、そして自分の意見が何もないのは愚か者」だと言われています。将来を期待されている人の多くが途中で挫折し、友人の期待を裏切るのも、この知性を伴う大胆さに欠けていたからです。決断力と勇気と忍耐力が不足しているため、先の危険を計算し、チャンスをはかりにかけているうちに二度とめぐって来ない大事な機会を見逃してしまうのです。
・世界に強い影響を及ぼした人の多くは特に天才的な能力があったのではなく、あふれるほどの活力と強い決意に駆り立てられて「黙々と」仕事に励んだのです。
・子どもの教育において賢明な人がいちばん重点を置くのは、「恐れを感じない習慣」を身につけさせることだといいます。この習慣は、勤勉さや注意深さや努力などの習慣と同じように、訓練しだいで高めることができます。

そう、わが子と接する中でも、この
「恐れない勇気」をいかに育むかが、とても重要なポイントだ。
三歳の子にとっては、
公園の遊びひとつ、気ぐるみをきた人形に近づくことひとつ
それぞれがとても重要な課題なのだ。
●教養

・教養や経験がある人は心が広く、自分を抑えることができるのです。愚かで心の狭い人はいずれも執念深く、かたよった考え方しかできません。器の大きな人は、その場に合わせられる柔軟な知識をもっているので、他人の欠点や弱みを大目に見てやることができます。環境をコントロールする力は人格形成の段階において身につくことを知っていて、あやまちや誘惑におちいりやすい人の抵抗力の弱さを考慮に入れてあげられる”ゆとり”があるのです。
・友人を見ればその人がわかると言われます。同様に読んでいる本を見れば人格を知ることができます。人と書物との間にも、人間同士と同じようなふれあいが生まれるからです。相手が本であろうが人間であろうが、私たちは常によい相手を選ばなければなりません。
・教養が高いほど人類の幸福に共感する度合いも深まります。

逆にいえば、
学ぶ習慣さえつけば、教養はあでどうにでもなる。
つまり、教養によって養われる共感の力は、どうにでもなる。
そういう意味では、
女の子であれば、勇気を育むことのバランスが大切なのかもしれない。
男の子であれば、学ぶ心を育むことを忘れないようにするのが必要なのかも知れない。
●お金を借りない

・人の金で暮らすことは不正な手段であるばかりか、いつわりの行動でもあります。「金を借りる人間は嘘つきだ」「自分がもっていないものをほしがり、いつも自分の立場を考えずに他の地位を得たいといらいらしている気持ちが、すべての不道徳の根源である」
・生きていくうえで必要な勇気は英雄的な勇気だけではありません。歴史に残る勇気に負けない勇気は、日常生活でも発揮されるものです。誠実さを支える勇気、誘惑を退ける勇気、真実を語る勇気、本当の自分を貫き通す勇気、不当に他人の財力を頼らず、自分の収入だけでつつましく暮らす勇気などがそれです。

この、「色々な勇気」は
とってもいい言葉だ。
●孤独と逆境

・孤独を有効に使えるかは、気性、性格、修養しだいです。心の広い人は孤独によって一層気持ちが清らかになりますが、心の狭い人は怒りっぽくなるばかり。孤独は偉大な精神にとっては滋養分でも、ケチな人間には苦痛を意味するだけだからです。
・デフォーはさらし台に三回立たされた後に入れられた牢で、「ロビンソン・クルーソー」をはじめ、数々の政治的な小論説を書きました。彼らは刑を受け、一度は挫折にたかに見えながら、けっして屈してはいませんでした。
・不幸に見舞われると、人は心ならずも詩をつくるようになる。苦しみは彼らに詩のつくり方を教える。

●この本の影響で興味をもった作品など

・シラー、ベンジャミン・フランクリン、ナポレオン、マダム・ロランなどはみなプルタークの愛読者です。「プルターク英雄伝」は、フランスのアンリ四世、テュレンヌ、軍人のウィリアム・ネーピアなどの勇敢な人たちにとっても心の糧でした。モンテーニュはプルタークのこの簡潔さについて、こう分析しています。「話を詰め込みすぎて読者を食傷気味にさせるよりは、もっと読みたいという余韻を残すのが目的だったにちがいない。どんなにすばらしい題材でもくどすぎるのはよくない、ということを十分承知していたのだ。貧弱な身体を何枚もの衣装で隠すように、問題を性格に把握していない人は言葉で埋め合わせをしようと必死になるものだ」
・シェークスピアの内気さは、バイロンのように足が不自由であったことにも原因があると思われます。人生に対して高い希望がなかったこともあります。膨大な作品の中にあらゆる才能、愛情、美徳などをふんだんに織り込んだ彼ほどの偉大な劇作家が、希望についてはふれることがほとんどなく、多くの作品は将来を悲観したものであるというのは注目すべき点です。彼が書いた多くのソネットには絶望的な香りが漂っています。
・ハイドンのヘンデルに対するあこがれも熱狂的なもので、「ヘンデルは私たちのすべての父である」とまで言い切っています。スカルラッティもヘンデルの崇拝者でした。彼の名前を耳にするたびに、尊敬の念をあらわす印として胸に十字を切ったといいます。モーツァルトの思いも同じように熱く、「ヘンデルの音楽は、雷のように心を打つ」と言っています。ベートーヴェンなどは、「音楽の王国に君臨する王者」とヘンデルをたたえています。ベートーヴェンが息を引きとる直前、友人が四十巻に及ぶヘンデルの作品を贈りました。じっと見つめるベートーヴェンの瞳に光がよみがえりました。彼はそれを指さしながらこう叫んだのです。「ああ、真理がそこに…」

ヘンデル、今度借りてこよう。
プルターク英雄伝とともに、強い興味を持った。
●その他

・「機転」は、礼儀作法の中でも直感によるものであり、才能や知識では解決できない難しい問題を切り抜ける力をもっています。「才能は”力”であり、機転は”特殊技術”である。才能は”おもし”であり、機転は”はずみ”である。才能は”何を”なすべきかを知り、機転は”いかに”なすべきかを知る。才能は尊敬に値する人間をつくり、機転はだちに人々の尊敬を集める。才能は”財産”であり、機転はすぐに使える”小銭”である」
・社会の一員として何かをしようと志す人は、自分を正しく認識することが必要です。「君は、自分に何ができるかは知っているだろうが、何ができないかがわかるようにならなくては、大望は達せられないし、心の平和も得られない」

自分が大きくなったかのような「錯覚」に
おぼれている溢れる若者に、とても必要な言葉。

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