ほんの少しのやさしさを

「叱らないしつけ」のすすめ

●この本を手にしたきっかけ
「心の基地はおかあさん」を読んでとても感銘をうけた。
同じ著者が書いている別のものも読んでみたくなった。


●この本を読みながら思ったことなど
体罰について考える時、社会性やルールなどが前提にある学校という場と、愛情を基盤におく家庭という場では
それぞれ教育の方法が異なるということに注意したい。体罰はともかく、罰則があることについては、社会性を教える場では教えざるを得ないわけで、家庭とはちょっと事情が異なると思う。
欧米では食事は会話と団欒の場であるのに対して日本では、早飯食い・・・空腹を満たす場となっていることがある。もっと、子どもと食事の時間を楽しもうと思った。
子どもの自由にさせるということと、子どもをわがままに育てることは違う。自分が決めて子どもに話したルールは、徹底して守る姿勢をみせる。それが、子どもの信頼につながり、子どもはわがままではなくなる。
親の相談を受ける場合、子どもの前で子どものグチをきいてはならない。それをすると、相談を受けた側は、親とグルになっていると思われ、子どもの信用を失う。
親が整理整頓に神経質すぎるのは、他人の目を気にしていたり、自分のエゴの場合がある。それを子どもに共用したり、席を立った間にでも片付けてしまうレベルになると、子どもは強迫神経症になり、また夫も居心地が悪くなり家にいる時間が減るなどの悪影響が出る。片付けない努力 をすべきである。
子どもの問題は、その親、そのまた親とどのように育てられたかを三世代もさかのぼることがある。墓相について考える時の、そもそもの本質と通じるものがあるのかも知れないと思った。
子どもの発達、子どもの心理について自分なりに学ぼうとせず、手っ取り早く、専門家や近くの人だけにインスタントな答えを求めるという思考パターンは、そもそもその親自身が自発性に乏しい証拠。つまり成長していないのだ。
子どもの入浴は遊ぶためにある。
清潔と保温のためだけにあるのではない。
子どもの問題行動だけではない。オトナの問題行動やクセも、同じことだ。腰痛や肩こりになるのは、マッサージによるスキンシップ願望の現象化かも知れない。つまりそこには、夫婦関係の愛情不足やセックスレスとの相関関係がある可能性がある。
素直とは、オトナのいうことを「すなおにきく」ことではない。
素直とは、子どもが自分自身の心に素直であることだ。素直に表現できることだ。
権威とは、その人格からにじみ出るものであって、自分から他人に押し付けるものではない。
母親が、家事を終えればテレビを見て過ごす というパターンの場合、その子どもは、学校を終えれば家でテレビをみてもよいのだ と思うようになる。
友達ができない子や、友達が遊びにきても、げームや漫画本を読むだけのような「平行遊び」しかできない場合、それは友達ができないことからの逃避行動であり、自発性の欠如から生じるものである。
口を出すことが干渉
手を貸すことが過保護
その2つを絶え、見守ること。(見捨てることではない)
学校の先生は1~3年間の責任を負うが、それ以後の責任は負わない。
親は、一生について考えなければならない。
そのような教師たちにまかせっきりにすることは、危険である。
子どもが情緒的に安定しているためには、その親が情緒的に安定し、おおらかである必要がある。情緒的に安定しているということは、イライラしていないことである。

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