ひとりのメールが職場を変える

こころのマネジメント

もうじき、「職場」という言葉は、
雇用されている会社を意味しない時代になりそうな気がする。
不特定多数のブログでもなく、かといって直接の対話でもないSNS。
このほどよいメディアの形を考えると、興味深い。
各社のSNSサービスの「コメント」機能は
そろそろ見直すべきときなのかも知れないとも、思う。
公開はしたいけど、コメントを必要としていない
そんな人も、いると思うのだ。

●新しい時代のコミュニケーション

・「仲良くなること」と「理解しあうこと」の違い
・そもそも、最近の新しい世代には「個人の尊重」という考え方が浸透しており、多くのメンバーは、業務時間以外のプライベートな時間を用いて職場の仲間との交流を深めることをかならずしも歓迎しません。

仲のいい人はたくさんいるのに、
深く価値観をぶつけあえる友人がいない
そんな状況が、あちこちに、ある。
複数のパーソナリティをストレートに表現できるネットという世界が、
この問題を解決してくれるのだろうと、思う。

●返歌

・「返歌」のメッセージ..すなわち、それは、彼女に対する直接的な返信メールではないのですが、彼女の投げかけたメッセージに対して、あたかも和歌における「返歌」のごとく、一見それとはわからないほどに婉曲な形で、間接的なメッセージを返してくるメンバーがいるのです。
・現代の職場においては、日本的な深層対話のスタイルよりも、欧米的な直接対話のスタイルのほうが優れたコミュニケーション・スタイルであるという誤解が広がっている
・こうした直接的な対話によっては決して交わされることのない繊細なメッセージというものがあるのです。そのことを、私たちは、忘れてはならないでしょう。
・婉曲に「こころの問題」を伝えてきたメンバーに対して、すぐにマネジャーが「励ましメール」を送ったり、ただちに「面接」を行ったりするということは、かならずしも、正しい方法ではないように思われるのです。なぜならば、これは、「こころの問題」だからです。「こころの苦しみ」を伝えてきたメンバーに対して、何らかの「かたち」、すなわち「メール」や「面接」で応えることは、かならずしも正しい支援であるとは思えないのです。むしろ、ここで私たちが深く理解すべきは、「こころの問題」に対しては、「こころ」で応えるということです。そのメールを読んだ私たちが、そのメンバーに対して、どのような共感を抱き、どのような思いを持つのか。そのことこそが、もっとも大切なことのように思われるのです。そして、そのメンバーに対して、そうした共感を抱き、思いを持つことができるならば、「かたち」そのものは、どちらでもよいようにさえ思われるのです。
・メールや面接、さらには、飲みに連れて行くなどの「かたち」によって介入をはじめたとたんに、私たちマネジャーの無意識に「安心」が生まれてしまうからです。マネジャーとしてメンバーの問題に対して自分の「こころ」を示したという無意識の安心感が生まれてしまうからです。しかし、その安心感こそが、私たちマネジャーにとっての「落とし穴」なのではないでしょうか。なぜならば、私たちは、その安心感を得ることによって、無意識に、楽になってしまうからです。たとえば、飲みながら話を聞くことによって、「メンバーの気持ちを聞いてあげた」と思い、そうした「かたち」を示すことによって、「こころ」が楽になってしまうのです。しかし、実は、マネジャーは、本当は、「こころ」が楽になってはいけないのです。なぜならば、「聞き届ける」ということは、ある意味で、「こころで支える」ということだからです。問題に直面しているメンバーをこころで支えるということは、外見的には何もしていないようですが、実は、きわめて大きなこころのエネルギーを使うとであり、それは、精神的には決して楽ではないことなのです。
・人間には、いかなる状況においても、みずからのころを癒し、そして、みずからのこころを成長させていく力がある。そのことに対する信念でょしょうか。いや、それは、もしかしたら信念ではなく、祈りに近いものなのかもしれません。

確かに、同じ話をしたときに、
「理解しあっている」友人の言葉と、
「仲のよい」友人の言葉は、違うことがある。
そしてまた、理解しあっている友人の言葉は、
ときに、返歌のようであることも、多い。

●不特定多数との違い

・ネットフォーラムにおける議論が、ときとして、空疎な議論のための議論に流れてしまう理由の一つが、ここにあります。現実の世界を共有し、その現実に対して互いに共同の責任を持たない者どうしの議論には、どうしても限界があります。そうした議論には、どうしても無意識の無責任さが忍び込んでしまう可能性があるのです。
・たとえわずか数十名といえども、自分の書いたメッセージを読んでくれる人がいるということは、書く側にとっては大きな意味を持っています。それは、自分自身しか読む者のいない日記とは、その表現の意味が根本的に違ってくるのです。その違いをうまく説明することは難しいのですが、あえていえば、日記に比べて自分のこころを客観的にみつめる意識が強くなるということでしょうか。自分以外の誰かが読むということが、メッセージを書き、自分を表現するときに、自身を少し冷静に外からみつめる意識を持たせるのです。そして、それが、ある種の「セルフ・カウンセリング」の役割を果たしているのかもしれません。
・その読書が、その人柄や個性を知っており、毎日顔をあわせるメンバーであるということに、大きな意味があるのです。おそらく、そのことによって、ウィークリー・メッセージでは、不特定多数の人々に読まれる出版に比べると、より率直に心情を述べた表現ができるのでしょう。そう考えるならば、このウィークリー・メッセージとは、ある意味で、日記と出版の中間にある表現手段であるといえます。

自分が過去の職場で書いていたいくつかのメールも、
やりたいことは、これだった。
田坂さんのウィークリーメッセージのようなものだった。
そしてまた、今の私の生活という意味では、
SNSの使い方について、色々と考えさせられた。

●マインドセット

・ウィークリー・メッセージを書くときに大切なことは、あまり「誰かに読ませてやろう」という意識を過剰にして書かないことです。マネジャーがウィークリー・メッセージを書くときには、メンバーに対するメッセージとしてではなく、むしろ、自分自身へのメッセージ、すなわちモノローグ(独白)として語るという「こころの姿勢」が望ましいように思われます。そして、そのモノローグが真に自省的なものであるならば、他のメンバーは、自然にそのメッセージから何かを学んでくれるでしょう。
・マネジャーが、それまでの「管理する側」という高みから降りていき、メンバーと対等な立場に立たないかぎり、メンバーとの本当の「対話」はないのです。いや、さらにいえば、マネジャーがメンバーのメッセージから、「何かを学ばせてもらおう」「互いに学びあいながら成長していこう」という謙虚なこころを持たないかぎり、メンバーとの真のコミュニケーションは生まれないのです。ひとは、聞く耳を持つひとにしか語りかける気持ちにはならないものなのです。
・「深い縁あって同じ職場に集まった仲間のことを、もうすこしだけ深く知りたい」その素朴な心境だけで十分なのではないでしょうか?

この心得、
SNSやメールマガジンに向き合う私にとって、
大切な指針となる。

●変化を感じとる

・他のメンバーよりも早くそして敏感に「こころの生態系」の変化を肌で感じとり、それを無意識に反映したメッセージを送ってくるメンバーがいるのです。「プリカーサ」(先駆者)的なメンバーとでも呼ぶべきでしょうか。
・「こころの生態系」という複雑系においては、一人のメンバーの「こころ」の状態が、職場全体にきわめて大きな影響を与えてしまいます。そして、このことを、マネジャーは、決して、指揮系統や組織秩序が混乱するというように理解すべきではないでしょう。
・この性質は、「こころの生態系」という複雑系においては、しばしば、「病むときは、全体が病む」という性質として現れます。しばしば、マネジャーは、いわゆる「犯人探し」をしてしまいます。マネジャーは、こうしたとき、少し冷静になって、職場の「こころの生態系」を深くみつめるように努めなければなりません。なぜならば、しばしば、そうした彼の行動や彼女の態度が、「原因」ではなく、「結果」であることがあるからです。すなわち、彼の行動や彼女の態度が、むしろ、職場の「こころの生態系」の混乱を反映して生まれてきているときがあるからです。
・西洋医学では、問題を分析することによって原因を究明しようと考えますが、東洋医学では、全体を観察することによって、「要所」を直感的に把握しようと考えるのです。この「要所」や「ツボ」とは、決して「原因」ではないのですが、そこを押さえることによって、循環構造のの全体が、徐々にそして確実に良い方向に変わりはじめる場所なのです。そして、その要所を見出すために求められるのが、古来、大局観や直観と呼ばれる能力なのです。

職場で問題がおきたときも、
家庭で問題がおきたときも、
この複雑系の考え方が、とても重要。
過去のすぐれたマネジャーやリーダー、父親が無意識にしていたことが、
今、複雑系という形で、科学的に明確に理解される時代になった。

●創発型マネジメント

・「管理主義」とは、権限や権力によって職場のメンバーを動かそうとするものであり、その意味では、この物語における「北風」に近いものです。しかし、「操作主義」とは、あからさまな権限や権力によって職場のメンバーを動かそうとするものではありません。むしろ、どちらかといえば、マネジャーが温かい言葉や態度を示すことによって、職場のメンバーを動かそうとするものです。その意味では、この物語における「太陽」に近いものですが、この「心理学版 イソップ物語」が私たちに教えてくれるのは、そうした「太陽的アプローチ」さえも、それがひそやかな「操作主義」に支配されたものであるときには、メンバーは敏感にそれを感じ取り、そのマネジャーの操作主義的な意図は見抜かれてしまうということです。
・「管理型マネジメント」や「操作型マネジメント」というふるいマネジメントスタイル
→「創発型マネジメント」創発の「結果」を意図的に管理することはできないが、創発の「プロセス」を意図的に促がしていくことはできる。

これも同じ。
職場のマネジメントにおいても
家庭のマネジメントにおいても
とても重要な原則だ。

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