心のめばえにほほえみを

やる気と思いやりを育てる親子実例集 part2 幼児・園児編
子育て、幸せですか
親の接し方次第で、びっくりするほど子どもは変わります。
子ども研究の第一人者が、やさしく語る子育ての秘訣。

心のめばえにほほえみを―やる気と思いやりを育てる親子実例集 パ-ト2 幼児・園児編 (企画室の子育てシリーズ 9)

この本には、著者の平井さん自身が育った家庭環境・背景などについても触れられていた。あのような背景に育っていながら、とらわれずに進化できる著者はすごいと思った。
またとくに、子ども同士の社会性ということについて、どのぐらいの年齢から友達と遊べるのか、ものの取り合いについてどう考えるべきか、どう接するべきかについて、とてもすっきり理解できた。

■原則
・禅の言葉「三尺の童子を拝す」
・国学「七歳までは神の子」
■好奇心を育む環境
・私は女子学生に対して、結婚して子どもができたら、できるだけ粗末な家に住んで、子どもをのびのびと育てなさい とすすめています。カッコのよい家に住むと、子どもたちによごされては困るという気持ちから、つい注意や小言が多くなるでしょう。
■自発性に委ねるしつけ
・私たちは、子どもの自発性を大切にしていますから、無愛想であっても、注意をするようなことはしません。私たちが「おはよう」と言っても、孫が返事をしないこともあるのですが…。おそらく、気持ちが私たちのほうに向いていないからでしょう。お母さんだって、お父さんだって、そんなときがあると思います。
・そもそも「約束」というものは、双方で十分に話し合って、双方が納得した上で成立するものです。ところが、親たちが子どもに対して「お約束」などと言っていることは、親のほうで決めたことを子どもに押し付けてそれを守らせる といった強制的なものであり、しかも「約束」の内容が親にとってのご都合主義が多いのです。子どもたちと「約束」したことは、親の方が守るという努力をすべき。する子どもたちは自然の約束の意味を理解するようになる。
・生活習慣の自立は、思春期になるまで「待つ」ことが必要であって、急いで「型」の中にはめ込まないようにすることの必要性がはっきりしました。ですから、親たちがモデルを示しながら、繰り返し生活習慣の大切であることを提案することは考えていなければなりませんが、それをさぼったからといって、子どもたちを叱ったりすることは避けたいのです。強いて言えば、さぼったりする子どものほうが子どもらしい子どもであり、「遊び」に対して意欲的であるほうが、あとの成長にとって役立つものと考えるべきです。
・しかし、お菓子がほしい、ジュースがほしい、玩具がほしい といった物質的欲求に対しては、日時を決めて与え、きちっと制限をする必要があります。(からだでの甘えはたっぷり受け入れ、物質的な甘えはけじめをもって制限する。逆であってはならない。)
・しつけは、どうしても一定の鋳型に子どもをはめ込むことになるからで、鋳型にはめ込まれて親たちに「よい子」とほめられると、どうしてもそうした「よい子」の評価を得たいという気持ちにとらわれてしまい、そのためにエネルギーを使うことになります。しかし、子どもは一つの鋳型の中にはまって生活することに対して、心の奥では抵抗する気持ちが残っていて、思春期以後になって自分なりの生き方を考え始めますと、そのエネルギーが爆発的にほとばしり出てくるのです。
・きらいな食べ物についてはそれを強制しないで、たびたび食卓に出し、お母さんもお父さんも「おいしい、おいしい」と言って食べてみせましょう。また、「一口だけは食べてみよう」という提案も大切です。
・三歳を過ぎますと – 玩具などを散らかしたあと、「片付けてね」と言うと、片付け始めるでしょう。しかし、途中で遊び始めてしまったり、放り出してしまうことが多く、そのようなときには「早くしなさい」などと叱らずに、お母さんが手伝ってあげることが必要です。つまり、いっしょに片づけをするというおおらかな気持ちがお母さんに必要です。「自分で散らかしたのだから、全部自分でしなさい」などと意地の悪いことを言わないようにしたいものです。お母さんが意地悪だと、子どもも意地悪になります。
■生活習慣の誤解
・風邪はウイルスによるもの。夜中に布団をはがす子どもがたくさんいますが、それは暑いからなのです。それなのに親たちが寝冷えをさせまいとして布団をかけてやることはまことにつまらないことです。そばに布団さえあれば、寒くなれば、寝ぼけていても自分でそれを引っ張ってきてちゃんとかけるものです。
・睡眠時間は、一人ひとりの子どもによって違いがあります。最近の睡眠の生理学では、その個人に必要なだけの睡眠時間をとっているわけですから、何時間眠らなければならないなどと時間にこだわる必要がないことを知ってください。
・「自発性」の順調に発達している子どもに対しては、生活習慣のしつけもなかなか思うようにいかないことを知っていてほしいのです。それは、しつけの鋳型にはめ込まれたくないという気持ちが子どもに強いからです。
■親の自覚
・母性愛は本能的なものではないので「喪失」するものではない。「形成不全」はありうる。
■過保護(依存の原因は親の依存)
・赤ちゃんを相手にして自分が楽しみたいといった自分本位の家族がいて、子どもの「一人遊び」を無視して抱き上げたりすると、だんだんに大人に相手をしてもらわないと生活ができないようになってしまいます。
・過保護というのは、世話の焼きすぎで、子どもに「まかせて」おいてもよいのに手を貸してしまう育て方です。もう一つは、命令とか干渉の言葉かけが多く、しつけに熱心であった場合です。いずれも「自発性」の発達がおくれてしまいますから、集団には慣れにくいのです。
・思いやりと似て非なるもの
「気がね」相手を思っているように見えますが、多分に自己防衛の気持ちがあります。つまりあいてから悪く思われないだろうか、といった気持ちがありますから、自分本位とも言えましょう。
「おせっかい」これも相手を思う部分もありますが、自分がよく思われたいといった「自分本位」の行動が多く、かえって相手の人を困らせることが少なくありません。
■甘えを許容する
・一歳から二歳までの子どもには、お母さんが本当に自分をかわいがってくれているかどうかを試すような行動が見られます。からだで甘えてくるのもその一つですが、二歳近くになってパンツをひとりではくことができるようになったのに、「はかせて」と言って甘えてくることがあります。そうした甘えに対しては、「自分でやりなさい」などと拒否することなく、「どらどら、はかせてあげようね」と言って、少しおどけながらはかせてあげることのできるような感性を、お母さんももってほしいのです。
■子どもの社会性
・「所有」という考え方がはっきりしてきたからであって、その点で子どもを認めてあげることが必要です。叱ったり、無理やりにお母さんの手で相手の子どもに渡すようなことをしては、自分の子どもの心を偽つけてしまいます。
・幼稚園の目的の第一は、社会性の発達の基礎を作ることにあります。友達とけんかをしながらもよく遊ぶことのできる人格の形成を援助するところにあるのです。ですから、文字を教えます、数を教えます、漢字を教えます、ということを掲げているような幼稚園は、本来の目的から外れた保育をしているわけです。
・子どもの気持ちを汲むことのできないお母さん、世間体を先に考えてしまうお母さんは、子どもにがまんさせようとするでしょうし、がまんをしない子どもを叱ってしまうでしょう。

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