音にいのち在り

鈴木鎮一の教育センス
鈴木鎮一演奏「前奏と名古屋の子守唄」DVD付き
未来を創る子どもたちに鈴木鎮一の言葉が時代を超えて響く

愛に生きるに続いて、もう一冊、鈴木メソードについて知りたくて読んでみた。
さて、ヤマハからスズキメソードにかえるべきかどうか…


ヴァイオリン、あるいは音楽のレッスンだけでなく、子育てそのものにかかわる重要な心得に触れることができた。鈴木メソードに接した人たちは、音楽そのものだけでなく、それを通して学んだことこそに感謝しているのだろうと思う。子どもを持つ全ての親に、読んでほしい。
以下、特に自分の心に突き刺さった言葉を抜粋した。

お母様へのお願い
誰でも、わが子へ栄養を与えることについて、毎日三度の食事のことは必ず心を使っていますが、心の栄養、能力の栄養のことに関しては、ついうっかりと三日も四日も与えないで、捨てておく方が中にはちょいちょいあるようです。
 わが子を栄養失調にしないでください。
 子供たちに代わってお願いいたします。
単に音符を教え、弾くことを教える。この考え方だけの場合には結果としてタイピスト養成となってしまうのです。本を読む能力は字が読めるとともに、その内容を理解してこそです。「読めたが、何が書いてあるか何もわかりません」こんなことでは、読書とはいえないでしょう。
 急がず
 休まず
 諦めず
教え育てる人々こそが教育者というべきで、教えることだけをやっている人々は教教者ということになるのではないか。教えることは易しい。育てることがいかに難しいかを思う。教える人はいくらでもいるが、さて、育てる人が少ないということをつくづく思う。
お父さんが足で戸を開ければ、翌日子供が足で戸を開ける。それをお母さんが叱りとばす。
玩具を与えるときから、親の心がけで差が生まれていきます。玩具を一つ与え、その一つだけを長く唯一のものとして遊ぶように仕向けると、一つのものに心を集めること、一つのものを大切にすること、一つのものからいろいろな遊びを工夫することなどが、その子供の中に養われていくでしょう。ところが、玩具を一つ与えて、一つでは退屈するだろうと直に新しいものを与えると、以前のものを捨てて新しいものに手を出し、また変わったものを与えると、喜んで新しいものに手を出して前のものを捨てます。能力の低い時代には、一つのものに集中する時間が極めて短いのです。この子供の育てられていく心の差は大きいと言わねばなりますまい。
「さあ投げるよ」とも言わないで、いきなり球を投げつけ、子供の顔に球が当たって泣かせたり、相手の能力を思わず、強い球を投げつけて、鼻の先へ球をぶっつけて、すっかりおびえさせ、受けとれる喜びを与えず、鼻にぶっつけられる恐れを受けとらせたりしないように願いたいものです。
お稽古は子どもが集中心をもつ時間、5分の子は4分でやめ、10分の子は9分でやめ、15分の子は13~14分で練習をやめる、この要領は子を観る親の指導の上手さとなります。いやがるのに「もうほんの少し」などというやり方は指導下手というものです。
いつの時代からか、向上心と競争心が混同されてしまっているようである。向上心と競争心とはまったく違うと思う。例えば、バッハやベートーヴェンの高い芸術感覚、そうした人間の偉大さに向かって自分を少しでも近づけていこうとする心、その能力や感覚の成長のために努力していく心こそ向上心というべきものではないか。これに反して、一緒に勉強している者が自分より教材が先へ進むと、遅れたという感じを抱く人々。わが子が他の子供たちより遅れると、大きな不満を抱く親の競争意識。そうした心の働きはみな、優越感と劣等感の世界の中に自分を不快にし、自分の人間価値をますます低くする働きをしてくだけのことにすぎない。ことに子供を育てる場合、そのような親の心は、わが子に向上心を育てず、他人との競争心を育てているだけのことになっていく。
好きでなければ音楽をやってはいけないという理由はないはずですし、また好きだから音楽をやるべきだという理由もないと思います。本来、教育は必要だから教育するということではないでしょうか。人間に芸術的感覚と能力やその人格が必要だと信ずる人々の手によって、わが子にそうした教育が行われているのではないでしょうか。
自分の子供を前において「この子はわがままで、どうしてもお稽古を進んでやりません」と先生に告げる親がいます。このような言葉は、子供の心に”わがままの公認と、不勉強の公認”を与えたことになります。
あなたに対して子供が好ましくない態度であったら、これを叱って直させようとしたり自分が怒ったりしないで、あなたの子供に対する態度を今までと変えていくことについて、よい道をみつけることが第一の方法でしょう。今までのあなたの態度から、そうした子供の心が生まれたからです。

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