親がすべきこと・してはいけないこと

子どもの能力を最高に引き出す秘訣

私が子どもの頃、母の本棚に平井信義さんの
「心の基地はおかあさん」があったのを思い出した。
それから、彼の本を何冊も読み続けている。


●原則

・情緒の安定 → 自発性の発達 → 適応能力の発達 → 知的能力
近ごろの子どもを見ていますと、先に示した三角形が逆になっています。つまり、ものはよく知っていますし、口は達者なので、頭のよい子のように見えますが、自発性の発達がおくれており、情緒は不安定なのです。

すべての原則。
この三角形の図はとてもわかりやすい。赤線を引いておきたいところ。
絶対に順序を逆にしてはならない。
●過干渉 – 過保護をしない

・子どもにサービスしてあげることはいけません。サービスは、子どもの自発性の発達を妨げます。ところが、子どもを可愛がることはサービスをすることだと思い誤っているお母さんがいます。
・マイカーを使わずに、電車やバスに乗ってハイキングをすること、しかも、なるべく混み合わないようなところを選ぶのが、お父さんの英知でしょう。電車やバスに乗り換えたり、あるいは立っていかなければならなかったという体験は、両親にとってはいささかたいへんな面もありますが、子どもたちには、非常によい社会経験になっているのです。
・「学校で何かあったの?」などときく必要はありませんし、そのようにきくことは子どもを過保護に扱うことになりがちです。それは、からだをお母さんに寄せながら、自分で不安を解消しようとしており、それができる年齢に達しているからです。
・お手伝いも、子どもにとっては一種の遊びです。ですから、漬物をお皿にのせるにも、自分なりの遊びを工夫するかも知れません。そののせ方が、お母さんのやり方とはちがうことがあります。そのときに、「そんなのせ方をしないで!」とたしなめるお母さんと、「新しいのせ方だねえ!」と感心するお母さんとでは、子どもの心の発達にちがいができます。たしなめるお母さんの場合には、一つの型の中に子どもをはめ込んでしまうでしょうし、働くことの楽しさを妨げてしまいます。関心するお母さんの場合には、子どもに創造の喜びを与えるとともに、働くことの楽しさを味わう機会を与えることになります。
・きちっと着物を着せよう、きれいに顔を洗わせよう – といった完全主義の親の場合、子どもに「まかせておく」ことができずに、つい手を貸してしまうことが多くなります。その結果、子どもは、自分で経験する量が少なくなり、自信が育ちません。自信は、自分であれこれと経験しているうちに、じょうずにやれたという経験によって育つものです。
・「危ない!」と大きな声を出されれば、それをすることに臆病になってしまいます。「だめ!」と強くいわれれば、それに挑戦する意欲を失ってしまいます。子どもが欲しているものをすぐに取って渡してしまえば、努力する気持ちが育ちません。
・床の上に転んだときにも、骨折のようなけがをしていなければ、自分で起き上がるまで、いくら泣いても、そのままにしておきましょう。大人が抱き起こしてしまうようなことがあれば、次に転んだときには、だれかが抱き起こしてくれるまでは、泣きわめく子どもになってしまいます。それに反して、自分で起き上がったときに、「強くなったねえ」とほめて、けがのあるなしを見て、それがなければごほうびに抱いてあげてもよいのです。このような育て方をすれば、自発性はどんどん育っていきます。
・どんなに子どもが泣きわめいても、「時間まで待ちましょうね」といった最初の言葉を、大人自身が守らなければなりません。それによって、大人の言葉を信頼する子どもになるし、時間を守る気持ちも養われます。
・小さなけんがはけんかにつきものですから、とめないようにがんばりたいもの。とめなければならないけんかは、石とか棒をもってけんかをしているときぐらいでしょう。ただし、二歳から三歳にかけての物の奪い合いによるけんかは、黙って二人を分けることが必要です。もし、物を相手に渡したりして譲るような子どもがいれば、それは自発性の発達がおくれているか、譲る子は「よい子」と教えられて、親たちからほめられたいばかりにそれをしているに過ぎないのです。

結局のところ、
親の方に、受け入れる心の余裕が必要だし、
親の方に、他人の目を気にしない自信が必要だし、
親の方に、子どもを信頼して任せ見守る心の強さが必要
ということなのだろう。
●食事

・残さないように教えるとなると、お母さんが作って盛りつけたものは、全部食べるように強制するものと考える方があるかもしれませんが、そのようなことをすれば、食欲不振になり、さらには拒食が生ずる恐れがあります。残さないで食べるというしつけに当っては、子ども自身で食べる量を決めるところから始めます。大きな食器に入れられてある食べ物を、自分の欲するだけ小皿に取ること、つまり、自発的な選択ができるようにします。子どもが一、二歳のころは、お母さんがよそってあげますが、だんだんに自分でよそうように指導しましょう。
・からだの発育の「個性」や食欲の「個性」を尊重する – ということは、決してむりに食べさせようとしないことです。子どもの食欲に応じて、子どもが「もうたくさん」という態度を示したならば、いさぎよく食事を終えて片づけてしまうことです。

過干渉について考える上で、
食事に関するところはもっともそれが表れるところ。
●封建的な考えを捨てる

・民主的な教育をしようと思うならば、「自分の意見があれば、親にでも先生にでも、はっきりいいなさい」と教えるべきですし、「先生にきくのは最後にして、自分でよく判断して行動しなさい」というべきでしょう。
・子どもの発達について勉強の足りないお母さんやお父さんは、子どもが自分の意見をいっただけで、「口答えをするな…」と怒ってしまいます。なぜ怒るのか、封建時代にいわれた言葉 – つまり、親のいうことには、何でも「ハイ」といって従いなさいという言葉が頭にこびりついているのです。ですから、子どもから「ハイ」といわれないと、「悪い子」のように思えて、腹が立ってくるのです。民主的な教育の中では、自分の意見をはっきりということを大切にしています。意見をはっきりといわせた上で、それがまちがっていれば、正しい考え方を教えるのが親や先生の役割になっています。
・このような話し合いには、すぐに結論を出すとか、お母さんに約束をさせることは必要ないでしょう。次に探検にいったときに、子どもは、お母さんと話し合ったことを必ず思い出します。そして、自分なりに考えて、その中の最もよい方法を選んで、それを実行するでしょう。これが、自発性の発達している子どもの姿です。
・例えば、夕飯の支度をしているときに、「ママ、ママ!」といって注意を引こうとしている子どもには、濡れている手を子どもの方に差し出して、「この手がつくぞ!」とおどけてみせたり、あるいは、しぶきを顔にかけてもよいでしょう。

ほとんどの人が、何も考えず、何も疑わず、
自分が親に育てられたように、自分の子を育てる。
でもそれは大いに問題がある。
外国の価値観に触れることが増えれば、
少しずつ変わっていくのかな。
●祖父母との関係

・姑と嫁との間のトラブルは、今日もなお、そこここでおきています。その原因をたどってみますと、姑が、自分の夫との間で楽しい生活を送ってきていないところに源泉があることがわかります。そのような姑は、息子に期待をかけ、その子にサービスをよくします。
・年寄りはあくまでも、お母さんと子どもとの関係が順調に発達することを願って、孫との関係にはきちっとした限界をつけることの必要性をしみじみと感じます。お母さんに叱られると、逃げ場としてお年寄りの部屋を利用したり、お母さんには内緒で菓子類をもらったりする子どもは、ルールを学習することができないばかりでなく、お母さんを信頼する気持ちも失ってしまいます。
・年寄りになると、静かで整った生活を望むようになります。ところが一歳前から子どもは「いたずら時代」に入り、お年寄りの生活を乱すようなことを始めます。お年寄りに「気がね」をした母親は、子どものいたずらに圧力をかけるでしょう。その結果、自発性の発達がおくれ、「おとなしい」子どもにされてしまっている例が多くあります。
・お年寄りが同居していたり、近所に住んでいますと、どうしても、子どもの物欲や金銭欲を満たすことが多くなります。それは、物やお金を与えたときの孫の笑顔が見たい – といった利己主義がその心にあるからです。本当に孫が可愛いのであれば、大きくなってからのことをじゅうぶんに考慮して、やたらに子どもの物欲を満たすことだけはしないでほしいのです。

祖父母の態度が本当に愛情から出るものなのか、
自分自身の愛情不足の代償として考えているのか。
その辺を見極める必要がある。
年寄りだからといって必ずしも人格者なのではなく、
潜在意識そのものがストレートに出るのもまた、
年寄りの特徴なのだ。
●その他

・子どもの育て方については、その技術的な面は、育児書に書かれており、たくさん出版されていますが、それを読めば子どもがよく育つわけではありません。どうしても、自分なりに自分の子どもをどのように育てるかについて考えること、つまり、お母さん自身の自発性が必要になります。自分の子どもの育児は、最終的には自分で考えて決めなければならないものなのです。
・音楽に伝統を持つオーストリアや西ドイツの幼稚園で、ピアノを全廃したのをご存知でしょうか。子どもが自分で歌う声が、自分の耳に入ってくることが、幼児の音楽教育として大切であるという結論が出たからです。そこで、先生にとって勉強しやすいギターと縦笛を主に使っています。これならば、晴れた日などに園庭に子どもたちを連れだして、みんなで歌うことができるからです。
・幼児期の全死亡の四割を、この不慮の事故が占めているのです。最も多いのが、自動車などの交通機関による死亡で、次が溺死(水死)です。
・交通事故にあうことの最も多い子どもの年齢が、三、四、五歳
・話し合いがないということは、心理的には離婚しているのに等しいと思います。

社会通念とか、周囲の声とか、ブームのようなものに躍らされずに、
常に、自分の頭で考え続けること。
それが大切だ。

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