親こそ最良の医師

あなたの脳障害児になにをしたらよいか
What To Do About You Brain Injured Child

ドーマンといえば、健常児向けのドーマンメソッドしか読んでいなかった。
でも、あるセミナーで、グレン・ドーマンの娘のジャネットドーマンに会った時、
是非読んでと勧められて、それならと、読んでみた。
確かに、ここには研究所の原点があると思う。
グレン・ドーマンのアツい思いが伝わってくる。


そもそも脳障害児への治療からはじまったドーマンメソッド。
自分の子どものような健常児と接するときに、
健常児向けのプログラムを使うのは当然なのだけれど、
迷った時、疑問が出た時に、この原則を知っておくことはかなり大事。
プログラム開発の原点・原則的な考え方を知っておくことによって、
単なる表面的なテクニックとして捉えるのではなく、
もっと本質的なポイントをつかめる。
とくに、
・感覚経路と運動経路が感情になっていというところ
・呼吸を大切にしていてマスク療法をつかっているところ
が、東洋の生理学とも一致していて興味深かった。
以下、付箋をはったところ
●基本的なマインドセット

・無知とは、なにも知らないことをさすだけではなく、間違ったことばかりを知っているのも無知にひとしい
・フェイほど私にものごとを深く考えさせる相手に会ったことはありませんでした。それまで教わったこと、現在教わっていることのすべてに「なぜ」と問いかけることを私に強いただけでなく、その答えは無限に広がる世界の中にあり、答えの見つかる場所にかぎりがあるなら、それは私自身の知識に限界があるからだと、教えてくれたのです。
・ジョナス・ソークの言葉「先へ進みなさい。すでに証明ずみのことを、くり返し何度も証明し直すために立ち止まってはいけない。賢い人間なら、君の話を1回で理解する。わかろうとしない人間には、5千回話しても通じない」

とくにジョナス・ソークの言葉が、私にはとてもずっしりと来た。
私は、証明の為に人生の貴重な時間を浪費していないか。
いったい誰に証明しようとしているのか。
●親こそ最良の医師

・私たちは専門化に質問を投げかけました。「子供はどのように成長するのでしょう」「子供の成長にとって必要な要素は何でしょう」小児科医、療法士、看護婦、産科医、そのほか健常児の発育とかかわりのある、あらゆる専門家に尋ねました。そして、これらの人たちの知識の貧弱さに驚かされ、落胆させられたのです。しかし、考えてみればそれも当然のことでした。彼らが健常な子供を「診る」ことはまずありません。当然ながら、子供を医師や看護婦や療法士のところへ連れていくのは、その子が健常でないからです。私たちが訪ねた人たちは病気の子供を診るのがおもであり、健康な子供とはめったに接していませんでした。やがて私たちは、この問題について一番よく知っているのは母親だと悟りました。ただし母親の知識は子供がいつなにをして、それにどれほど重要な意味があるかについては、正確さを欠きあいまいでしたが。
・研究所のスタッフは脳障害児を愛し、子供たちの治療に歓びを見いだしていますが、子供ひとりひとりが、その両親から受ける愛情にはかなわないのです。

この発想がドーマンメソッドの原点だ。七田などとは決定的に違う。
やり方は親が学ぶ。子供と接するのはあくまでも親。
これは、他のすべての学習にも応用できないだろうか。
●子供の発達プロセス

・私たちが確信した第二の点は、基本的な段階のいずれかが、完全に抜け落ちはしないまでも、わずかにしか経験できない場合でも、好ましくない結果が生じるということです。たとえば充分に高ばいをせずに歩き始めた場合、動きの協調性がわるい、右利きか左利きかが完全に確立しない、言語にかんする脳の優勢半球が正常に発達しない、読み書きがうまくいかないなどの問題が出るでしょう。
・健常児でも5歳か6歳になるまでは、いくつかの点で触覚が成人よりも劣っています。自分の頭を子供の頭にごつんとぶつけた経験のある人は、思い出してみてください。

急いで次へ、次へといってはいけない。
基本を大切にするということは、生理学的にも重要なのだ。
●脳の仕組み

・重量挙げの選手の筋肉が発達するのは、重いものをもちあげるからです。筋肉が強いから重いものをもちあげるのではありません。機能が構造を決定するのです。
・たんにこの子供たちには読む「機会」が与えられ、ほかの子供たちには与えられていなかった、ということです。機会が与えられて機能が発揮され、その機能がまた視覚経路の成熟をうながしたのです。機能が構造を決定するのですから。
・プロファイルの感覚系側の点数の合計は、つねに運動系側の合計と同値になるか、大半の場合は運動系側の合計を上回ります。それは実際のところ、どんな人も取り入れていないものを外に出すことはできないためです。
・大まかにいうと、脳の脊髄の後ろ側(背中側)が、外から入ってくるすべての情報を処理する役目をはたしています。すなわち脳の受容野です。
 大まかにいうと、脳の脊髄の前側(お腹側)が、外に出ていくすべての反応をつかさどっています。すなわち運動(表出)野です。

この、受容と表出、感覚と運動の関係は、なんだかツァンダリーのことをいっているみたいだ。
あるいは父タントラ系と母タントラ系の瞑想までも含めて、
実のところあれらの瞑想は、この脳の機能の再生・プロセスを浄化し徹底的に進める技法なのではないか
…という直感がある。だからこそ、すべてのチャクラがアージュナーに集約されるという考え方も、あるのかも知れない。
●脳障害に対する無知と誤解

・卒中に襲われ言葉を失った患者が、精神異常者のように扱われ、ついには監禁状態にされた例を、私たちはいくつも見てきました。ですから、患者が私たちの研究所で最初の診療を受け、「失語症」(大脳皮質の障害のために、言葉による伝達ができない状態)と見抜いた医師から、こう言われたときの安堵感も充分に想像がつくでしょう。「ジョーンズさん、あなたは話すことはできませんが、言いたいことは自分ではよくわかっていて、ただそれを口にできないだけです。それはよくわかりますよ」
・犯行を自白した殺人犯ですら、一生監獄に送られる前に何度も上訴する権利が許されているこの国で、障害があるだけで何の罪もない子供が一生施設に入れられてしまうという事実に、私は愕然とします。しかもその施設は、ほとんど例外なく、いかなる犯罪者も我慢できないような最悪な場所なのです。
・熱は病気ではなく、さまざまな病気や怪我によって引き起こされる症状なのです。まさにこれと同じことが、精神薄弱という不正確な用語が一般に広まった結果生じたのです。

うつ病も同じだろうと思う。うつは病ではなく症状だと、思う。
うつ病患者というのは、熱病患者や、脳障害と同じ。
重要なのは症状に働きかけることではなく、原因の方にアプローチすることだと思う。
●子供との接し方の注意

・ごほうびをもらったら、つぎは少なくとも30分は間隔をあけること。そうでないと、これを上手にやると、もう一度やらされることになるとリーザが思い込んでしまいます。
・パターニングは言ってみればメスを使わない脳の手術のようなもので、脳にかぎらずいかなる外科手術でも、子供に手術が必要な場合に、子供にその決断をまかせる家族などまずいないでしょう。
・子供はお尻を叩かれるのを待っていたのです。限界がどこにあるのか、見きわめたかったのです。
・「どうすれば、子供に意欲をもたせられるでしょう」この質問の仕方から、そのお母さんが答えの重要な部分をすでにわかっていることが推測できます。「私の子はなぜ生まれつき意欲がないんでしょう」などとは聞きません。質問の仕方から、お母さんが意欲の問題は自分自身の問題であり、子供の生まれつきの問題ではないと考えていることが、はっきり伝わってきます。お母さんは、すでに問題の大きな鍵を手にしているのです。
・子供をだますことは誰にもできません。子供が大切なメッセージを聞くとき、言葉を聞くわけではないからです。子供は音楽としてその響きを聞き取るのです。
・失敗は罰につながり、罰は喪失意欲につながり、意欲を喪失すると子供は頑固にやりたがらなくなります。メアリーの言葉を借りれば「これが私の人生なのよ」ということになるのです。

ここ、とくに考えておく必要がある。
今子供と接しているそれは、避けられない必須の手術なのか、失敗が許させる実験やトレーニングなのか。
その見きわめが大切。
●その他

・出産を遅らせることは非常によくない。

人間能力開発研究所の発達プロファイルを、
36ヵ月ではなくて、大人にまで拡張したらどうだろうか。
そんなことを、ふと思った。

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