チベットの「死の修行」

ダライラマが日本刊行を委嘱した至高の修行の書

祖母が他界して、改めてバルドトゥドルを読みたくなった。
祖母の為に、読みたいと思った。


●この本を読んだ観想
「死の修行」というタイトルだけれど、バルドトゥドル(死者の書)ではない。これは、無上ヨーガタントラの、父タントラ、グヒヤサマージャ(秘密集会)の瞑想テキストである。通常は灌頂を受けたものにしか公開されない秘密の教えだが、特別な許可を得て出版されている。
・・・とはいえ、もちろん細かい部分まで詳細に書かれているわけではないので、やはり実際にグルについて学ばなければ、瞑想の実践はできないだろう。でも、その雰囲気をつかむには十分過ぎるほどの内容が書かれている。とくに、p168あたりからかかれているカルマムドラーとの性的なヨーガに関する具体的な瞑想法は、他では決してみられないような具体的なことまで書かれており、とても貴重。
●気になったところ
ラマの選び方として
「観察に十二年間を要する」という話があるらしい。
それくらい時間がかかるのだ。

「密意語釈」とは、密教に特有の現象で、タントラに語られているそれぞれの言葉には重層的な意味があり、言葉の表面的な意味だけでは、真意は把握できない、という考え方である。

とくに社会で生きる場合、社会通念を超える内容の部分をどうとらえるか。
それを理解するのがとても大変だ。だから秘儀というものがある。

寂静な地を修行の場として指定するのは、父系タントラにもとづく修行法の特徴であって、母系タントラ系では「尸林」が指定される場合が多い。尸林はよく「墓場」と訳されているが、日本などにある墓場ではなく、死体を荼毘に付したり、安置しておく、というより放置しておく場所のことで、いわゆる墓場よりはるかに陰惨な気配が漂う。

これは知らなかった・・・。現代日本ではこんな場所はなさそうな気もする。しいていえば、よく心霊スポットとでも呼ばれる場所がそうなのかもしれない。

マンダラ観想の場合、はじめは一つ一つの要素を順序にしたがって生成するが、修行が進むと、すべての要素を、いまも述べたとおり、瞬間的かつ一挙に生成できるようになる。というより、それができなければ、マンダラ観想は決して成就しないと思ったほうがいい。

いずれにしてもチベットの瞑想に熟達すれば、驚異的なイメージ力と思考能力がつくのは、とてもよくわかる。将棋で15手先読めるぐらいじゃ、まだまだ足りないかも。

性的パートナーとしての現実の女性は、、サンスクリットではカルマムドラー(印母)と呼ばれ、チベット語ではレーギャと呼ばれた。

私もレーギャがほしいかも。。。

他人のためにトルマをささげる場合は、私とだれそれ、私たちとだれそれ、といったぐあいに、他人がそこにいるとおもい、その人を利益したことによって自分も利益になるとおもってはじめて、この行為が成就すると説かれている。

「自分のことはどうでもいいから・・・」という偽善者のような発言ではなく、
利他を重要視しつつも、自利を否定しないところがとても興味深い。

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