小論文解体新書

1.コピーライティング

書くことは考えること

shoronbun

こういうのは仕事をしている限り、ずっと使える。


●原則

・論点とは何よりも君たちの問題意識の反映であるべきです。
・例えば環境問題のような社会全般で関心が高い問題では、基礎知識なしには書けない問題も少なくありません。大学入学後の研究への関心の強さや適性を見るという意図も込められており、読み手にその点をアピールできるような論述も心がけたい問題です。
・ある一つの社会問題に対して通常さまざまな立場から異なった意見が出されるように、論(結論・見解を提示すること)とは、絶対的な真理や正解ではありません。したがって出題者も、答案に究極の真理など期待していません。
・小論文問題では「あなたの考えを述べよ」と求められます。ここには二つ、大事なことが含まれています。一つは、ほかでもない「あなたの」考えを示してほしいということ。そしてもう一つは、「考え」というのは何も結論=考えた帰結だけを指すのではなく、考えのプロセスを見せてほしいということ(でなければ、わざわざ何百字も書かせる必要はないわけです)
・支配/被支配の関係ができあがる要因は何か、という点から一段階抽象化して考えると、支配的知を持つ者/持たない者という構図も視野に入るはずです。

問題意識を持つこと
抽象化して普遍性を見出し、一般化すること
考えのプロセスを表現すること

・具体例の有効性 = 自分なりの意味づけの普遍化によって決まる
取り上げた具体例が、どのような意味において一般化・普遍化できるのかを示す
・「独自性」は論のどこに現れるか
1)「読み」文章をどう「読む」か 文章のニュアンスや筆者の姿勢に君たちが何を読み取るかも重要なのです。同時に、出題の意図をどう「読む」か、にも留意してください。一般論的な答案を量産する人は、たいてい出題者の意図を見抜こうという意識が希薄
2)「具体化」君たちが問題をどのように具体化するか そこには君たちの視野の広さ、日頃の問題意識や関心のある領域、好奇心、そして考える作業を積み重ねているかどうか、といった点に至るまで、かなり的確に見て取ることができます。
3)「事象の解釈」重要なのは、考察の素材として選んだ具体例についての、君たちの解釈です。解明・分析と言ってもよいでしょう。その鍵は、先に触れた「常識を疑う」プロセスです。対象となる現象について、その背景や原因、心理などの意味づけを行うことが解釈・解明・分析といった作業です。

原則を噛み砕いて表現すると、この1)〜3)になる。
小論文のテキストらしい、とてもわかりやすい説明だ。
●一般論に終わらないために

・君たち一人一人の考察を「人間」という存在の問題として一般化すること、一般化できる論点を選ぶべきだということです。(小論文の要件)「個別」から「一般」へ、「わたしの」の問題から「われわれ」の問題へ、という意識を常に持って自分の思考を見つめることが大切だと言えます。
・「紋切り型」「一般論」答案に書かれた内容がこのレベルに終始しているのでは、肝心の君たち自身の思考が読み手に伝わって来ません。こうした答案が出てくる原因はいろいろとあるでしょうが、自分の問題として引きつけないまま書いてしまうことが大きな原因かもしれません。
・自分らしさを持った論述とは、課題文の議論を真摯に受けとめた上で、読み手に君たち自身による「+α」を示すことなのだと覚えておきましょう。
・大切なのは、他者の言葉を「借りる」のではなく、受けとめて自分の言葉にするということです。となると、君たちそれぞれの「受けとめ方」がポイントになってきます。考えるときに、君たち自身と、君たちの日常を大切にすることです。
・問題から浮かんだ最初のイメージや感情をそのまま書けば、それは作文あるいは感想文であり、小論文として通用しません。だからといって、「あなた」の内部から導かれたそれらの反応を切り捨ててしまうと、結果として論述は借り物(よく言われる「一般論」的な答案)に終わるでしょう。感想文ではないということと、君たち自身を切り捨て、棚上げして考察するということは、別次元の問題なのです。

他人事として、表面的にとらえるのではなく、
かつ、感情的な表現を使わず、論理的に表現すること。
深く、かつ冷静にということだろうか。
●ダメな解答例

・考察にあたって大切なのは、ジレンマとは「両立しがたい」ものだという前提を忘れないことです。単に「両立させよう」というのは根本的に出題に反します。一般に、こうした「ジレンマ」の関係にある二つの事象を取り上げて論じる場合、安易な見解に流れやすい傾向があります。その典型が、「科学技術の進歩と人間性」といったテーマです。「科学技術の長所を生かしつつ、人間性を豊かにすることが重要である」といった答案を書いたことはありませんか。対立する二つのものの「バランスを取ろう」と言うのは簡単ですが、それが困難だからこそさまざまなジレンマが存在するのです。
・「〜すべきだ」型について。せっかく本論で行なってきた分析を台無しにするような陳腐な表現を用いないこと。まとめとして格好をつけやすいため、とってつけたように「すべての人が協力して…」などといった文を加えた答案も見られますが、読み手の興をそがないよう、結論に至るまでの自分の論理をしっかり受けとめた表現を何とか探ってほしいものです。また、「全地球的規模で人々が行動し…」といった大げさなレベルに一気に飛躍するのも感心できません。
・「〜していきたい」型の場合には、しばしば設問の求める論点とずれた形で論が結ばれてしまいます。設問が問うのは「医師の心がまえ」でもなければ「理想の医師像」でもありません。

優等生であることをよしとする教育ばかり受けていると、
こういうことしかかけない、バカになる。
●全体構成

・小論文を構成するのは「問い」「答え」そして「根拠」の三要素
・「論点」→「仮説」→「論証(具体例など)」→「結論・見解」

●反論すればいいのではない

・課題文とはたいてい、私たちの常識や通説の陰に埋もれている問題点を明らかにする意図を持って書かれている、つまり、課題文自体がすでにして「問い返し」の内容だからです。それに対してやみくもに反論するのは、強弁に走ることになったり、悪くすると陳腐な通説を補強する論になったりする恐れをはらんでいます(もちろん、設問の設定として「反論」が期待されている場合などは話は別ですが)。

このあたりは、樋口裕一氏の本などを読んで勘違いし、
テクニックに溺れないようにするために、上級者が知っておきたい本質。
樋口氏の話はあれはあれでよいのだけど、
形だけを飲み込むと、落とし穴があるということ。
●思考訓練

・大事なのは、自分なりの発見や驚きと結びついた素材を持つよう心がけることです。量の多さは必ずしも「豊かさ」ではありません。誰かの意見を目にしたとき、まず自分の感じたことを意識化してみましょう。

これもまた同じ。
樋口氏などは、過去問でよい小論文を読んでおけ、といっているけど、
本質的な深みは、それでは養われない。
中級レベルまではそれでいいのだけど、
もう一歩先に行きたい人は、こっちを理解すべき。
●その他

・西洋において中世から近代への展開を促した力とは、人間にとって唯一絶対の主である「神」をすべての事物の準拠とする考え方に対する「問い直し」でした。すべてを神に帰す思考法を捨てて自由に「問う」道を開いたのが、西洋近代の思考の最大の特徴なのです。
・中村雄二郎 : 近代科学の思考が理論的純化を目指して切り捨ててきた現実の諸側面を、再び私たちの思考に取り込むために、に対して次の3つの新たな原理を提唱しました。
=個々の場所や時間、つまり固有性を重視すること
=物事の多義的な性質を重視すること
=他者との相互の働きかけを受けつつ行われる身体的行為を重視すること

事物の螺旋的発展の話。
似非科学信仰から自由になる ということが大事なのかも知れない。

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