ウェブ時代をゆく

いかに働き、いかに学ぶか
発売と同時に大反響

ウェブ進化論を読んでからだいぶ時間があいてしまったけど。
読みながら、
空(くう)と色(しき)に関する理論や、
攻殻機動隊に描かれる世界、
その他形而上のことを語った多くの概念たち…
たくさんのイメージと重なって、
色々なヴィジョンがふってきた。
きっと娘の時代には、
ヴァーチャルという言葉はもうちょっと意味が変わっていて、
この現象の世界と、アストラル、イメージの世界が価値が対等になるか、
もしくは上回るような時代になるんだろうと、直感した。
価値が逆転するということが何を意味するのか。
それだけで、一冊の本がかけそうだ。


●もうひとつの地球の価値観とライフスタイル

・「ウチの子供たちを見ていても、具体的なモノを買いたいという要求は最近あまりない。ある面では日本よりもさらに豊かでモノがあふれているアメリカの若い子たちが、じゃぁ何を面白がっているかというと、何かをクリエイトすることかな、と思う。YouTubeのビデオやブログだけじゃない。MySpaceやYahooGroupなどでも、既存のグループに参加することから始まって、次第に自分でコミュニティを作り上げていくことがヤメラレナイ面白さなのだ。コンピューター、ソフトウェア、ネットなどの力で、これまでよりも圧倒的に多くの「普通」の人たちも、クリエーシヨンの楽しさに触れることができるようになった。これまで自分ひとりの力では手の届かなかったものに、なんらか力を及ぼせる、その手ごたえがある。彼らはそれに熱狂しているのだ」
・「無数の人々が無数のことを自分でやるようになるにつれ、貨幣経済の外側の活動がどんどん増え、貨幣経済と拮抗するようになる。近未来の人々は、そのふたつの経済を組み合わせて生きていくというのだ。コンピューターやインターネットは、その際の最強の道具である。「非貨幣経済における報酬は何ですか」と尋ねると、トフラーはこう応えた。「それも多様ですが、多分に内面的なものですね」」
・学歴も経歴も肩書きも人種も国籍も何もかも裸になった個の自由競争の場がネット上の知の世界に開かれた。その初期の事例の一つがオープンソースだった。…時間だけがすべての人に平等に与えられたリソースである。その時間を、自らの志向性と波長の合う領域に惜しみなくつぎ込む。それが個を輝かせる。大切な時間というリソースを自分らしくどう使うのか。そこがこれからはますます問われる。考えてみれば、学者や芸術家の世界で超一流の仕事をする人たちは皆、自らの志向性を早い時期に発見し、自らの志向性と波長のぴったり合った対象へ深い愛情を持ち、対象に没頭し、長期にわたり自分の時間を惜しみなく投じ、勤勉なコミットメントを続けるという資質を共通に有している。しかもその没頭に終わりはない。
・リアル社会の職業だけからは「大衆」層に分類されてしまうかもしれないし「エリート」になりたいわけではないがね自分の存在感を知らししめたいという欲望がある。読書をしたり、文章を書いたり、文化的に活動している側面があり、その活動や知識を誰かと共有したいが、そういう場所が今まで日本には少なかった。読書にまつわるキーワードでつながったミクシィ上の知己には、呼んでいる本の量・質も豊富で文章を書く能力も素晴らしい知識人が多い。大学の専門では「エリート」集団に属することはできなかったが、「大衆」の中に埋没するのも違和感がある。受験勉強と部活だけに追われていた進学校で表面上のつきあいをしてきた高校時代の友人たちと、いまさら苦しみや悩みをわかちあったりはできない。「エリート」でもなく「大衆」に埋没してもいない中間層の人たちにとっての新しい可能性の出現、それがネットの本当のありがたみだ、と彼女は結んでいた。
・私は、本書で述べてきたような変化がかなり進行し、日本社会もずいぶん大きく変わったと過半数の人が感じる時期を「2015年から2020年あたり」とイメージしている。2015年には、1975年生まれが40歳、2020年には45歳になる。人生80年とすれば、1975年から80年生まれあたりの世代が、福沢諭吉のように「一身に二生」と感じるのだろう。「二生」の二つ目、つまり2020年以降がどんなものなのかは、その世代以降が中心になって創造する未来だ。

ものすごくワクワクする未来予見。
全てのビジネスがアートになる。ビジネスパーソンがアーティストになる。
神田さんや田坂さんの話すイメージともつながる。
私は、この波にのっていく。
そしてもうひとつの生を楽しむ。
●高速道路理論

・いったん言語化された知がネットを介して容易に共有されるこれからの時代は、ある分野を極めたいという意志さえ持てば、あたかも高速道路を疾走するかのようなスピードで、効率よく過去の叡智を吸収できる。そんな「学習の高速道路」が、あらゆる分野に敷かれようとしている。しかし「学習の高速道路」も、高速道路を走りきったなと思ったあたり(「その道のプロ」寸前)で大渋滞が起こるのだと羽生は言う。同質の勉強の仕方でたどりつけるのはそこまで。誰にも機会が開かれるゆえ参入者も増え、しかも後の世代も次々に疾走してきては「その道のプロ」寸前での大渋滞にはまる。「その道のプロ」として飯を食い続けていけるかどうかは、大渋滞に差し掛かったあとにどう生きるかの創造性にかかる。大渋滞の先でサバイバルするには、大渋滞を抜けようと「高く険しい道」を目指すか、大渋滞に差し掛かったところで高速道路を降りて道標のない「けものみち」を歩いてゆくか、その二つの選択肢があると私は思う。

私はまさに1995年からの今までの仕事を、高速道路に乗ってこなしてきたと思う。
だからこの表現、すごくよくわかる。
大渋滞にきて、ん?ここは私の進む道じゃないぞ ということにきづき、
Networkエンジニアをやめた。
この意味で、梅田さんがたどったものと少しだけ似ている。
●アントレプレナーシップ

・グーグルはシリコンバレー史の頂点を極める会社と言えるが、シリコンバレーのルーツとも言うべき過激な思想を色濃く引き継いでいる。テクノロジーこそが反中央・反権威の個をエンパワーするもので、その力を起爆剤に現状を破壊しフロンティアを切り拓くという考え方である。各個人の自由を最大限尊重すべきだとし国家や体制に縛られるのを嫌うリバタリアン的な考え方と、カリフォルニア的なテクノロジー至上主義(個の力を強めるパーソナルテクノロジーや管理されないネットの自由を信奉する)が結びついた考え方である。
・アントレプレナーシップの真髄とは、「自分の頭で考え続け、どんなことがあっても絶対にあきらめない」ということに尽きるのだ。「勝った者」とは「勝つまでやった者」なのである。
・若者は Vantage Point (見晴らしのいい場所)に行くべきだ。その分野の最先端で何が起きているのかを一望にできる場所のことである。そこに行けば、同じ高速道路を疾走してきた人たちとも出会って切磋琢磨できる。たとえば「ソフトウエア・エンジニアならグーグルに行け、グーグルが現代最高のバンテージ・ポイントだからだ。グーグルがダメだったらアップルがいい」と四年前からロジャーは言っていた。ネット上にできた「知の高速道路」を疾走して「プロの一歩手前」くらいまでいけば、その世界のどこが「見晴らしのいい場所」なのかがわかってくる。リナックス・プロジェクトのように「見晴らしのいい場所」がネット上にある場合もあるが、大抵の「見晴らしのいい場所」は今のところリアル世界にある。
・「一人で生きるコツ」とは、その大河から自分に必要なだけの水を上手に汲み取る術を会得するようなことだ。それが広大な社会の中に、家族を養えるだけの「小さな居場所」を作ることになる。「無限から有限へのマッピングを上手にやる」と言ってもいいかもしれない。無限から、自分の得意な有限を、上手に切り取ってくることができればいいのである。
・思考実験の500人の中で、縁があって実際に正当な対価を支払ってくれる人はきっと50人くらいだろう。しかし数当たらなければ、その50人には出会えないのである。それが「無限性と有限性のマッピング」における当たり前なのだが、それを当たり前と思わずに、勝手に傷ついて途中でやめてしまう人が多い。そこを克服できれば、組織を離れて一人になることを恐怖しない人になれる。
・経営コンサルタントに必須の「MBA」も持たず、専門会社の勉強ばかりしていたから英語もろくにできない。でもADLの求人広告を新聞で発見した直後に応募し「給料は最低年棒でよいこと」「入社したら一生懸命勉強するから、今の英語の実力で判断しないでほしい」と懇談した。今のネットビジネスの世界などもそうだが、エスタブリッシュされていない「新しい職業」の世界は、過去の実績や経験より、情熱のようなわけのわからない要素も、未来志向でポジティブに受け止められやすい。面接の数日後に、私に最低年棒での採用通知が届いた。
・「ある対象の悪いところを探す能力」を持った大人が日本社会では幅を利かせすぎていて、知らず知らずのうちにその影響を受けた若い人たちの思考回路がネガティブになっているのだろうか。問題は、そういう思考を続けていると、自然に批判対象を自分に向け「自分の悪いところ」ばかりを探す能力が長けていき、ひいては自己評価が低くなり、何事につけ新しいことに踏み出す第一歩の勇気が出てこなくなることである。

私が、10代後半にした回り道は、
まにさこのアントレプレナーシップを学ぶためだったのだ…。
そのことに気づいて、深い安堵のため息がもれた。
2000年からの新時代の為に、準備をしていたのだ。
すべてはそこにつながっていく。
また、私に流れる父の血 – ある種の似ている志向も、
このアントレプレナーシップにつながる。
びっくした。
おどろいた。
●ライフワークの発見(志向性の探索)

・自分の志向性を探索することは、膨大な雑音を払いのけて、自分と波長の合う信号を探すことだ。けなす対象は自分にとっての雑音にすぎない。それにかかわり批判したり粗探ししている時間はもったいない。
・私たち一人ひとりを取り巻く無限ともいうべき情報から、自らの志向性と波長の合う信号をキャッチするためには、心の中に「パーソナル・カミオカンデ」を用意し、微弱な信号でも捕まえてやろうと待ち構えていなければならない。私の場合はそれが、若いときからの読書の唯一の意味だったと思う。
・環境を変える前に「時間の使い方の優先順位」を変えること。時間の使い方を意識的に組み替えることは「違う自分」を構築することと等しい。「時間の使い方の優先順位」を変えるにはまず「やめることを先に決める」ことである。お正月の「今年の抱負」が大抵は実現できないのは「やめること」を決めずに、ただでも忙しい日常に「やること」を足そうとするからである。
・「好きを貫く」ことと現実とのぶつかり合いの中で、「好き」とは違う次元で就職などの判断を下すことはままある。そんな判断をしてもそれで終わりだと思わないこと。たとえばオープンソース的に「志向性の共同体」に「気持ちだけ参加」して「好きを貫く」生き方もウェブ進化によって可能になる。そういう営みの中で、自分の直感を磨き、あきらめずしつこく自分の志向性を問い続けること。

自分の読書も、これに近いかも知れない。
それと、好きを貫くための、ここに書かれたスタイルは、とても重要だと思った。
そう、オープンソースのようなかかわり方で、
まずは一歩踏み出せばいいんだ。
その一歩が自分を変える。
本田さんが言っていた意味が、ようやくわかった感じ。
●情報の意味と新時代のビジネス

・しかし「もうひとつの地球」の創造者はグーグルだけではない。音楽茶道室という部ログで書かれた「全てのWEBエンジニアはいま「産業革命前夜」のイギリスにいる」はその気分をうまく伝えている。
・今の若者たちの情報感覚は、そうめん(情報)は本当に無限なので、本当に流れるままに眺め、食べたいと思ったときに取り、それ以外は流れていくままに捨てる感覚だ。
・「希少性をコントロールする概念からの脱却」 情報がほぼ無制限にネット上に溢れるようになり、情報自身よりもアテンション(関心)こそが気象なのだと言われて久しいが、自分の問題としてそれを実感できている人は少ないのではないか。情報自身を公開してネットに預け(情報自身は過剰せいを指向)、利子のように返ってくるアテンションを得る。その利子をインプットに改めて構造化した知を再びネットに預け…というプロセスを繰り返すことが、新しい知的生産の流儀なのだ。
・ネットビジネスなどの「新しい職業」周辺では、過去の実績や経験よりも「いま何ができるのか」「これから何ができそうか」が問われるので、個人がブログで公開した「知的生産の成果」が信用創造装置として働きやすい。それはとりもなおさず、ネット上の「知的生産の成果」がリアル世界で「飯を食う」可能性と結びつき始めたことを意味する。
・組織というものは、情報の占有がもたらすパワーを前提に階層型組織を維持運営するという性格を、多かれ少なかれ持っている。しかし不特定多数無限大を信頼し情報共有できるものなら、そもそも一定の信頼が存在する「組織を構成する特定の人々」を対象に同じような考え方が導入できるのではないか。これが、オープンソース勃興が組織につきつける本質的な問いである。
・ウェブリテラシーとは、たとえばこんなことである…(4)ウェブ上に溢れる新しい技術についての解説を読んで独学できるレベルまで、ITやウェブに対する理解とプログラミング能力を持つ。
・ごく普通の人がコツコツと構築する「志向性の共同体」におけるビジネスモデルは、成功すれば短期に莫大な富を生むベンチャービジネスではなく、スモールビジネス(事業内容によっては非営利組織)であろうと考えられる。

コンテンツビジネスの世界では、
高速道路にのって「プロ一歩手前」にたどり着いた人が多い。
このあたり、何かとても大きなヒントが書かれている気がする。
一晩眠って化学反応を起こすのを待とう。
●その他キーワード
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