幼稚園では遅すぎる(新装版)

人生は三歳までにつくられる!

これ、ソニーの井深さんが書いた本です。
ソニーの井深さんもモンテッソーリを引用してました。
グレン・ドーマン研究所とも関係があるようですね。
「頭の体操」の多湖さんとも親交があったことは、ちょっと新鮮な驚きでした。
みんな、つながっているようです。

●教育の原則的な考え方
子どもの教育は
・流行型:母親に主体性がなく、いだらに飛びつく
・固執型:誤った固定観念にとらわれ、自説に固執して譲らない
・適当型:まあ適当にやりましょう的な行き当たりばったり
ではいけない。
自身に満ちた毅然とした態度が必要
教育と言わずに行われる教育こそが、最善の教育。
たとえば、母国語である日本語を学ぶように。
専門の教職につく人も、教育するための教育を受けるだけでなく、人間として必要ないろいろなことを学びます。これと同じように、幼児にとって最初で最大の教師である母親は、幼児を教育するためにこそ、あらゆる方面でもっと学び、確信のもてる実践家になってほしいと思うのです。
■親の姿勢
フランスの母親は年ごろになった娘を嫁にやるとき、相手の男性に、「うちの娘は持参金はないが、りっぱなフランス語を話します」というそうです
風邪をひいた母親は、子どもにうつらないように、マスクをしたりうがいをしたりと、いっしょうけんめい心づかいをします。しかし、自分の欠点が子どもにうつらないよう努力する母親は、意外に少ないようです。たとえば、「心配性」の母親がもっている「心配性」という”病原菌”は、風邪が伝染する以上の速さと強さで、子どもにうつってしまうのです。
幼児にはどうせわからないだろうと、人前でその子の欠点をあげつらう親がいます。そのこと自体はひじょうに些細なことであっても、幼児期という周囲の影響を受けやすい特殊な時期の子どもたち。どんな形であれ、その精神に傷を残すかもしれないのは、いうまでもありません。
モンテッソーリ女史「肉体上の自分を知る最初の研究は、死体解剖でなされたが、精神上の自分を知る研究は、生まれたばかりの人間、つまり、幼児の研究によってなされる」
■しつけ
幼児をしつける根本的な姿勢としては、親の善悪の観念を押しつけるのではなく、子どもに、望ましくない行いにはいやなことという不快感を与え、望ましい行いにはやって楽しいという快感を与えることがよいわけです。親の叱り方ひとつ、ほめ方ひとつで、子どもは、自分のもっている才能をすくすくと伸ばしていくのです。
注意しなければならないのは、活発であるということと、衝動的で散漫であるということとは、まったく別ものだということです。
「幼児にどんどん仕事をいいつけなさい」ということをいいたいと思います。ただし、その成果や仕上がりを期待せずに
■添い寝
単に添い寝をするだけでなく、まして母親のほうがさきにグウグウ寝入ってしまうなどということなしに、歌を歌ってやるとか、話を聞かせてやるとか、本を読んでやるとかすることが、赤ん坊にどれだけ大きい影響を与えるかは想像に難くありません。
■脳の発達
幼児は単独の音について教えるより、たとえばドミソの和音とドファラの和音を聞かせて、その違いをわからせていくほうが、ずっと早道なのです。
■性格
心理学者・山下俊郎の著書「幼児の心理」によると、リーダー格の子どもというのは、まず第一にほかの子どもがそばにいても、自分が考えたりやろうとしたりしていることを乱されない。第二に遊びでも動作でも、自分でどんどん新しいものをつくり出し先頭に立ってやる。こういう子どもだということです。
■環境の大切さ
幼児の家庭を訪問すると、家の中がきちんと整理され、紙くず一つ落ちていない家がよくあります。こうした場合、世間では子どもがいるのによく片付いている、感心な母親だとほめそやします。たしかに、朝から晩まで育児に追われながら、なおかつ家の中を小ぎれいにしておくことは、たいへんなことにちがいありません。しかし、それによって子どもの創造意欲が阻害されるようなことがあったら、ことは重大です。落書きをするとか、おもちゃ箱をひっくり返すとか、紙を破るとかいった指を使う動作は、子どもの知能を発達させ、想像力を豊かにするといわれます。
整理されすぎた部屋は子どもの成長を妨げる
■おもちゃ
欧米の家庭を見ていると、誕生日やクリスマス以外、まず子どもにおもちゃを買い与えるようなことははしないようです。子どもをおもちゃ屋に連れてくる風景には、めったに接しません。子どもがほしがるものを何でも与えることは、けっして親の愛情ではなく、逆に子どもに悪い影響を与えるという考えからです。
多くの心理学者の研究によれば、おもちゃを与えられすぎた子どもは、性格が散漫だそうです。一つのことに集中できず、移り気で、つぎからつぎへと興味がめまぐるしく変わってしまうのです。たった一つしかおもちゃがなくても、子どもはけっこう、いろいろ工夫して遊ぶものです。一片の木ぎれでも、こわれたカンのフタでも、子どもにとっては、デパートのおもちゃ売り場で売っている高価な品より、はるかにおもしろいおもちゃかもしれません。

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