ユダヤ人の子育ての秘訣

人間として一番重要なものを持てるようにするために
一人の母親は1000人の教師にまさる。

ユダヤ人の子育ての秘訣

すべての親に読んでほしい一冊。
久々の良書に巡り合った。
ユダヤ人が子どもに敬意を払った対応をするのは、
もしかすると、強制的に隷属を強いられた民族だから、
それを子どもにすることの意味を、知っているから
ということのなかも知れないなと、思った。

●心得

・ユダヤ人の親が子供の嘘を発見した時に、子供を叱ったり、処罰したりするよりも、嘘をつくことの結末を、子供に理解させることに全力を注ぐことに感心しました。ユダヤ人の親は子供に、あのオトトギスの詞で言えば、豊臣秀吉と徳川家康を合わせた態度で接するのに対し、日本人の親は、織田信長的に対処しているように思えました。
・子供が幸せになるように育てるのは、子供へのお返しと思っています。義務ではありません。
・親が子供にしてあげられることは、いかにして子供が「喜び」を得ることができるようになるかのガイドラインを示してあげて、応援し、祝福してあげることだけです。

この泣かぬなら〜の詞のたとえはとてもわかりやすい。
多くの親が、(疲れている時は私もたまにそうだけど)
信長のように、子どもらしさを、短気に切り捨ててしまっている。

●最も大切なもの=セルフ・エスティーム

・我々が人間の持つもので一番に大切と思うものは、お金でも、高等教育でも、地位でも、名誉でもありません。それは、「セルフ・エスティーム」です。セルフ・エスティームとは、人間として能力が高い、低いには関係なく、自分は価値のある人間であると認識し、自分を尊重する心を持つということです。それを持つことができると、自分を受け入れることができるし、自信も持てます。
・セルフ・エスティームは樹木と同じように、ある一定の年齢になるまでに、各人の心の中で育っていくものなのです。しかも、良い「メモリー」の積み重ねによってのみ育つのです。他の方法はありません。
・反対に、セルフ・エスティームを持っていない人は、完璧でない自分を受け入れることができず、自分を好きになれない。罪悪感にさいなまれ、自己処罰さえすることもあり得る。自分の欠点を受け入れることができないので、ここがこうなら、これがああなら、とないものねだりをし、空想の中に生きがち。自分と人を比較するので、劣等感も優越感も併せ持つ。自分を尊重できない人は、他人も尊重できないので、自分より能力の低い人を見下す。優秀な人に対しては嫉妬を感じ、褒めたり尊敬したりするどころか、その人の欠点を探し、なす。人の評価が気になるので、自分で自分を監視するようになり、緊張しやすい。
・ユダヤ人の間では、今のように学校教育が行き渡るはるか以前の、しかも何前年も前から、家庭教育で四〜五歳の子供たちのほとんどが、読み、書き、計算ができるようになっていたということ。しかも、それを教え込むのではなく、話し言葉と同じように、誰でもが自然にできるようになる方法を取ってきたのです。はるかな昔に、読み書き計算が堪能なユダヤ人と、そうでない人達では、頭の中の違いは文明人と、非文明人ということになり、ユダヤ人が独り勝ちして当然です。結果として、彼らは世界の経済を牛耳るまでに、成功してきました。それなのに、彼らが一番重要視しているのは、教育、富、地位、名声、といった他者と比較できるものではなく、各自の心の中に育まれる「セルフ・エスティーム」とのこと。

結局はすべてここに行き着く。
ユダヤ人たちがいうことも、子育てハッピーアドバイスも、
平井信義も、モンテッソーリも、全てここに行き着く。
これこそがただ一つの重要ポイント。

●絶対に他者と比較しない

・人間は、一人一人が全員違う、他者と比較できない、しない、ということを、心底から理解することです。そして、当然のこととして、親は子供を他の子と比較することを、絶対にしないことです。子供にも、人間は全員が違う能力を授かっていることを諭し、自分と他の子と比較しないように言い聞かせます。
もし、他者と比較、競争したら、勝利者は地球上でただ一人だけで、他の何十億もの人は全員が敗者になってしまいます。オリンピックでは金メダリストだげか勝利者で、銀、銅メダリストでも厳密には敗北者です。

これ、自分は要注意だ。
とくに競争すること、勝ち負けを気にしていつも泣いている。
子ども同士が勝手にやる分にはまだしも、
炊きつけよう、操作しようという意図で、
大人の側が競争を仕掛けてはいけない。
絶対にいけない。

●夢とイメージと潜在意識の使い方

・子供が小さくて夜寝る時に、まだ親に枕元にいてほしがる頃に、あることの習慣付けをすることです。それは、子供の夢が叶った時のことを想像させ、さらに、夢が「実現した後のこと」を「より具体的に想像させる」のです。ここで大切なのは、夢や願いごとが叶ったことをゴールにして終わらせるのではなく、ゴールを「達成できた後のこと」を、より鮮明に、より具体的に思い描くことなのです。父子がなことに、目標が成就した後のことが、より明確に描ける事柄は、必ず、と言っていいくらいに実現するからです。
・このような家に住めるようになりたい、と思った時は、理想とする家の写真などを壁に貼ったり、額縁に入れたりして、頻繁に目に付くようにします。そして、その家に自分が住んで何をするか?を想像するのです。
・誰もが「あなたの夢が叶うといいね!」と言ってくれるような夢だとしたら、あなたを幸せにしてくれます。ですから、もし、誰かに話したとしたら、「誰からも応援される」ような「夢」を持つことが大切なのです。「ほとんどの人が励ましてくれる」ような「夢」を持つことが大切なのです。「多くの人から成功を願ってもらえる」ような「夢」を持つことが大切なのです。そうすれば、賛同者や援助者、資金などが必要になった時は、自然に集まってきます。
・それを誰かに話した時に、ヒンシュクを買う願望は、あなたを幸せにしません。

額縁にいれるというアイデア、よさそうだ。
妻に絵を描いてもらおう♪
そして、、、
なぜ人によって願望が叶いにくいのか、その答えが、ここに書かれていた。
他のどの成功哲学書にも書かれていない、秘密。
そのイメージが「人から応援してもらえるかどうか」なのだ。
これ、さらっと書いてあるけどものすごく重要。

●例 体裁を気にして(気兼ねして)親が対応する日本との違い

・母親は、「彼はまだまだ学ばなければならないみたいね」と言い、帰って行きましたが、息子を叱ることはしませんでした。
・少年は、父親に導かれてヤケドをした男性の所へ行き、「ごめんなさい、僕を許してくれますか?」と言いました。それを聞いた大人の全員が拍手をして、「Oh You are good boy」と、謝ることができた少年を褒めたのです。
・その子の母親は息子に駆け寄って抱き上げ、「私はあなたを誇りに思うわ、何かの間違いを犯した時に、素直に謝ることはなかなかできないの、あなたはその難しいことができたのよ! それに良かったわね、おじさんに許してもらえて。そういう時には、”許してくれてありがとう” とお礼を言うものなのよ」と少年に言いました。
・私が見たのは、その少年の親が、少年を叱ることもしないし、少年に代わってヤケドをした男性に、謝罪もしなかったことです。私の日本人としての常識的な感覚では、親は子供を叱りながら、子供の不始末を親が代わりに謝罪するのが当然と思っていたからです。

日本人は、親の監督責任の方に、周囲が注目してしまう。
でも、もっと大切なのは、子どもの成長を見守る目なのだ。
温かい社会ならば、この意味が理解されるだろうに、
最近の電車や飛行機で泣く赤ん坊の話題をみると、
どうも日本とう国は、温かい土壌が失われつつあるのではないか、
という残念な気持ちでいっぱいになる。

●なぜ叱る必要がないのか

・人間は誰でも何も知らない、何もできない状態で生まれてくる。それをひとつひとつ成長に合わせて教え、少しずつ色々なことができるように、導いてあげるのが親の役目だ。子供は数多くのことを学んでいる最中だから、知らないこと、できないことが山ほどある。はじめから何でもできる人など一人もいないし、一度教わっただけですぐに要領が得られる人も、あまりいない。それに、誰にでも得手、不得手があるし、興味を持つ対象だってさまざまである。
・どの子も成長の仕方やスピードは一人一人が全部異なる。だから、一度教えて分からないようなら、もう一度優しく丁寧に教えればよい。それでもうまくいかなかったら、教え方を変えてみる。子供に限らず、大人でもなにか新しいことを学ぶ時に、はじめから上手にできる人はいない。試行錯誤をして、数多くの失敗を乗り越えて、だんだんに上達するのが普通だ。それが、自然の姿であることを理解していたら、子供を叱る理由なんてない。
・何回言っても子供が理解していないということは、親の教え方に問題があるわけでしょ。

ここを勘違いしている人、ほんとに多い。
叱る前に、まず子どもに教えたのだろうか?
大人だって、新しい職場で仕事を覚えている途中の新人研修時代に、
ボロクソに怒られたり、悪意ないミスで人間性を否定されたら、
その職場から逃げ出したくなる。ケンカしたくなる。
大人は仕事をかえることができても、
子どもには、逃げ出す場所もないし、親をかえることもできないのだ。
いったい子どもがどれほど大変な重いをしているのか。
もっとよく考えるべきだ。

●叱ると子どもはどう感じるか

・子供を叱ったり、罰したりすることは、子供の言動を即座に変えるためには非常に有効です。しかし、子供の心に大きな傷を作ります。心に傷を持った子供(人)が幸せな人生を遅れると思いますか?
・あなたはあなたを叱った人を好きになりますか?それとも、たとえ一時期であったとしてもその人を嫌いになりますか?あなたを叱った人の言葉に100%同意できなかった時、あなたはどのような感情を持ちますか?細かい事情も分からないくせに、という反抗心や敵愾心を持ちますか?叱られた理由を理解したとしても、どんな感情を持ちますか?自分の至らない所を教えてくれて有難い、と素直に思えますか?それとも、言うことは分かったけど、何もあんな言い方をしなくてもいいのに!と反発しますか?あなたを繰り返し叱る人に親密感を持ちますか?それとも、会うことを避けようとしますか?あなたは自分のしたことが、自分の予想したようにうまく運ばず、叱られるかも、と思った時、正直に親(上司)に自分の失敗を認め、素直に誤りますか?それとも、何とかごまかせないだろうか?と考えませんか?そして、責任転嫁する先を探したりしませんか?あるいは、叱られるのを恐れてその場しのぎで「嘘」をつきませんか?親(上司)は自分のことを嫌いなのかな?などと疑いませんか?叱られた時、誰も慰めてくれる人がいなかったら、あなたは何を感じますか?幸福感ですか?孤独感ですか?みじめさですか?悲しみですか? もっと、続けて考えてもらえば分かってもらえると思うけれど、叱られた人の心に湧き上がることは、叱った人の目的「あなたのためと思っている」と一致するか、しないかが一目瞭然となりませんか?
・親が子供を叱れば叱るほど、子供は悲しい重いをし、たとえ、一時的であったとしても、親が嫌いと重い、会わなければ叱られなくてすむから、親との接触を避けようとするようになり、反抗心が大きくなる。
・子供を叱るということは、子供に悲しい重いをさせ、自分はダメなのだと思い込ませ、たとえ、一時的であろうとも、子供に「お母さん(お父さん)なんか大嫌い」と思わせる。
・子供を叱るのが、たまに「月に一回」としても、幼児期から思春期になるまでには、子供にしてみれば、100回以上も叱られることになるわけですから、子供が「自分は価値がないダメ人間だ」という「劣等感」を持つようになっても、不思議はないと思います。

ここは、全ての親が、声を出して100回ぐらい読むべきだ。
もちろん私も。

●叱ることは、何をうむか

・いじめる子は 体力があって、親が叱り始めると、口応えをし、敏捷にうまく逃げ、親からも「憎たらしい子」と思われてる子。あるいは、親からコテンパンに叱られ続け、親に対して大きな「怒り」を秘めているが、親には反抗することはできずに、従順である。しかし、秘められた怒りの矛先を、抵抗しない(できない)おとなしい子に向けて吐き出す。
・いじめられる子は 親から逃げることができず、親から叱られるままに、じっとしている「おとなしい子」です。
・子供にとってのシェルターは親です。そのシェルターであるべき親から否定され、責められることは、子供にしてみればシェルターから追い出され、住み家を失うことになります。シェルターを失った子供は心理的には「ホームレス」になります。子供が非行に走るのは、悪い友だちのせいではありません。悪い友だちと惹かれ合う、通じ合うように追い込んだ、親の責任です。

いじめる側の子が親に叱られている子だというのは理解していたが、
いじめられる側の子も、実はそうなのだ、というところが、目から鱗。
確かにそうかも知れない。

●子どもの特性を知り、受け入れる

・子供はエネルギーのかたまりだから、じっとしていられない、動き回る。子供はうるさく騒音を出すことが楽しかったりするみたい。特に、楽しい時や、嬉しいことがあった時は、興奮して叫んだり、大声を出してしまうのね。それが、自然の姿みたいね。逆に、子供が静かな時は「要注意」。たいがいは何かとんでもないことをしているわね。
・我々は、子育てに限らず、何が自然な状態かを知るように、努力してきました。赤ん坊が泣く、二、三歳児が聞き分けもなく駄々をこねて泣きわめく、四、五歳の子が反抗し始める、六、七歳担った子が生意気なことを言い始める。これらのなかなか大変なことが、もし、自然な成り行きであるとしたら、それらを受け入れ、大人の知恵で、上手に対処する以外にないと思っています。子供を大人の都合の良いように「変えよう」と「格闘」するのではなく、その時期、年齢の自然な状態を受け入れ、より良く育つように導いて行くことが大切と思っています。

この子どもの特性を、一歳ぐらいまでは理解できている親は多い。
でも、二歳をすぎる頃からだろうか、
多くの親が、突然記憶喪失にかかったかのように、忘れてしまう。
もっと、子どものことを知るべきだ。
かつて、自分が子どもだったはずなのに、悲しい。

●子どもに敬意を払う 子どもは動物ではない

・私はできるだけ子供を尊重し、よほど重大なことでしかも緊急でなければ、子供に従わせることはしません。たいがいの場合は幾つかの代替案を提示して、どれを選ぶかは子供に任せます。しかし、子供のことで嘆いたり、子供を叱ったりする人の言葉を聞いていると、子供に命令し、子供が従うことを要求しています。そして、即座に、素直に従わない子供に対して腹を立てて、叱っています。
・私は、人間は誰でも本質的に「自由を求めている」「隷属を嫌う」と理解しています。それは、小さな子供でも同じだ、と思っています。人に命令する、服従させようとする、これは人間の本能を無視した行いですから、子供から反発されて当然です。同じ要求でも、静かに優しく分かりやすく伝えれば子供が受け入れることなのに、命令し、押さえ込もうとするから、反抗されるのです。そして、「聞き分けのない子供だ」と、間違った解釈をし、嘆いているようです。
・子供がうるさく騒いでいる時に、「静かにしなさい!」と命令するのと、「静かにできますか?」と聞くのでは、言われた方の受け取り方が違います。叱る以外の方法がなければ仕方がありませんが、ほとんどの場合は、優しく言い聞かせれば済むことです。

子ども人権宣言というものがあるが、
子どもを犬や猫のように思っている親はまだまだいる。
命令や服従は、尊厳の破壊だ。
ほんとに同感。

●賢い教え方

・子供に吹くを着せたり脱がせたりする時は、まだ子供が赤ちゃんの時から、「はい、こちらが右手(足)ですよ、右手から着ますよ、今度は左手ですよ」靴は、「これが右足用ですよ」などと言いながら履かせたの。私は誰でもそうやって色々なことを言いながら着せていると思っていたけれど、気がついてみると多くの親が、これといった言葉を子供に話しかけずに、服を着せたり脱がせたりしているのね。
・子供がまだ乳幼児の時から、親が何かをしてあげる時に、ちょっとした言葉を一言、二言多く言うだけで、子供は自然に多くのことを覚え、理解できるようになるのに。それをしてあげない、ということは親子双方にとって、大きな損失になっていると思えるの。
・「あなたの行動は正しくない」と言う時は、「行動」を否定しているのであって、「あなた」を否定していない。ところが、「そういう行動をしていたあなたは正しくない」と言う時は、「あなた」を否定していることになる。
・父親は段差の所へ来ると、立ち止まり、回れ右をし、しゃがみ、両手をレンガにつき、片足ずつ下ろし、また、回れ右をして歩き始めました。男の子は、父親と同じことをして、段差を下りました。この親子の間には、言葉でのコミュニケーションはありませんでした。父親は無言で、段差の下り方を教えていたのです。

この母親・この父親のようでありたい。
言葉で積極的に話しかけるべきところ
無言で見せて教えるべきところ
ちゃんと考えよう。

●親の姿勢を改善するための子どもからのはたらきかけ

・親宛の手紙
1)はじめは、自分がいかに親を愛しているかを伝える文章
2)次は、子供に自分が親の望む(期待する)ような子供でないことの「謝罪」
3)三番目は、そのような自分でも、親から受け入れてもらいたい、という自分の願いを伝える
4)そして、最後に強く叱らないでください、とお願いします

本の中にあったこの実際の手紙をみて、
泣けてきた。

●学力について(読み)

・学校の勉強で苦労しない程度の基礎能力ぐらいはつけておいてあげないと、子供だけでなく、親である私も一緒に苦労するようになるから、それだけはしておきました。例えば、学校の宿題を子供が自分一人で、短時間で簡単にやり終えることができれば、子供の自由時間が増え、他の楽しいことが色々とできる。でも、宿題を一時間以上かけてもできずに、さらに私が見てやらなければならないとなると、毎日のことだと私の負担も非常に大きくなる。子供が他にやりたいことがあってもできないとなると、宿題をするのが嫌になる。
・私の親がしてくれたのは、ほぼ毎日のように父か母かのどちらかが、本を読んで聞かせてくれたことです。両親は本を読んで聞かせてくれる時に、毎回読んでいる所を指でなぞってくれました。物語の情感を込めてドラマチックに読んだり、スラスラと読み進めたり、日によって色々でしたが、どんな時でも読んでいる単語を一語一語「指差しながら」でした。だから、二〜三歳の子供でも自然と読み方を覚えられたのでしょうね。私の子供たちは、全員が四歳になる前に、しぜんに自分一人で本を読み始められるようになっていましたね。

指でなぞるという方法、なんとなく避けていたけど、
今度からやっみてようかな。

●学力について(計算)

・オヤツの時間は「算数の基礎学習」を教える時
・黙って切り分けたパイをお皿に分けて、「はい、食べなさい」では、子供たちは何も学ぶことはできません。日常生活の中で、何気なく色々なことが覚えられるようにしてあげれば、子供たちは自然に言葉が話せるようになるのと同じく、多くのことを覚えていくものなのです。
・私のレストランに来てくれた、ユダヤ人の家族連れのお客さんは、お勘定の計算が間違っていないかを子供に計算させて確認させるのです。そして、チップのパーセントを示し、チップの計算もさせていました。

これも、見落としてた。
貴重な機会だ、みすみす捨てるのはもったいない。妻に話しておこう。
休みの日は私が。

●学力について(音楽)

・ユダヤ人には数多くの名ピアニストなどの演奏家、指揮者、作曲家、そしてポピュラー音楽の世界でも大スター歌手が多くいます。彼らの音楽教育は家庭ではどのようにされているのでしょうか?一番多く聞いたのは、子供が生後三〜四ヶ月たってから、母親の好きなレコードやCDを、毎日最低一時間はかけたということ。また、自分の演奏できる楽器、一番多かったのはピアノでしたが、毎日15分でも練習するように心がけた、です。
・しかし一番大切なことは、ある程度楽器が自由自在に弾けるようになるといかに楽しいか、を見せることなのです!

もっと、私の好きな音楽も積極的にきこう。
それから、楽器を習うのも、そろそろ始めようかな。

●習い事

・何でも実際にやってみないと、自分に向いているか、楽しくやれるかが分からないでしょう。だから、最小限の期間を申し込んで、続けたいと思うことだけを延長させることにします。
・誰でも実際にやり始めてみないと、本当に時部のやりたいことか、そうでないかが分からないと思うの。それを「あなたが言い始めたことだから、最後まで続けなさい」などと、本人が嫌がるのを無理強いすると、子供の好奇心の芽を摘むことになるのではないかと思います。
だって、一度無理強いされて「懲りた」経験があると、次に何かに興味を持った時、またあの思いをするかもしれない、と思い、あれこれとやってみたい、とも言いださなくなるだろうし、興味を持つこともやめてしまうかもしれないでしょう。そして、消極的で臆病な無気力人間になってしまうかもしれません。そうしたら、あれこれやってみて、初めて本当にやりたいことに出会える、という可能性がなくなるでしょう。

ここ、日本的な根性論・精神論で勘違いしている人、とても多いと思う。
中学の部活なんて、まさにそれだ。
願わくば、中学の部活ではなく、小学校高学年のクラブでもなく、
それよりももっと早い段階、出来れば小学校低学年までに、
色々なことを試すという機会を与えたい。

●女性が結婚と出産の前に理解しておくべきこと

・私が母親になる心の準備が整わないうちに、夫と生涯を過ごす確信を持てないままに、「結婚したら、妊娠、出産が当たり前」と、成り行き任せで妊娠出産をしたならば、今のような幸せな家庭生活になっていたかは、疑問です。
「子育てがこんなに大変なことだとは思わなかった!」
「夫は私が期待しているように協力してくれない!」
などと、不平、不満を心に秘めた人は、まずはじめに本人を不幸にします。そして、身近にいる夫や子供を不幸の泥沼に引き込んでいきます。「夫や子供のために自分を犠牲にしている」などの「被害者意識」を持ってしまったら、自分も、家族も全員が不幸になってしまいます。もし自己憐憫に陥ったとしたら、両親や友人に夫の悪口を言い、育児の負担を嘆くでしょう。夫には不平不満を並べ立てて、攻めるようになるでしょう。子供に対しては、ちょっとしたことにでも感情的になる「怪獣」になるでしょう。
・世の中には子育てから「開放されたいと思う時がある」と言う人がいるそうですが、子育てを「受身」でするのと、楽しいと思ってすることの違いではないかと思います。事実、子育ては二四時間体制ですから、肉体的、精神的、経済的に大きな負担がかかります。それを、しっかりと認識した上で「待ち望んで」子供を持つようにしたのです。

どんなに準備しても、予想通りには行かないのが夫婦関係であり、子育てだ。
少なくともこの基本は抑えておいてもらいたい。
今、愚痴を言う人がとても多いのは、きっとみんなココのポイントを
はずしているからなんだろうなぁと思う。
すごく思う。

●男性が結婚と出産の前に理解しておくべきこと

・野生動物の世界でも、メスは強いオスとだけ交尾する。それが自然の姿なのだ。人間の世界で強い男とは、パワーを持った男ということになる。パワーには幾つかあるが、一番簡単に得られる有用なパワーは「お金」だ。権力が一番強力なパワーかもしれないが、それを持つのは容易なことではない。
・お金は争わなくても持つことができる。公務員で高収入ではなくとも、収入に見合った生活をし、貯蓄に励めば蓄えることができる。そうすれば、それに見合った、それで満足するステキな女性が必ず現れる。だから、君もパワーのある男になれ。パワーを溜めろ。年収分のパワーが溜まるまでは、贅沢をするな。贅沢をするのはそれからだ。それでも、使うのは実収入の九割で、一割は必ず蓄えろ。パワーの蓄えのある人間からはオーラが出てくるから、ふくよかに見える。毎月の支払いに追われている人にはオーラが出てこないから、貧相に見える。人はそれを敏感に感じるものだ。
・独身の女性はそれなりの蓄えがあれば、後は自分を着飾るために使っても良い。美しく、魅力的であることが女性には大切なのだ。しかし、男がパワーの蓄えもなしに、車や衣服や装身具に使い果たすようでは、まともな女性からは相手にされない。
・世の中には、ドラゴン・レディーがいる。結婚する前に絶対に妊娠させるな。子供を持つのは、新婚生活をエンジョイしてからでも遅くない。

ドラゴンレディーにやられちゃった男性、たくさんいる。
ほんとにこれはもう、注意が必要だ。
息子にもここはしっかり教えておかなくちゃ。

●その他

・息子に仕事を教えないのは、泥棒になることを教えているようなものだ。
・1986年に家を初めて買う時に、彼が言いました。家を買うのはいつでも「遅すぎる」だよ。今年よりは去年、去年よりは五年前だ。だが、絶対に買ってはいけない物件もあるよ。それはハンディキャップのある物件だ。車庫がない、公道に面していない、変な間取りに増改築した家だ。どんなに安くても売れにくいと思える家は買わないこと。それから、どちらにするか迷った時は、高くても良い地区の家を選びなさい。「迷う」ということは、何とかなりそうだからだろ、絶対に無理なことには迷わないよね。不動産は良い地区から値上がりし始める。

1986年当時であること、不動産の価値が上昇局面にある時だったこと
家の耐用年数が日本と海外では異なること
などを加味して考えないといけない。
日本でこのような発言ができるならとてもいいんだけど。
この土地の話だけは、そう、安易に同意はできない。

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