子育ての新しい世界「親業」

今日からできる親業実例集

子育ての新しい世界「親業」―今日からできる親業実例集 (企画室の子育てシリーズ 35)

トマスゴードンの「親業」のなかに、
その具体的な応用の素晴らしさを感じることができるはず。
近藤千恵さんとゴードン、そして交流分析は、
娘が生まれて以来ずっと、指針の一つになっている。


●共感していることを伝える(聞く)

・子どもが悩んでいる時のサインより
 食欲がない
「悲しい」とか「こわい」とか直接的な言葉による表現をする
 甘えてまとわりつく
・泣く、妹をたたく、あばれる、というような行動も、感情表現であり、SOSのサインです。悪い子だと叱る前に、子どものサインを敏感に感じ取り、子どもの心に耳を傾けることが必要ではないでしょうか。誰かに自分の気持ちが理解されることで、気持ちは静まり、自分について考える余裕が生まれてくるものです。
・子どもがこんな悩みのサインを示すと、親は、つい、子どもの話に耳を傾けるよりも、「痛くないでしょ」とか「そんなことで泣かないの」という風に、親の思いを語って、泣くのをやめさせようとしがちです。「泣かない強い子」であってほしいから、そして、「泣いているのを見るのは、実は自分が耐えられない」から、ではないでしょうか。
・幼児は、大人が思いもかけないようなことを感じているのです。
・聞くためには、まず親が口を閉ざすことです。親が、自分勝手なことを言うのをやめる。そして、子どものそばに行って、しゃがむ。同じ目の高さになる。子どもの肩に手をかけて、スキンシップで近づく。
・「どうしたの」「話してくれる?」「お母さん、聞きたいなあ」。<あなたの話、どんなことでも聞きますよ><あなたにとって、大切なことなのね>などと、子どもの話を大切に思っている、子どもを大切に思っている、ということが伝わります。
・「今ちょっと忙しいからあとでね」などと言うと、子どもはもう、話す気持ちがなくなってしまいます。子どもの驚きや喜びなどの消えないうちに、子どもの話に耳を傾けることで、子どもの心は満たされ、もっと話したいという気持ちにもなるのでしょう。
・自分の言ったことが親に正確に理解されれば、思考や感情が同じところにとどまらず先に進んでいけるというメリットが生まれます。すなわち、自分の悩みについてさらに自分で考えるプロセスが子どもの中で始まるのです。

サインを否定するような、サインを辞めさせるような対応をしていないか。
それはつまり「拒絶」であって、子どもにとても寂しい思いをさせる。
勇気付け、信頼関係を育むことと逆のことをしていることになる。
自分はとくにこのあたり、注意する必要がある。
つい、「強くあってほしい」「こうあってほしい」などという勝手なエゴで
自分の枠にはめようとしてしまうことがある。
まずは、理解しているよ という気持ちを伝えることを優先すべきなんだ。
そしてこれは、夫婦関係でも同じ。
能動的に聞き、理解を示すということは、
混乱している子どもや、その感情に入り込み巻き込まれて混乱している大人に対しては、
フィードバック(客観視)の効果もある。
傾向として、子どもと女性は「主観」優位なのだと思う。
だからこの、能動的な聞き方というのは、その意味でもとても重要だ。
●わたしメッセージで伝える

・「わたしたメッセージ」は子どもの考える力を刺激する
・親が「わたしメッセージ」を語ることは、親の側の事情、感じ方を子どもに示すことであって、「あなたメッセージ」のように子どもの行動を親が指定する方向に変えようとするものではありません。親の側の「わたしメッセージ」を聞いて、それについてどう対応するかは子どもの側に任されていますので、子どもは自分の行動について考える機会 – 自立への第一歩 – を与えられます。
・今までは「ありがとう、助かったわ」くらいしか口にしなかったのですが、いつもと違った一言を添えるだけで、子どもがこんなにやる気を出してくれるのを見て…
・「わたしメッセージ」で気をつけること 三部構成
  1) 子どもの行動
  2) それが親に与える影響
  3) そこで親のもつ感情
・1)2)3)を述べて、「だからあなた~してね」という、子どもの行動を指示するメッセージが入ると、これは「あなた~しなさい」という「あなたメッセージ」をやさしく言っただけにすぎなくなります。
・親が子どもを大切に思い愛情をもっていることは自明と思われているかもしれませんが、必ずしも、それが子どもに伝わっているわけではありません。
・また、自分が大切に思っていることを子どもに伝えていくには、何を自分が大切に思っているかを自分が知っている必要があります。親の価値観として自分が子どもに伝えたいことは何か、本当にわたしたちはわかっているのでしょうか。自分は何を大切に思い、どんな考え方をしている人間なのでしょうか。自分は、どんな価値観をもっているのでしょうか。どんな人生観をもっているのでしょうか。また、自分のもっている価値観が、ただ、両親や社会慣習から何となく受け入れたものである、ということはないでしょうか。みんながそうするから、みんながそう思うから、というだけで、自分もその通りにしたり思ったりしているのではないでしょうか。自分の体験から生まれた価値観、自分で見きわめた価値観を、自分はもっているのでしょうか。そんなことも考えてみる必要があるでしょう。

自分がどう話しているか、余計な 4)…だからこうしてねという提案を付け加えていないか、
常にチェックできるように紙に書いて貼っておこうと思う。
この1)~3)の三部構成のうち、とくに2)がとても重要だと思う。
2)を大人が省略することが多いのは、
それが親(大人)にとって「当たり前」だという思い込みがあるから。
子どもには「当たり前」などという固定観念はない。
●いい子 という評価で操作しない

・あなたメッセージの例
  かわいいね
  お利口ね
  えらいね
  そんなことしちゃだめ
  早く支度しなさい
・ほめるといっても「いい子ね」「よくやったわね」とほめるよりも、母親自身の気持ちを伝えた方がずっと効果があります。というのは、良い生活習慣は、”いい子”になるためのものでなく、気持ちのいい、さわやかな生活の実感の方が大切だからです。親がそのさわやかさを味わいながら生活していくことが基本ですね。
・いい子、悪い子というのは、結局、外部的な評価であり、子どもを操作しようという気持ちから出ているのではないでしょうか。ほめたり叱ったりして育てていますと、子どもは、いい子になろうとし、いい子ではない自分は良くない子と自分で思ったりします。いい子にならないと叱られるし、受け入れられない、愛されないからです。自分の気持ちや相手の気持ち、その場の状況を判断して行動するのではなく、そうするのがいい子だから、いい子と思われるためにそう行動するようになります。ここから、人に言われた通りに動く子ども、「べし、べからず」にしばられて、柔軟な思考や判断のできない子ども、いつも他人からほめてもらわないと不安な子どもなどが育ちやすくなります。ですから、ほめるということも、叱ることと同様に、子どもの他者への依存性を育てていくことにもなります。
・子どもは、いい子になるために何かをするという考え方ではなく、自分がこのようにすると、相手は困るのか助かるのか、どう感じるのか、というように、相手の気持ちを考えながら、自分の判断を基に行動するようになります。これがまさに、子どもの自己決定能力を育てる自立であり、社会性を育てることなのです。叱る、ほめる、という接し方が子どもの依存性を育てるならば、「わたしメッセージ」は子どもの自立を育てます。

叱らずに、ほめて育てることはいいことだ、
という短絡的な勘違いをしている大人は多い。
ただほめるといっても、飴を与え続けるようなやり方は、子どもを侮辱している。
それは、子どもを動物扱いしているのと同じであり、
操作主義・パワーによるコントロールであることはかわらない。
もっと、子どもに敬意を払い、人間的な接し方をしたい。
●転ばぬ先の解決策 を言わない

・子どもが何かで悩んだり困ったりしたら、その悩みの所有権を子どもに残すことが、子どもの成長を促がす基本です。
・親はふつう、子どもが何か言うとすぐ、命令したり提案したりしして、解決策を与えてしまいます。いつも親が問題解決をしていたら、子どもが自分で考え、判断し、解決する力は、いつ育てられるのでしょうか。親が命令し、提案するたびごとに、子どもの自主性が育つチャンスは、一つひとつ奪われます。だからといって、「そんなことは自分で考えなさい!」と、子どもをつっぱなしても、子どもはどうしていいかわかりません。子どもは、考えるということが、いったいどうすることなのかが、わからないのです。ですから、考えなさいと言われても、考えることができません。
・親が困っていることを知って、自らの行動を変化させることを子どもがしたら、それは親に対する思いやりの心を発揮したことになります。自立と思いやりとが同時に育まれる機会がここにあります。
・子どもが幼いうちは、親が提案する必要がある場合もあるでしょう。もちろん、提案してもよいのですが、子どもが成長するにつれて、親からの提案はなるべく控える、あるいはまず子どもに考える余裕を与えることが大切です。親は、子どもの「自分で自分の行動を変えていく能力」を過小評価していることが多いのではないでしょうか。

感情的にならずに、体罰を与えずに子どもと接すればいいんだという勘違いも、多い。
それも違う。いくら体罰や暴力的な言葉を使わなくても、
いつもいつも、提案と説得(説教)をし続けるような接し方をするのは、
それはそれで、やはりコントロールなのだ。子ども自身の心を無視した、知的暴力といえる。
わたしは、とくにこの方法を使ってしまっていないか、注意する必要があるなと思う。
ポイントは暴力の有無ではなく、「強制」「操作」の心の有無だ。
●パワーで操作しない(勝負なし法)

・子どもは怒られるのはいやです。子どもはただ、その時その時、自分のやりたいことをやりたいようにやっているのです。赤ちゃんの時は、やりたいことをやっても叱られなかったのに、どうして叱られるようになったのか、わかりません。ところが子どもは怒られることから、お母さんは自分を嫌いなんだと思ったり、だったら自分もお母さんは嫌いだと思ったりします。だけどやっぱり、お母さんはお母さん。嫌いになるのはとてもさびしいし、悲しい。子どもが求めているのは、親の温かさ、愛なのですから。実は、子どもは、なぜ自分は怒られるのかわからないし、親の気持ちがわからないでいることがとても多いのです。親がコミュニケーション下手だからこそです。
・親業訓練講座を受けられたあるお母さんは、「今まで子どもが悪いとばかり思っていたけど、子どもが悪いのではなくて、親が困っていたのですね」と、大発見をしたように言われました。「子どもが悪い」という見方から、「自分は子どもの行動を受容できない」という見方に変わると、子どもとのコミュニケーションにとても大きな違いが出てきます。
・”しつけ”とか”良い悪いを教える”という時、子どもが求めていること、やりたいこと、欲求はわがままで良くないもの、という見方があるのではないでしょうか。外部的な基準、すなわちこうすべきだ、というルールにしたがって行動するのが良い、という考え方です。しかし子どもの欲求は良くない、と言えるのでしょうか。いつでも、ルールにしたがって行動するのが良い、言われた通りにするのが良い、と言いきれるのでしょうか。
・「どうしたらいいと思う?」「何かいい考えない?」などと、子どもに声をかけてみます。できるだけ子どもの方から解決策が出る方が良いのです。しかも、なるべくたくさん、自由に出るようにします。
・ただ命令されるのではなく、「どう思う?」とか、「これでいい?」とか、たずねられることで、自分が大切にされている、人間として尊重されていると感じます。また、自分の意見が通ると、自信も出てきます。子どもは、”子ども扱いされない”のがとてもうれしいのではないでしょうか。
・親が自分自身の人生に満足できなくて、子どもに自分のやりたかったことをさせようとするならば、親は、子どもを自分の満足のための手段に使っていることになります。子どもに親が依存している、とさえ言えるでしょう。親自身が、自分を好きになり、自分の人生に満足していれば、子どもへの要求が少なくなります。子どもは別の人格をもった一人の人間として見ることができるようになりますし、子どもの生きたいように生きることを許せるようになるでしょう。

自分で決めさせるというのは、食べ物や洋服だけではない。
状況に対して、人の行為に対して、ピンチに対して、
すべてがそうなのだ。
●その他

・字が読めるようになったら、メモをもたせて買わせる。
・「教える」ということは、その教えたい内容を自分は実行しているのか、という厳しい問いかけを伴います。「教え」ようとすることで自分もまた学ばされているというのが、子どもを育てている実態なのでしょう。
・子どもが友だちともっと遊んでほしいと思ったら、親がどんどん外へ出て行き、いろいろの友だちとつき合う。すると、自然に子どもも、子ども同士で遊びやすくなるでしょう。
・朝起きた時、お母さんがニコニコして「おはよう」と言うと、子どもはうれしくなるでしょう。「今日も元気で起きてきたのね。あなたが元気で起きてくると、お母さん、うれしいわ」という、からだ中での愛の表現が「おはよう」なのです。「学ぶ」は「まねぶ」と言われるように、子どもはとてもよく親のまねをします。ですから、親が良い生活習慣をもっていれば、子どもも模倣します。
・子どもに、イメージと結びついた豊かな表現を教えようとするならば、親自身が、豊かな表現を身につけている必要があるでしょう。それは、言葉を大切にしようとする意識があるだけでも違ってきます。
・大人は、いろいろのたくさんの人と出会うことができます。本による出会いもあります。自分から求めることもできます。ところが幼児は、身近な人にしか出会えません。特に、親が非常に大きな影響を与えます。子どもは親を選べないのですから、親がどんなに大切かわかります。
・私たちが私たちの親から幸福になることを祈られたように、私たちもその祈りを次の世代に引き継いでいきたいものです。

わたしがビジネス書しか読まなければ、
表現が平板になり、子どもの表現力もそのような偏ったものになる。
絵本や小説も必要なんだなと思う。

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