出現する未来

世界とつながる自己・自己の内部から始まる世界

すべてが、つながっていく。
量子力学も、
集合的無意識も、
主体と客体が異ならないサマディの研究も、
タオも、
そしておそらくはゾクチェンも。
このあと読むU理論も楽しみ。

●概要

・U理論とは、突き詰めれば、「世界に働きかけるのではなく、世界のなかで動くことにどういう意味があるのか」を問うものである。
・U理論で提唱しているのは、南老師が三つの能力を築くことから生まれると言った総合的な思想である。三つの能力とは、第一が、観察されるものから観察者を切り離すことのない観察。第二に、出現しつつあるものから今の自分を切り離すことのない静止の能力。第三に、頭と心と手のそれぞれに宿る叡智を切り離すことのない、別の現実を創造する能力である。
・ばかばかしいと思うかもしれないが、人間は進化が自分たちで終わりだと思っている。この地球という惑星で展開する40億年のプロジェクトの最終地点だと。そうでない可能性に気づけば、物事は変わるんじゃないだろうか。たぶん、こうしてここにいるのは、次に来るものを可能にするためであり、どれだけ目覚めているかで、次に来るものが変わってくるんじゃないだろうか。

ひと言で言えば
「サマディ」
だろうな。

●Uを下る

・「『才能はどこに行ったのか』とみんな聞くが、どこにも行かない。分別の声に隠されているのだ」とレイは言う。「われわれがやろうとしているのは、分別の声に抗い、奥底に隠された創造性を発揮できる環境をつくることだ」と言う。「創造性に目を向け」、創造性を抑える心の中の分別の声(「それはバカな考えだ」とか「できるわけがない」といった声)を保留する能力を高めることによって、日常のなかに創造性を取り入れることができるとレイは語る。実際に分別の声を保留するには、自分が目にしたことを既存の枠組みやメンタルモデルにあてはめない、という意志と忍耐力が必要になる。
・意識を高めるには、内なる恐れや分別の声を探し出して根絶する必要はない。それらに気づき、認めさえすればいい。
・自分の意見を保留するのだ。だが、そのためには、自分の意見を述べた後、それを守ろうとするのではなく、質問する方法を身につけなければならない。たとえば、黙ったり、相手の意見が間違っている理由を指摘したりするのではなく、こう言う。「私の見方とは違いますね。私の見方はこうです。…これこれ、こういう理由゛てこう考えるようになりました。あなたの見方が違うのは、どういう理由があるのですか」。質問の形は重要ではない。重要なのは、誠実さだ。質問が誠実に行われなければ、逆効果になる。だが、こうした方法で自分の意見を保留する人がひとりでもいれば、対話が変わり、集団の分別の声がやわらぎ、誰も経験したことのない新たな可能性が浮上するだろう。

外資系の今の職場で学んだことは、まさにこれだ。
よく彼らは、意見が異なるときに「私の認識では…」という話し方をする。
異国である日本で、日本人と仕事をする為に、
アサーティブコミュニケーションについてのトレーニングを受けてきたのだろうか。

●プレゼンス

・メロディーは音から成り立っているのではなく、詩は単語から成り立っているのではなく、彫刻は線から成り立っているのではない。これらを引きちぎり、ばらばらに裂くならば、統一は多様性に分解されてしまうにちがいない。「全体から見る」カギは、既存の見方を保留するだけでなく、見えるものの背後にある生成過程へと意識を「転換する」能力を磨くことである。
・Uの字の底では、「世界で必要とされていることのために、果たすべき役割が自分にあることを発見する」と言う。自分がなすべきことがわかった瞬間に、速やかに動くことができる。われわれは、こうした状態を表す言葉として、「プレゼンシング」という言葉を選んだ。この状態では、自分の周りの大きな空間や場、拡大された自己、そして、最終的に自分たちを通して出現するものに、立ち会っている(プレゼンス)からだ。
・プレゼンシングを可能にする「違う場所」に到達するには、まず、己を手放す能力を磨き、コントロールしようとするのをやめなけれぱならない。
・知恵ある者は、たえず己を手放し、仮想の自己、脆い自己を顕在化させている。そうした能力を最大限に高めた人のそばにいると、影響を受ける。そうした人たちに会うと、一種の共鳴が起きる。リラックスする。あるがままでいることは、とても楽しい。真に目覚めた人間は、つねに今この時に生きている(プレゼンシング)。…事が起きるその場に立ち会っている。だが、それは『私こそが今に生きている』という小さな我がある時には、実現できないものである
・局所的な自己の意識へのこだわりを手放せば、「関心の質」が、「求める」から「手放す」に変わるとヴァレラは言う。「コントロールを手放す」ことから、ジョセフが言う「使命を受け入れる」に進化し、大きな全体と同調し、深い目的に突き動かされる状態への扉が開かれる。
・真のプレゼンシングから浮上するビジョンは、「みずからを知っている場」…。現実をつくり出している力と、出現する未来に対する責任に気づくことから自然に生まれるものである。そして、Uを上り始める時、この大いなる意思に繋がることができるようになる。これに対し、多くのビジョンが最初から失敗する運命にあるのは、ビジョンの策定者が、意識しているかどうかはともかく、力のない場所から出発しているからだ。今の現実をつくったのが、自分たち以外の誰かだと思っているなら、何を根拠に未来の現実を変えられるというのだろう。
・ある意味で、真のビジョンはあきらかになるものであって、つくられるものではない
・この大いなる意思によって突き動かされる時、人は、合理的意思決定の一般的なモデルを捨てる。何をすべきかは考えるまでもなく明白になり、それをやるようになる。行動とは「全体から自然に生まれるもの」
・自由と運命は固く契り合い、意味を包括している ある種のコミットメントが起きた時、運命を実現していると感じる。それと同時に、かつてないほどの自由も感じるんだ。大いなる逆説だと言えるが
・「ふつう自由という時の自由は、外に対しての自由であって、外的な力によって自分の行為が制限されるかどうかが問題だ。内なる自由は、もっと微妙なものだ。自分の行為が、どの程度、習慣に支配されているかを問題にする。誰にもコントロールされないという意味では自由に見えるが、どう行動するかは、環境に反応する際の習慣的な考え方や行動で完全に決まっている。ブーバーの言う自由は、後者じゃないだろうか。過去の習慣に縛られず、自らの運命をまっとうするために必要なことは何でも行う自由がある、という高い意識(awareness)のことじゃないかな」

使命を理解するということが、特定の悪意や思い込みに悪用されないか、
そのような危険性にまで言及しているところが、科学者ならではの姿勢。
慎重で、すばらしいと思う。
なのに、最後の方で江本勝を無批判に引用・紹介してしまったのは、
ちょっと安易だったのではないかと思う。

●Uを上る

・Uを降りていくには、既存の枠組みを押し付けてはいけなかったように、Uを上っていくには、自分の意志を押し通そうとしてはいけない。「大いなる目的に突き動かされた時、自分の意志を通そうとするだけでは決して喚起できない力が働いてくれる」われわれは、Uを上っていく人々が、ひとりでないと感じていることにも気がついた。
・逆風のなかでも辞めなかった理由を尋ねると、全員からおなじ答えが返ってきた。続けるしかないと思った、「やらずにはいられなかった」と。これは、ふつうの意味での意思から生まれる行為とは違う種類のコミットメントであることを示している。
・この源(ソース)と繋がったことから生まれる行為は、「意識でコントロールしているわけではなく、『私』がしているという感覚すらなく、全体から自然に生まれるのです」。そして、そういう行為は「驚くほど高い効果を生む可能性があります」。
・父はこう言った。「私は、人生で決断したことなんて一度もないね」アッカーマンは最初、「がっかり」したが、その後、気づいたという。何が正しいのかがわかれば、決断する必要はないのだと。何が正しいかわかった時、それは目の前にあり、ただやればいいのだと。
・出現しつつある全体は、具体的な実験や即興、プロトタイピングに取り組まないかぎり、呼び出すことはできない。直感で何かひらめいた時、それを表明しようとし、その過程のフィードバックを素直に受け入れる努力をすれば、ひらめきはまったく違った形で明確になり、リアルなものになる。われわれがインタビューした企業家や社会活動家はみな、この原則を実践していた。
・プロトタイピングの真髄は、全体を理解して計画をたてる前に行動を迫り、頭と心と手に宿る知恵を一体にして、使えるようにすることである。プロトタイピングの原則は、コンセプトが固まる前に、それに基づいて行動することにある。成功にこだわる人は、スピードを落として計画をたて、納得できるまで行動の方針を考えることが多い。だが、行動が必要なのは、まさにその時なのだ。
・Uの底を通過した人たちにとって、プロトタイピングとは、大きな場が実現する手段になることである。これは、出現する全体の生きた小宇宙をつくり、「自分が生み出したい変化を体現する」原理であり、「Uを上る」うえでカギとなる戦略である。この大きな場と繋がっている時の行動派、計画できるはずがなく、その事実が起こった後ですら説明がむずかしい共時的展開という大きなパターンの一部になる
・シンクロニシティとは、起ころうとしていることに心を開くことだ
・可能性を感じて、協力したいと思う人は、たいていひとりではありません。そうした状況でひとりだと思うことは、まずありません。宣伝する必要すらありません。似たような目的や方針、価値観をもつ人たちが共鳴する何かがあるのです。それに引きつけられ、そして魔法が始まります。
・シンクロニシティは、制御できないが、不規則でもない。U運動の最大の効果のひとつは、シンクロニシティの力が信頼できる形で働く点にある。

私に足りないのは、プレゼンシングするところまで降りていないということよりも、
むしろ、直感を形にする、現象化すること。
プロトタイピングのところにある、ということを改めて理解した。

●最新の科学が示すもの/ネットワーク

・東洋哲学全般に共通する考え方は、現実には別の次元が存在し、それは目に見えないが、実体であり、永続的である。人間が自分の思考を制御できるようになって初めて、この現実に近づける、ということだと思う。だからこそ、物理学者のデイヴィッド・ボームがインドの哲学者クリシュナムルティと10年にわたって親交をもち、内蔵秩序、つまり目に見える現実の下にある生成の場の理論と東洋哲学との類似性を探ろうとしたのだと思う。そして、インタビューした多くの科学者が東洋思想を真剣に実践している理由もそこにあると思う。
・ボームは、プリンストン大学でアインシュタインと研究を共にし、アインシュタインから後継者と見られていた学者である。そのボームがジョセフにこう言った。「今後もっとも重要なことは、人と人との垣根を取り払い、ひとつの知性として機能できるようにすることだ。ベルの定理は、『分離なき分離』が人間の自然な状態であることを示している。垣根を壊して自然な状態を実現する方法を見つけなければならない」
・ボームは素粒子がふたつに分裂した時、片方のスピンを変えれば、どんなに距離が離れていても、もう片方のスピンも即座に変わると予想した。数十年後にボームはこう記している。「量子論からの推論で、空間的に離れ、相互作用が起こる可能性のない物質同士に、因果関係では説明できない相関性があると考えた」
・ベルの定理と非局所性によってあきらかにされた相関性は、ニュートン的世界観の基礎である原因と結果に関する一般通念に反するものである。現在では、こうした相関性が素粒子以外にも「巨視的」なレベルで存在するのではないかと考えられ、数多くの実験が行われている。たとえば、最近の研究によれば、アメリカで同時多発テロが起きた2011年9月11日には、世界中の乱数発生器(RNG)が、ランダム性から大きくはずれる振る舞いを示したことがわかっている。
・ボームが言う「分割できない全体性」は、デカルトが三世紀以上前に打ち出した西洋科学の基礎に意義を唱えるものである。
・測定を過信すると、世界を関係ではなく物としてしか見なくなる。そして、「ハード(数量化できるもの)」と「ソフト(数量化できないもの)」の安易な二分法に陥る。数量で測定できるものこそが「現実的」だと感じるなら、個人間の関係の質や仕事での目的意識といったソフト面は、二次的な立場に追いやられる。これは皮肉なことだ。ソフト面こそうまく扱うのがむずかしく、成功と失敗を分ける最大の要因になることが多いのだから。
・要約しよう。関係は物質より本質的である。という20世紀の物理学の基本的考え方は、いまだ社会科学には浸透していない。カプラはこう書いている。「細胞内の代謝ネットワークから生態系の食物連鎖、人間社会のコミュニケーション・ネットワークまで、生命体の構成要素は、ネットワークの形で内部で繋がっている」。こうした考え方がなかなか受け入れられないのは、新しい世界観が信任を得るにはどうしても時間がかかるからだが、その間にも証拠が積み上がっている。
・すべての細胞に同じ遺伝子情報が組み込まれているのなら、成長の仕方がこれほど違うのはなぜかと。成長する生物には見えない青写真、「形態形成場」がある、という仮説である。「複雑さの如何にかかわらず、自己組織化システムはあらゆるレベルに全体性があり、それを決めるのがそのシステムに特徴的な形態形成場である。あらゆる自己組織化システムは、部分からなる全体であり、部分はねさらにしの下のレベルの全体である。どのレベルでも、形態形成場が全体に特徴的な性格を与え、全体を部分の総和以上のものにしている」「どの形態システムでも、過去の同様のシステムに同調し共鳴する。たとえば、キリンの胎児なら、それ以前に成長したキリンに共鳴する」シェルドレイクは、精神分析学者のカール・ユングのいう「集団的無意識」がこれに似ていると指摘する。

とくにボームは、ちょっとおもしろそう。
調べてみようと思った。
知的好奇心をそそられる。

・伝統思想で指導者の育成が重んじられてきたのはたしかだけれど、未来は違った形になる。未来の指導者は、個人だけでなく、集団、組織、コミュニティ、ネットワークになるんじゃないかと思うの。集団の進歩を妨げているものは、未来の道を示してくれる誰かが登場するのを待たねばならない、という考え方だと思う。でも、Uプロセスで学んできたのは、未来派『英雄』や従来型の『リーダー』が体現するのではなく、集団のなかに現れるということよ。傑出した個人に頼るのではなく、リーダーの新しいあり方を育てること。それがカギになるんじゃないかしら
・政治的な衝突は、外部の「敵」を脅威とみなすことで起きるが、敵と自分とを繋ぐ関係のネットワークに問題がある点を見落としている。

南老師がいう
「今までのスピリチュアリティとは別の系譜」
というものが何なのか、そのヒントがここにある。
これには、クラウド技術も、関係している。

●自己組織化

・学校に行くと、西側でお馴染みの方法で教育が行われているのに気づく。生徒はクラスに分かれ、坐って教師の話を聞いている。物事はすべて計画に沿って進められる。ベルやホイッスルで授業時間を区切り、テストを行い、課程をこなしていく。さながら、1年365日、動き続ける巨大な組み立てラインのようだ。じつのところ、工業時代の教育制度で参考にされたのは組み立てラインであり、その目的は、規格化された標準品をできるだけ効率的に大量生産することにあった。だが、21世紀に求められる人材は、思慮深く、教養があり、共感性のある世界市民である。そのために必要な教育は、工場労働者を育てるための19世紀の教育とは根本的に異なるはずだが、子どもたちを取り巻く現実を無視して、工業時代の教育システムが今なお拡大を続けている。
・誰かが誰かを支配しようとすれば、衝突は避けられない。どうして人間は、学校や企業のような大きなシステムを誰かが管理しなければならないと考えるのだろう。ディーに言わせれば、システムを生き物ではなく、機械とおなじだと考えているからだ。機械論的な世界観から生まれたシステムが、人と自然、人と人の調和を不可能にしているのは、ある意味で当然なんだ。

最新の物理学だけじゃなくて、
複雑系 ともつながつている。

●その他

・南老師(南懐瑾)は中国以外ではほとんど知られていないが、現代最高の禅僧だと言われている。道教の師でもあり、唯一にして最高の儒教学者だと言う人もいる。40冊以上の著書があり、中国では1000万部以上が売れている。つい最近まで闇市場でしか買えなかったけど。漢方薬、古代詩、風水の生き字引という評判もある。軍事戦略の指導者でもあり、カンフーの中国チャンピオンでもあった
・個人が薬やアルコール、タバコがやめられなくなるように、企業はコスト削減による利益改善がやめられず、政府は宝くじによる歳入増がやめられず、農業は農薬や化学肥料による収穫量の増加がやめられない。むずかしい問題を短期間で解決することを求める現代社会では、問題の転嫁は、一般に見られる危険なパターンである。一般的なので、ふつうは意識されずに負荷の移動が起きる。個人も組織も根本的な解決能力が損なわれていることに気づかないまま、手に負えないほど依存症や副作用が悪化し、いずれ破綻に追い込まれる。
・時間の達人・マヤ族の神官より… 2001年8月17日(新しい13年の周期のはじまり)…その日は世界中で、選択がなされたのだ。 

南懐瑾 という人についてちょっと調べてみたいと思った。
それから、2001/8/17、何をしていたのかなーということも。

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