日本で「正義」の話をしよう

[DVDブック] サンデル教授の特別授業
知沸き興奮の哲学教室、待望のDVD化。

だいぶ前に兄から「おもしろいよ」と勧められ、ずっと気になっていた。
DVDでみてから、文字でもう一度読んでみた。
思索が、よき親とは何か、に及んでいくとは思っていなかったので、
正直おどろいた。


美徳について考察する必要があるということについては、
田坂さんのという、「操作主義」の話と通じるものがあると思った。
機械論的パラダイムではなく、生命論的パラダイム。
予測不可能性を受け入れるということの意味については、
子育てに限らず、人生そのものが常にあてはまる。
とくにこの震災を経験した日本人としては、色々と思うところがあるだろうと思う。

・親であるということは、根本的に予測不可能な何かにかかわっている。もしかすると、この予測不可能性を受け入れることが、人間にとって重要な資質なのではないだろうか。
・もし遺伝子技術を使えば子供を改良できるという考えに慣れてしまえば、たとえ子供を愛していたとしてもあるがままに受け入れようという姿勢、無条件の愛という姿勢が、どこか損なわれてしまうのではないだろうか。
・もしかしたら、こうした危険をはらんでいるのは遺伝子工学だけではないかもしれない。一部の親がすでに行き過ぎてしまったようなローテクな方法にさえ、その危険が潜んでいるのではないだろうか。
・もしかすると、親であるということは、あるがままに受け入れるという美徳を教えてくれるのかも知れない。
・人生におけるほかの機会に、この美徳、つまり「統御の衝動を止める、抑える」という美徳を教わることはほとんどない。
・もしかすると、市場価格というものは、医療や教育に代表される人間的な善「財」を損なっているかもしれないのだ。

これは、不確定性原理とか、複雑系、生命論的パラダイム、宗教的な議論…などにも十分深まっていく話でもある。それがどんな宗教であれ、目に見えないものを畏怖する思いそのものが、予測不可能性を受け入れる謙虚さなのではないかと、思う。
そういえば、聴講者の中に小飼弾氏がいて、流暢な英語で発言をしていた。
どっかでみたことがあると思ったら。

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