いい男は「や行」でねぎらう いい女は「は行」で癒す

脳をくすぐる「言葉の感触」
語感がもたらす秘密を知れば、恋も仕事も思い通りになる!
・「やれやれ」は女心をくすぐる魔法の言葉
・「でも」「だって」をやめれば人生が変わる
・家族を結ぶ呪文とは?

この方の書いたものはすべて読む。
そんな風に決めている。
私淑しているとても重要な先生。
今回もとても大きな学びがあった。
ありがとうございます。

●語感

・母の呼び名でいえば、ママ、カアサン、オフクロ、ハハの順に、肉体の存在感が薄れていきます。
・二月の後半から三月初めの雛菓子のプレゼント、チョコのお返しじゃなくても、オトナの男なら一度はやってみるといいと思います。「ひな」の語感の優しい余韻が、そのままあなた自身の印象になって、女心に長く残るはずだから。
・「ないしょ」と言われると幸せな共通体験になるのに、「ひみつ」と言われると黒魔術で支配されたような嫌な感じがする。

自分がふだんどういう言葉を使っているのか
無意識にどんな語感の言葉を使っているのか
口癖にはどんなものがあるか
気になった。

・「だったら」に「だって」を返されると、私は、重ねてはアドバイスをしません。なぜなら、その後はおそらく、「でも、できないんだもん」が続き、「どうせ、私なんて」に行き着くことになるから。愚痴を言う人の多くが、この「だ」「で」「ど」三段活用をやるのです。
・プロとして、あやまる覚悟を決めたのなら、「申し訳ありません」か「すみません」を使うこと。(語感で威嚇(礼しました)しないように注意)
・ビジネスの目標や結婚を、ぜったいに「夢」と呼んではいけない。そう呼ぶ度に、口腔内にゆらぎが生じ、迷いが生まれます。人生の目標を「夢」と呼んでしまったら、実のところ、なかなか実現しなくなるのです。危険なNGワードなのです。

また、言葉遣いでだいたいの潜在意識が見えてくるとすると…かなり興味深い。
周囲の人がどんな言葉を使っているのかも、注意して聴いてみようと思う。
意識しなくても、無意識の自分はそれを理解しているのかも知れないけど、
女性に比べて鈍感な男性としては、繊細な感性を持つ人が感じ取っている何かを、
見落としているかも知れない。だからやっぱり、注意して聴いてみたい。

●男女のコミュニケーション

・「ここへきて」はお願いだけど、「ここにきて」は命令に聞こえることもある。「どこに行くの?」は、ついてきちゃいそうだけど、「どこへ行くの?」は、ついていく気がない感じがする。
・女性脳は、幼いうちからものがたりを欲するが、男性脳がものがたりを欲するのは五十過ぎ、十分にオトナになってからだ。その性差がわかっていたも、男たちが「の」を抜く度に、私は寂しくなる。私たちの関係を大切にしてくれていないようで。語感の真理を知らなくても、恋人の単語返しを、女は寂しがる。男たちが思いもよらないところで、女はがっかりしたりしているのだ。男たちよ。気をつけて。…男性には第二のモテ期というのがあって、五十三歳がそのピークなのだそうだ。おそらく、こういうことも関連しているのだろう。
・「いや」…これを、「女性は、受け入れることでも、いったんは拒絶する」というように解釈する方もいるようですが、その解釈はややずれています。強い停滞の「だめ」、殻にこもる「むり」、あっけらかんとした「ありえない」で断る場合は、本当に拒絶の場合が多いからです。
・女は、言葉でイク。それは、本当である。しかし、そのことは、男性諸氏が想像しているのとは、少し違う事象なのではないかと思う。女が欲しいのは、脳の中でリフレインできる「きっかけの言葉」だ。上りつめていくとき、飴玉のように、脳の中で甘く転がす言葉。たった、一言でいい。今、自分の肌に触れて絶句している男が、先にくれた一言を、女は脳の中で繰り返す。無意識のうちに、それをしていることもある。その脳内言葉の効果は、男性の想像を超えて絶大なのである。しかし、その言葉の多くはベッドの中にはない。その日、ふと心をほどくきっかけになった言葉、あるいは、心をときめかせた言葉。男にしてみれば、本当にさりげない一言だったりする。「やっと、会えたね」「そんなこと気にするの? かわいいね」 何も思いつかなかったら、一つになった瞬間に、感じ入ったように相手の名を呼ぶことだ。これは最終兵器である。毎回繰り返しても、ちゃんと「言葉の飴玉」になる。なぜなら、人生の初め、その赤ん坊を愛する人によって与えられる名は、その人のいのちの放つ色彩によく似ているから。いくつになっても、その人の魂にみずみずしさを呼び起こす、魔法の言葉なのである。私は、年を重ねるほど、人は名で呼ばれるべきだと思うし、最短にして最も効果のあるピロートークだと思う。

この4つの話が、私がこの本で学んだ、もっとも重要なポイント。
やはり、女性の感性って、とても繊細なものなんだと、ため息が出た。
そして、男性である自分は、なんて鈍感だったのか。
言葉を書くとき、なんとなく「しっくりくるかどうか」とか
「リズム感のようなもの」は気になる方。
こういうblogを別として、一対一のメールでは、慎重に吟味したりもする。
それでも…まだまだ・ぜんぜん、修行が(≒人生経験)が足りないと思った。
黒川さんは、今まで言葉では説明できなかったその魔法のタネを
理論的に、そしてわかりやすく解き明かしてくれた感じ。
本当にすばらしい。

・「好きというより、惚れてる」と言ってみて。
・「ゆ」いとしい女性が固い結界を解いて、その中へ迎え入れられる。だから、「ゆ」の名前は、いい男以外には、気軽に呼ばせないほうがいいと思います。
・「やれやれ」の語感は、「長い時間をかけて、ここに来た」というイメージを脳に伝えてくる
・私が理不尽なことを言い募っても、彼はキレずに「おやおや」とあきれるだけ。甘えれば「よしよし」と話を聞いてくれる。嬉しい出来事を話して聞かせれば「そりゃ、よかった」と喜んでくれる。胸に引っかかっているあれやこれやをひとしきり話してほっとして、彼の腕の中に納まれば、「やっと、きたね」である。

・理系男子…「おお、そうか! でも、こういう見方をすれば黒にも見えるよね」と応えるのは、「僕も、そのテーマに興味がある。僕も考えてみたんだよ」という、はしゃいだ気持ちの表れである。多くの理系男子は、にこりともしないでこれをやるので、文系女子の反感を買うのだけどね。新しく投げかけられた話題に対し、自分なりのものの見方を披露してしまう理系人に対し、相手のものの見方に具体例を添えてくれる文型人。どちらも、その話題に興味があることの意思表示なのだけど、マナーが違うので注意が必要だ。
・誰かが、新たな話題を提供したとき、まずは「わかる、わかる」と具体例を披露し、後から「でも、こうも言えるよね?」と、次の展開へのフックを残すのだ。こうすると、文型人とも理系人とも会話を楽しめる。どちらにも「この人にまた会ってみたい」という余韻を残すことができるのである。そう気づいてみると、一流と言われる人のすべてが、このスタイルで対話をしているのがわかる。
このあたり、石井氏のアンビバレンス→セレクティブメモリの話にも通じる。

●とくに女性が使う言葉について

・「にくい」は、甘えたのに拒絶され、ほとばしる感情を押さえ込まれた…そんな思いをまっすぐにぶつける発音体感なのである。先に、相手に対する甘えや期待がなければ、この感情には転じない。
・D音を、口元だけゆるめてセクシーに発言できるのは、少なくとも38歳を過ぎてから。D音は、オトナにだけ許される、特別な音素なのである。恋も仕事も手に入れて、口元だけセクシーにゆるめられるオトナの女になったら、D音も上手に使ってほしい。「どうしましたか、部長」「でもね、こうも考えられない?」「だめよ、もっとゆっくり」「だめよ、オトナの女をからかっちゃ」肌がほどよくゆるんでくれば、目は優しい表情のまま、こういうD音のことばたちが発音できる。そうなったら、人間関係の手綱がゆるめられるようになり、人生はがぜん面白くなってくる。歳を取るのも、そう悪いことばかりじゃない。
・恋の達人は、「好きだ」「愛している」を言わずに、甘い「いじわる」を積み重ねていく。いくら「好きだ」「愛してる」を連呼しても、恋人の「いじわるね」を誘えない男は、恋ができていないのである。逆に、長い恋の果てに「好き」「愛してる」のことばが消えても、ほんのたまにいじわるをしてくれる男は、恋を継続してくれているのに違いない。

このあたりも、注意深くきいていると、色々なことが見えてくる。
言葉をきけば(読めば)色々なことがわかるんだなぁ。

●子どもとの関係で注意したいこと

・生まれたその瞬間から、ヒトの脳は、ミラーニューロン(鏡の脳細胞)を使って、目の前の人の表情筋を脳裏に映し取り、「しゃべるイメージトレーニング」を始めます。したがって、授乳しながらアイコンタントして話しかけるのは、最高の英才教育です。最近、授乳中に携帯電話でメールやツィッターに夢中なお母さんも多いと聞きます。この赤ちゃんたちのあごは、どんなかたちに仕上がるのかしら?
・名は、育ってくるにあたり、何度も繰り返し聞き、名乗って体感する語感なので、本人の意識への影響も大きいようです。

ここ、注意しなきゃ。
妻とも話しておこうと思う。

●日本語の特徴

・日本語は面白いことに、母音の抑揚で発音する大和言葉由来の訓読みと、子音を強く使う漢語由来の音読みを二重に持つ言語文化です。つまり日本語は、母音主体語と子音主体語のどちらの語感感性も併せ持ち、自在に使い分ける言語なのです。ほぼすべての言語表現を、日本人は、訓読み系と音読み系の二通りに表現できます。「ありがとうございます。うれしかった」と「感謝しております。光栄です」のように。しかも、ねぎらいや親密感を表現したかったら訓読み系、敬意や責任感を表現したかったら音読み系と、無意識のうちに正確に使い分けています。すべてのことばを、言語感性上、完全二重に表現できる言語。日本語は、この点において、非常に稀有で、機知に富んでいるのです。
・「わたし」と名乗ったとき、自分が広がって、相手に届きます。「We」と名乗ったとき、自分が広がって、相手に届きます。

わたし という語感から推測すると…
もしかすると、日本語の「私」というのは、一人称としての意味だけではなく、
主客が分離していないところの「私」なのかも知れないと思った。

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