胎児は見ている

最新医学が証した神秘の胎内生活

書かれた当時よりも、研究はどんどん進んでいる。
逆にいえば、当時でもこれぐらいのことはわかっていたのに、
それを大切に考えている人は、意外にも少ない。
神経質になる必要はない。
でも、大切にしたいと、思う。


●出生前の重要性

・出生前心理学(prenatal psychology) : 妊娠中の母親の心、胎児の心、その相互作用を研究する心理学 →「胎教」の学問的な基礎
・ごく近年まで、わが国では、生まれたばかりの赤ちゃんを”数え年”で「ひとつ」としたのは、それなりに理由があったと思うのです。これは、胎児や赤ちゃんに対する日本人の心の現われではないでしょうか。その心を大切に、私たちは子育てをしたいものです。
・精神医学というものを真に実りあるものにするには、出生前心理学と胎児医学についての新しい発見を、子どもならびに大人の精神障害の治療に組み入れていかなくてはならない。調査に回答してくれた精神科医の半分以上は、出生体験が性格に影響を与えるものと考えている。また、生後二年になるまでに物事を記憶することができると応えた者は四分の三を占めている。さらに、かなりの人が、出生前から記憶が存在すると答えている。

まだ今の世の中では、胎教というのは、
「好きな人がやるもの」ととらえられている感じがする。
そして出生の仕方については、ほとんど考慮されていない。
でも、違うのだ。とても大事なことなのだ。
●胎児が嫌がること・好むこと(物理的要因)

・胎生二ヶ月になるころには、胎児は自分の頭や腕、そして胴体を動かすだけでなく、母親の腹を正確に突いたり蹴ったりして自分の好き嫌いを表すなど、原始的なボディ・ランゲージを使っているという。胎児がとくに嫌がるのは、母親の腹を突っつかれることだ。母親の腹を押したり、突っついたり、あるいはつねったりすると、胎生二ヵ月半の胎児ですら、すぐに身をよじり始めるのである。
・冷たい水をひどく嫌がる。これは、母親に冷たい水を飲ませてみると、胎児が母親の腹を激しく蹴って不快感を示すことからわかる。
・この時期の胎児を観察してみて、いちばん驚かされるのは、味覚がすでに発達しているらしい、ということではないだろうか。(羊水の飲み込む回数の変化)
・聴力学者のミッシェル・クレメンツ博士によると、胎児が好むのはビバルディやモーツァルトの音楽で、これらの作曲家の軽やかで明るい感じのする音楽を産婦に聞かせると、胎児の心臓の鼓動は安定し、動きもおとなしくなるという。逆に、ベートーベンやブラームス、またロック音楽を聞かせると、激しく暴れだすという。
・胎生四ヶ月目から、胎児は光に対してひじょうに敏感になる。母親が日光浴をしていれば、胎児は抗戦の具合からそのことがわかる。母親の腹に直接光を当てると、胎児は気に障ることがたまにあるらしい。
・コロンビア大学の研究班は、飢餓にさらされたオランダ人女性から生まれた男の子の体格記録を調査した。その結果、どの子どもにも深刻な体重過多の傾向が見られたという。妊娠四~五ヶ月までに深刻な飢餓にさらされると、子どもに重大な影響が現れるとのことである。
・妊娠最後の三ヶ月間、それに出産後の一年間は、子どもにとって急速な学習を行う期間である。妊娠最後の三ヶ月間は、騒音の激しい職場、あるいは強度の不安をもたらす雰囲気のある職場で働いている女性は、直ちに辞めるべきである。

アルコールとタバコを気にする人し、最近ではカフェインにも注意がされるようになってきた。
でもまだ、冷たい飲み物、ダイエット、激しい音楽 に気をつける人が少ない。
一般通念というのは、いつの時代も遅い。
人がどうかではなく、自分で正しい信じることをしなければ、子どもが可愛そうだ。
●母親の心理が胎児に与える影響

・なんといっても胎児の世界を支配する音というのは、ドキッドキッという母親のリズミカルな心臓の鼓動である。そのリズムが規則正しければ、胎児はすべてに異常がないことを知る。つまり、胎児は自分が安全であると感じ、安心感に浸っていられるのだ。
・たとえば近親者の病気など、母親の精神的安定を直接脅かさないような不安の場合は、長期にわたるものであっても胎児に及ぼす影響がほとんどないか、あるいはまったくなかったが、長い間個人的なストレスにさらされると、しばしば胎児は影響を受けるという点である。そして、これらのストレスは、ふつうは夫に起因するものだが、時には義理の近親者による精神的緊張から惹き起こされることもあるという。
・これらのストレスを特徴づけるのは、個人的なものであるという点以外に二つあるという。一つは、それが日常的に続いたり、あるいは、いつまで襲われるかわからないといったものであり、もう一つは、それがどうにも解決不可能だとう点である。このようなストレスにさらされた女性の14人中10人までが、肉体的、あるいは精神的問題をかかえた子どもを産んだことがすとっと博士の研究で明らかになったが、博士が研究の対象としたさまざまな長期的ストレスというのは、どれも強烈なものであり、だからこそ、母親のホルモンが血液中に大量に”放出”され、その結果、高い割合で胎児に障害が現れたと考えられる。
・母親が直面しているストレスも重要だが、一番大切なのは、自分の胎児について母親がどのように感じ、考えているかだ。母親の思考と感情が積極的で慈愛に溢れていれば、この女性の子どものように、どんな衝撃にも耐えることができる。しかし、胎児を欺くことはできない。つまり、胎児は母親の考えていることをょ敏感に感じ取ることができるわけであり、自分に対する母親の態度については、よりいっそう敏感に感じ取るからだ。
・ストットは、胎児に及ぼす肉体的・精神的障害の最大の原因として、不幸な結婚生活やしっくりしない夫と妻との関係を挙げている。ストットが1300人の子どもとその家族を対象に最近行った調査によれば、労わりに満ちた不安のない関係にある夫婦に比べ、始終いがみ合って喧嘩ばかりしている夫婦からは、精神的ないし肉体的に障害のある子どもが生まれる危険が、約2.5倍にもなるという。ストットによれば、妊娠中における肉体的な病気、喫煙、ひじょうにきつい仕事など、よく知られた原因ですら、これほど胎児には危険を及ぼさないということだ。また彼の調査では、幸福な結婚生活を送っている夫婦よりも、不幸な結婚生活を送っている夫婦からのほうが、すぐに恐怖心に駆られるひ弱で神経質な子どもの生まれる率が5倍にも達するという。そして、こうした子どもは、幼児期になっても、なお、その問題に悩まされ続けるということで、四、五歳でも標準より体が小さかったり、臆病気味であったり、さらには精神的に見て過度に母親に依存しがちだという。
・子宮とは、胎児にとって最初の世界である。胎児がこの世界をどのように体験するかによって、胎児の人格と性格を形成する素因が形づくられるのは当然である。
・子宮とは、また胎児の期待を一身に集めている場所であるとも言える。そこが温かく、慈愛に満ちていれば、胎児は、自分が生まれ出る外部の世界も温かくて慈愛に満ちているものと期待する。これがもととなって、信頼、自信、外向性といった性格の素因が形づくられる。だから子宮と同じように、外部の世界はすぐに赤ちゃんのものになってしまう。これとは逆に、周囲の目が敵意に満ちていれば、胎児は自分が新しい世界からも快く歓迎されていないのだと感じ取る。こうして、猜疑心、不信、内向性といった性格の素因が出来上がっていく。さらに友達付き合いが下手で、我の強い子どもとなる。これでは、胎内環境に恵まれた子どもたちに比べれば、生きていくうえで不利なのは当然だろう。
・問題になるのは、引越しに伴う煩わしさと不安によって惹き起こされるストレスだ。
・胎内で恐怖に襲われたことを回想した人は、性的な点でいちじるしく自分に自信がなく、また性的な問題を起こしやすい。これに対し、胎内を心地よい平和な場所であったと回想した人は、性的に、より良好に順応している。これは、個人の性的態度というものが、胎内にいたとき、自分自身をどのように感じていたかということの現われではないかと思う。おそらく、自噴゛を外向的でバランスの取れた人間だと思っている人は、一般に性的にもそのように振る舞うだろうし、それに対して、自分の性格は、怒りや、憤りでいっぱいだと思っている人は、そのような性向を自分の性生活にも向けているのだろう。

要約してしまえば、次の三点ということか。
1.母親がお腹の子を愛し心の底から望んでいること。
2.母親の気持ちが安定している為に、その夫に理解があり協力的であること
3.母親の気持ちが安定していること
●出生の仕方がその後子どもに与える影響

・私たちは、生まれてきた赤ちゃんは何も感じず、盛んに祝福されても、それが何を意味するのかわからないと思っているようだが、これはとんでもない間違いだ。赤ちゃん自身にとって、出産、すなわち出生とは、もっとも重大な出来事なのである。つまり、その時に自分の性格の基礎が築かれるからである。自分がどのようにして生まれたか(苦しかったか、楽であったか、安産であったか、それとも難産であったかなど)によって、自分はどんな人間になるのか、そしてまた、自分の周囲のあらゆるものを、どのような目で見るようになるのか、その大体のところが決まるのである。
・私が扱った患者を見ると、帝王切開による長期的影響として、あらゆる種類の肉体的な触れ合いを強く望むという傾向がうかがわれる。この理由は、普通分娩なら体験する出生時の官能的な瞬間、よりわかりやすく言えば、責め苛まれるような苦痛と極度の快感とが、ともに帝王切開によって奪われてしまうからではないかと考えられる。こうした出生時の官能的な感覚こそが、成長してからの性に対する態度をある程度決めるのであって、帝王切開で生まれた人はこの損失をけっして取り返すことはできないのかもしれない。
・大部分の逆子はまったく普通の生活をしているが、幼児期になると学習能力の発達の面でいくぶん劣るようだ。
・ミシガン大学で行われた研究によると、不安に駆られた産婦は、落ち着いている産婦よりもはるかに陣痛が長いそうである。
・陣痛を最も長引かせ、子宮収縮を最も弱めた原因には三つあるという。一つは、”自分の母親との関係”である。母親が頼りがいがなく、母親としての役割に自信がなかったり不安に思ったり、さらに、自分にはその力がないと思ったりすれば、その娘が妊娠して母親になろうとする場合、似たような感情が生じる。スウェーデンでの最近の研究によれば、”不幸な娘”は、”幸福な娘”に比べて、妊娠・出産障害をきたす率がきわめて高いということだ。他の二つの原因とは、”母親になることに対する態度”、そして”習慣的な不安、悩み、恐怖”というものであった。言い換えれば、お産が最も楽だった女性とは、自分の母親との精神的葛藤も少なく、母親になることに迷いがなく、そのうえ不安も少なかったということになる。もう一つこの研究からわかったことは、普通の心配や不安なら、陣痛時間とか子宮収縮にはさほど影響がないという点である。
・不安を抱いていた女性は、すべて分娩中に最低一つは障害をかかえていた。その障害も比較的軽いものは、胎児の鼻に傷がついた程度のものであるが、大きなものとなると、早産や死産が見られた。これに対し”正常”と見なされた女性の場合、一人として分娩時に障害は見られなかった。
・博士によれば、緊張による偏頭痛は鉗子の使用が原因であることが多いという。
・誘引分娩(オキシトシン) 子宮収縮が自分の内部から起こったのではなく、どこか外部から押しつけられたような感じがするというのだ。そのため、産婦は自分の体をコントロールすることができず、子宮収縮とリズムを合わせるのがひじょうにむずかしくなる。そのうえ、自分の体だけではなく、胎児とも呼吸が合わなくなってしまう。こうして胎児は、生まれ出る”心構え”もできていないのに、子宮の収縮によって胎外へ投げ出される。
・分娩中に、強烈な性的快感を体験する産婦は多い。同様に胎児の多くも、産道を通る際に強い快感を覚える。これこそ胎児が体験する始めての肉体的接触であり(過去九ヶ月間、胎児は子宮の中に充ちている羊水で保護されていたことを思い起こしていただきたい)、それによって、胎児にぬぐい去ることのできない記憶が残される。胎児が産道に出ると、締めつけられ、こすられる。胎児の皮膚が直接刺激を受けるのは、まさにこれが初めてだ。刺激を受けると同時に、苦痛をも味わう。子宮収縮によって胎児の体全体に大きな圧力が加わるからだが、とくに頭、首、肩のあたりにかかる力は大きい。このような苦痛と快感の組み合わせが、その後の性的態度を大きく左右する。そして、一般的に言って、胎児が分娩中に多くの快感を得ると、正常な性的態度が培われる傾向が強い。したがって、帝王切開も誘導分娩と同様に偏った性的態度を創り出す可能性が大きいわけである。
・アメリカでは最近、障害を持った大人を治療するために隔離タンク方式が流行っているが、これは博士が開発し再出産浴槽方式と表面的に似ている。
・ある調査によれば、同じ早産児であっても、隔離されたままの子どもよりも、親が定期的に面会して、触れ合いを持った子どものほうがIQが高いとされている。

母子同室が主流になってきたので、この点はよい。
でも、誘引分娩とかフリースタイルの普及の低さをみると、悲しくなる。
帝王切開や何らかの医療措置が施されることが100%避けられなくても、
その場合にはなおさら、子どもと自由に面会できる必要がある。
●出生直後

・アフリカの田舎では、母親は、まるで袋でもかつぐように赤ちゃんを背中におんぶしたり、小脇に抱える。いずれにせよ、赤ちゃんの排泄物で母親の衣服はすぐに汚れてしまうはずである。ところが、不思議なことにアフリカの田舎では、そういうことはまず起こらない。どういうわけか、母親は事前に赤ちゃんの気配を察知することができるからだ。これは直感的な認識形態だが、別段珍しいことではない。事実アフリカの母親は、生後一週間も経つのに服を汚されたとなると、周囲から声高に”なってない親”としてバカにされるそうだ。
・研究に研究を重ねた結果、幸福で不満のない母親からは、頭のいい外向的な子どもの生まれる率が、はるかに高いことが知られている。
・学習が最も早く、また最も幸福そうに見えた子どもは、出生後、母親との”きずな”をしっかりと持っていたという点である。
・母子の”きずな”を持ったと見なされた子どもは、出産後すぐに母親から隔離された子どもに比べ、はるかに自立的で外向的な子どもになったということだ。
・子ザルにすら、このように見事な感受性があるのである。生後三日しか経っていなくても、これが人間の赤ちゃんだったらどうだろう。見知らぬ人間に囲まれ、温かみのない騒々しい新生児室に入れられたとき、赤ちゃんの頭の中を駆けめぐるのは何であろうか。そして、こうした大事な時期に、一切の人間的接触を欠いたら、その後の赤ちゃんにどのような影響が及ぼされ、さらに母親や父親に対する感情、ひいては自分の妻や子どもに対する感情にどのよう影響が及ぼされるのであろうか。赤ちゃんにとって、自分の母親と一緒にいたほうがいいという説に対し、疑いをはさむ余地はないのではないだろうか?
・男の子を望まれて生まれた男の子、また女の子を望まれて生まれた女の子は、成長してからの性欲が正常なだけではなく、鬱病になったり、凶暴性を発揮するような大人になることは少ない。そして、母親が女の子を望んだのに男の子が生まれた場合と、男の子を望んだのに女の子が生まれた場合を比べると、男の子より女の子のほうが大きな影響を後々まで受ける率が高い。
・”きずな”の深い母親は、けっして子どもを恫喝しない。”きずな”が形成されるのには特定の時期というものがあって、その時期を過ぎても”きずな”が存在していないと、母子にとって大きな影響が及ぶ。母子の”きずな”に関する研究では草分け的存在であるジョン・ケネル博士の研究によると、その限度は生後12時間以内であるということで、12時間を過ぎてから始まった”きずな”よりも、出生直後の”きずな”のほうが、母親は子どもに対して愛情を持ちやすいという。しかも、その差は出生直後に現れてくる。わずか一日かそこいらの間に、子どもとの接触が遅い母親よりも、接触の早い母親のほうがしきりにわが子を抱きすくめ、愛撫するというような違いが出てくることがわかっている。そうした母親を出産一年後に追跡調査したところ、自分の子どもをしきりに抱いたり、愛撫したり、手で触ったりしていたそうである。また、その一年後に再度調査したところ、今度は子どもに対する話し方が変わり、大きな声で叫びかけたり叫んだりする母親は、ほとんどいなかったという。おねんねの時間や、玩具で遊ぶ時間を知らせるにも、必ずやさしい声でそれとなく伝え、命令調になることはめったになかった。それと同時に母親の口調は、慰撫するような言葉や自我形成を促がすような言葉で子どもを豊かに、優しく包み込んでいた。母親から声をかけられただけで、その子どもたちは、自分が愛され望まれていることをすぐにわかるようになっていたのである。
・集中治療室から何人かの新生児を選び出し、一時間ごとに五分ずつ、しかも24時間ぶっ続けで10日間、看護婦らにこの新生児を愛撫してもらった。5分というのは長い時間ではない。また、間が腑だから本当の母親ではない。しかし、愛撫によって劇的な効果が現れたのである。つまり、選び出された子どもは、そうでない子どもより、早く体重が増え、発育も早いうえ、体も丈夫になったのである。それから数年後、別の研究チームがこれと似たような実験を行ったが、ひじょうに大きな変化がみられた。今度は看護婦ではなく、本当の母親に愛撫をしてもらった。初めのうちは、さして驚くようなことは見当たらなかった。ところが、四年後にこの子どもたちを調べたところ、大きな差が出たのである。すなわち、母親から愛撫を受けた子どもは、そうでない子どもより、知能指数が平均で、なんと15も高かったのである。
・チャンスさえあれば、男性でも女性と同じくらい、”母親のように”なって、子どもを守り、世話をし、刺激を与え、さらに子どもの欲求に応えることまでできる。…母親と動揺に、父親に対して没頭を促すのは子どもとの接触であるということだ。さらに、抱いたり触ったり、また一緒に遊ぶことに熱心になるそうだ。
・”代理の母親”は本来、自分が身籠っている子どもと精神的なつながりを持つことに抵抗を感じているのではないか。そうでなかったら、さほど苦しむこともなく子どもを手放せるわけがない。

生まれた直後1時間、そして12時間がもっとも重要で、
順に、乳児期、幼児期の順に影響力が少なくなってくる。
でも、「話せるようになってから絆を持とう」など、
全く逆の発想をしている人が多いのではないかな。これでは救われない。
まずラポールが必要だというのは、NLPでも常識だ。
●乳児期~幼児期

・子どもの知的能力の欠如についての調査で、低体重と読書能力の欠如とに相関関係が見られることから、低体重時は成長後も問題が多い、と報告されていることは注目に値する。
・子どもの話す能力を伸ばしてやるには、正確にタイミングを図るこどコツである。子どもが少しでも声を出せば、五、六秒以内にそれに相槌を打ってやる必要がある。さもないと、子どもは親の反応を自分の行動に結びつけることができなくなって、自分からもっと話したいという欲求が失せてしまう。
・子どもと一緒に過ごす時間が長ければ、知的・精神的発達は、幾何級数的に高まってゆく。
・親の収入、教育程度、社会的地位など、通常、子どもの力を測るうえでの物差しとされていたものが、マザーリングの質ほどには役に立たないとされたことである。またこの研究で、最も利発なうえ社会的に魅力があると見なされる子どもは、種々の背景をもっていたが、そのすべてに共通していたのは、母親がいずれも反応が豊かで熱意があり、よく話しかけ、さらに子どものために時間と配慮を惜しんでいなかったことである。
・センシティブな母親は、子どもの立場になって物事を見ることができる。何に対しても応答しているように見えても、子どもの要求を拒んだり、戦略的に信号を読み取り、別の適当な方法を考えたりしている。ついで、子どもの要求とコミュニケーションに応じて、母親自らの反応を示す。要するに、母親が全面的に拒否したりね干渉したり、無視したりすることはないわけである。
・センシティブな母親とそうでない母親との大きな違いはどこにあるかというと、自分の子どもを重視し、子どもの立場から世界を見つめる能力の有無にあるということになる。つまり、センシティブでない母親は、要するに自分の都合しか考えない我儘な存在であり、もっぱら自分の要求、気分、活動に合わせて子どもの相手をする。だから、子どもの信号を無視したり、見誤ることがよくある。大変なのは子どものほうで、おかげで子どもは自信を失ってしまうことが多い。
<感覚>
敷物や毛布など、その性質を探り感じ取ることができるように、子どもをいろいろな物の上に乗せてみる。
<視覚>
色とりどりの厚紙でモビールを作り、子どものベッドの上から吊るしておく。
<嗅覚>
食事の仕度をする間、子ども用の椅子にすわらせておく。親がそばにいることで子どもに親近感が湧くと同時に、子どもは台所の匂いを嗅いで何か新しい発見をする。
<聴覚>
子どもの目が覚めている間、ラジオやレコードをかけておく。新しい音を聞いて、子どもは刺激される。音楽は静かなものがよく、がなり立てるようなロック音楽は逆効果である。また、ラジオをかけているから、親がそばにいなくてもよいと考えるのは間違いだ。
・他人を近づける前に、その人がどういう人間であるかを見定める余裕を子どもに与えることが肝心だ。
・大事なルールが二つある。第一に、単に子どものためによいからといって、何かを強制してはならない。第二に、現実に子どもがその気になっていないのに、興味を押しつけてはならない。
・子どものことで自分が何をしようが、また何を言おうが、子どもが二、三歳までは大したことではないと考えるのは間違いである。すでに見てきたように、妊娠したときから、この点は大事だ。子どもはひじょうに知覚が優れていて、自分が敬意を持って扱われていないと感じれば、子どものみならず親にもそのツケが回ってくる。
・親に可愛がられない子どもの身長は伸びにくいということは、中世の昔からヨーロッパの小児科学で言われていたことです。例えば孤児院や病院にいる子どもたちです。これをホスピタリズムと言っていました。最近は、それが拡大されて Emotional or Maternal Deprivation Syndrome と呼びます。母親がいない、母親に可愛がってもらえない、また世話する人から優しくしてもらえない子どもの身長・体重の発育が悪く、さらには行動の異常などがみられることを示す専門用語です。
・忙しい時、子どもがお母さんに何々買ってと言ったときに、お母さんが「いまはママはお仕事をしているから、いけませんよ」と。それから、子どもを保育園に預けるときに、「ママはお仕事に行くから、夕方必ず連れにくるから待っててね」、「先生の言うことをよく聞いて、いい子にしているのよ」と言ったときに、それを理解する、我慢することができるようになる。お母さんにはお母さんの人生があり、自分には自分の人生があることを認めるのです。つまり自我の目覚めの裏の関係ですが、そういうことを理解していくことが分離というわけです。その分離をするときに、もしきずながなかったならかば、子どもはひじょうに不安なわけです。置いていかれたときに、もうお母さんは再び現れないんではないかと思ったりするのです。自立し、社会生活するために、私たちは、子どもにいろいろな躾をしなければなりません。集団生活をする、人間としての文化を持った社会生活をする、そういうことに必要なある種の基準なり規則なり、規範というものを教えるとうことが躾だと私は思うのです。
・乳幼児期の赤ちゃんの間は、人生というものは裏切らない、温かいものである、お腹が空いたら与えられる、寂しければ抱いてもらえるという体験をし、基本的信頼(basic trust)を子どもの心の中につくり上げることが重要なのではないかと思います。つまり、充分なアタッチメント、あるいは母と子のきずな、親と子のきずなということを考えて育てることが必要であると思うのです。そうすれば、子どもの社会性の芽生えとともに、自立していく過程で分離不安を起こしたりすることがないと思います。さらに、発育の過程で起こりうる行動問題、極言すれば登校拒否、暴力、非行なども予防することができるのではないかと、私は思っているわけです。

センシティブな父親でありたい。
社会性とかルールを理解させることとのバランスが大事で、
確かに自分も、ここには非常に気を遣った。
たまに、世の中の医学的な知識のない大人、乳児の発達心理を理解していない大人は、
信頼関係のない乳児にまでむりやり「ルール」を求めることがあるが
そういう暴力的な大人との接点からいかに守るかに苦心した。
●父親と母親の違い

・赤ちゃんはごく注意深く、両親に対して別々の役割を求めているのではないかと思う。自分の要求に応じて、それを自然に使い分けているのであろう。
・母親と子どもの相互作用の研究者の仲には、お母さんと子どものやりとりを見ていると、母親に対する子どもの動きというのは、ソフトな滑らかな波だと主張する人がいます。われわれだって女性、とくに美人を見るとやわらかくなってしまいますから、それと同じではないでしょうか。ところが、父親に対する赤ちゃんの動きを見ていると、見たとたんに赤ちゃんの動きの波が激しくハードになるわけです。このように、「父親と子ども」と「母親と子ども」の関係は本質的に違うと、私は考えています。

父親に理解があるかどうかは、
たぶん授乳期に子どもとどれぐらい接したかどうか、だろうなと思う。
いくら立会い出産をしても、それだけでは意味がない。むしろその後の1年が重要なのだ。
そのことに気づかずに、後から「夫が協力してくれない」と言っても遅い。
授乳期に深くかかわった父親なら、妻が頼まなくても、
きっと自発的に育児に協力的になるはずだ。

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