99.9%は仮説


これは良書。
子どもたちが中学生くらいになったら、ぜひとも読ませたい感じ。
ちなみにこれは、コミュニケーション論の本なのかも知れない。


●科学は真理ではなく仮説

・よく「科学的根拠」がないものは無視されたりしますが、それはまったくナンセンスです。なぜなら、科学はぜんぶ「仮説にすぎない」からです。
・今日、常識だと思っているものが、明日、天才科学者の出現によってまちがいであると判明するかもしれないのです。つまり、常識というやつは意外にもろいのです。常識はくつがえるものなのです。
・われわれの世界観、われわれが親から教わること、われわれが学校で教わること、そういったものは、すべて仮説にすぎません。
・科学においては、完全な証明というものは永遠にできない。
・仮説でしかない世界を確定したものとみなすのは、単なるごまかしにすぎません。それは精神の「死」を意味するといっても過言ではありません。

常識とか「当たり前」という前提を信じこんで手放せない人が多い。
それに対して、どんな分野でも、天才は非常識。
仮説は仮説としてちゃんと理解しているから、変なとらわれがないってこと。
●科学=反証可能性をもつ

・疑似科学や宗教といわれるものと科学はなにがちがうのか? ポパーはそれらを区別する方法として、「反証可能性」「科学は、常に反証できるものである」とはっきり定義したのです。ひらたくいえば、理論に反する実験や観察がでてきたらその理論はダメだということを潔く認める、それが科学だっていうんです。それに対して、たとえば疑似科学とか宗教とかいわれるものは反証可能ではない。「いやいや、実はそれでもかまわないんですよ」というように、常に言い訳をしちゃうんですね。疑似科学の場合、ひどいときは理論も実験もまったく無視することさえありますから。

この定義はとても興味深い。
科学には、100%完全な証明はないというのは、そういうことか。
反証可能性を秘めているということは、全部仮説だということ。
そしてそういう潔さがあるということ。
オカルトの方には、そのような紳士的な論理性?というべきものがない
なるほど。これは勉強になった。
●科学的な態度

・否定しないのが科学的な態度ですよ。「そんなことはありえない」と頭ごなしに否定するのではなく、「限りなく黒に近いかもしれないけど、これもやっぱり仮説のひとつだ」と肯定的に考えるべきなのです。そういった科学的なものの見方を身につければ、必ずあなたの世界は広がっていくのです。
・話が通じないのは、お互いがあたりまえの前提と考えている複数の仮説が食いちがっているからかもしれません。同じ字面の言葉を使っているのに、その意味がズレてしまうのは、背後に潜んでいる仮説のせいなのです。つまり、話が通じないのは、自分の仮説が相手に通じていないということです。また、相手の仮説を自分が理解していないということでもあるのです。だとしたら、喧嘩になるまえに、いま一度、「この人は、どんな仮説の世界に生きているんだろう?」という具合に相手の心を読んでみればいいのです。
・では、より大きな視点とはなんでしょうか? それは、「間主観性」と呼ばれているものです。英語では「インター・サブジェクティヴ」です。主観と主観のあいだの関係を意味します。客観的な唯一の仮説は思想統一と同じですから、まずあきらめましょう。よく(特に学問の世界では)、ものごとは客観的にみるのがよいとされていますが、世の中に100%の客観などありえないのです。少し哲学的になりますが、客観とは、ある意味で主観の寄せ集めなんです。

とくに、精神性とか精神年齢の高さとかというのは、
異なる立場・異なる現実を持つ人にいかに共感できるかということ。その共感能力・理解力のことをいう
という話があるけれど、まさにこの科学的な態度のことを言っていると思う。
科学的な人というのは、コミュニケーション能力が高いというか、
怒ったり些細なことで喧嘩になることは、ないってことだろうな。
他人にとっての現実・異なる現実を受容できるかどうか。
Bhuddhismが哲学であり科学だというのは、まさにこのあたりに依るのだろう。
●これも仮説

・13歳から17歳までのアメリカの若者に、ダーウィンの進化論についてアンケートをとった結果があります。それによると、ダーウィンの進化論は証拠によって支持された、検証済みの科学理論であると思っている人は37%。たくさんある仮説のうちのひとつにすぎず、それなりに懸賞されているが確定的ではないと思っている人は30%。
・ビッグバン仮説は、ある意味、ダーウィンの進化論に近いといえます。なぜなら、宇宙の起源については黙して語らないが、その後の宇宙の発展は、ビッグバン仮説によってうまく説明できるからです。

進化論は仮説に過ぎない という話は自分もきいていた。
そうか、この気持ち悪さは、ビッグバンとの対比でよくわかった。
ビッグバン同様、時間のはじまりの後のことは語っていても、
「起源」について何も語っていない、そのことが気になっていたんだ。だから仮説のわけか。
進化論とその他の何かの理論を止揚する理論が、あっていいはず。
●宇宙論における仮説

・ホーキングのわかりにくい理論のひとつに「虚時間仮説」というものがあります。虚数の時間を使うと、宇宙がはじまったときの計算がうまくできるんですよ。すると、そこからさまざまな予測がでてくる。それができるので、彼は虚時間というものを使うんですね。
・ホーキングにとっては、この世界全体がバーチャルでもいいわけです。実験対象が存在するかどうかについては、自分は興味がないというんです。それは、証明できないものだからっていうわけです。彼は、ある意味で、世界が実在するという、世の中のみんなが信じている根本のところを共有していないんですよ。
・ホーキングは、空間や時間というものを実在するものとして考えてはいない・・・
・もしかしたらホーキングは、現実と夢を区別していないのかもしれません。現実と夢を同じレベルで扱っているのかもしれません。ある意味でそれは、究極の世界観です。

ホーキングの考え方って、仏教的な空の理論に近いなと思った。
今まで読んだことなかったけど、いまさらながらホーキングの本を読みたくなった。
興味深い。
●その他

・そもそも「科学」という言葉は、明治時代に西周が考えだした訳語だといわれています。そのココロは、「多くの科に分かれた学問」。つまり、細分化・専門家された学問ということです。もともと西洋では、科学の前身は哲学でした。たとえば、ニュートンは自分のことを自然哲学者と考えていましたし、著作にもそう書いてあります。
・「大石内蔵助は、吉良邸の門前で太鼓など叩かなかったのだよ。」「あの太鼓は、もともと歌舞伎からきている作り話なんだよ。だって、的に奇襲攻撃をかけようとしている人が、わざわざ、これから討ち入りをしますよーなんて敵に教えるはずないだろ?」「当時の武家屋敷には、表札なんてかかっていなかったんだ」「いまでも、たとえば皇居に表札はかかっていないだろ? 偉い人の家は、みんな、そこにだれが住んでいるのか知っていたから、現在の小さな家のように表札なんていらなかったんだ」つまり、テレビの画面に映しだされていた世界は、いわば随所に黒い仮説が入りこんだとんでもない代物だったのです。

テレビの演出は、リアリティが高いから本当に困る。
とくに、知らず知らずのうちに子どもに対して、虚構を真実として
嘘を教えている可能性があるということ。
学校で習う歴史もそうだけど、まだ情報量が少なく判断力に欠ける子どもに
テレビのようなものを見せるのはとても危険だな。

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