人間関係を育てるものの言い方

「あなた」も「私」も大切にする自己表現法

アサーティブコミュニケーション
について書かれたものは色々あるけれど、
ETWのこれはとてもわかりやすい。
人生=人間関係といってもいいほど。
とくに女性には強くおすすめ。


●アサーティブになれない理由

・自分に不満が残るのに、他人に「いい子」と思われたい、あるいはその場の、その時の人間関係をスムースにするために、我慢してイヤなことでも引き受けてしまうのはなぜなのでしょう?
<驚き>
突然の申し出なので、充分に自分の気持ちを確かめられないでいる。にもかかわらず、つい「はい」と答えてしまう。「ええ、まあ、いいわ…。何とかなるでしょう」「えっ、明日!? じゃ、何とかしましょう」
<喜ばせたい>
相手に気に入られたい。喜ぶ顔がみたい。
<認められたい>
みんなに喜んでもらいたい
<人を傷つけたくない>
断ったら傷つくんじゃないかな。
<罰や損を恐れる>
今度から招かれなくなるとイヤだから。私がワガママなのかしら。断ったら、今度どうおつきあいできるかわからない。
<権威への服従>
あの人の言うことのほうが私より正しいかもしれない。相手は上司だから、言う通りにしておこう。
<お返し>
私もいつかそうしてほしいときがくるかもしれないし、お互いさまということで、仕方ないわ。
<社会通念に従う>
協力することが大切。世間の人がどう思うかわからないし。
<相手の身になる>
私だって、こんなときは承知してほしいから。気持ちがよく分かるから。
<義務感>
親としての義務だから。家族の一員なのだから。
<犠牲的精神>
私さえ我慢すれば、みんながうまくいくんですもの。波風を立たせないためには、私が引き受ければいいのよね。
<権力志向>
えらくなるチャンスだわ。断れば私に能力がないからだと思われるから。
これらには、「いいえ」と言わなければ相手に好かれるのではないか、との前提があるように思えます。

他では、私も含めて、経済的な自由を得ていないほとんどの人は、
上司に対して「罰や損を恐れている」があてはまるような気がする。
経済的な自由が得られれば、多くの人は自由で率直になれる。
守るものが出来ると、なおさら、アサーティブになりにくい。
やはり、起業して自由になるほか、ないんだろうなぁ。
その他の場合では、私がアサーティブになれないのは、
「驚き」が原因であることが多いかも知れない。
●幼少期の影響

・父は覚えていないかもしれないけれど、三〇年経った今でも、私の中に大きな傷跡となっているあの日の出来事が、私に、父に対する憎しみをつのらせているのです。その朝、幼稚園に行きたくないと言った私に、その理由を聞きもせず殴り、泣く私の手足を縛って暗い押し入れの中に入れましたね。泣き叫び「ごめんなさい」と謝る私を許さず、二時間近くも暗い中に閉じ込め、出してもらったときには、小さな私の手足には、紫色の跡が残っていました。今でも私は、あのときの押し入れの中の暗さと、手足の紫色が忘れられません。そして自分の泣いて謝る声をも忘れられないのです。父をどうしても受容できない私の行き着くところはやはりあの日なのです。

子どもをパワーで抑えるような教育は、
その子のアサーティブネスの発達を阻害してしまうことになる。
常に、「自分の意見を言うことを求める」という教育は、
この意味で望ましい。
●アサーティブの意義

・自分を犠牲にしてまで他者の満足に奉仕して、その結果、心の底に不満が残るのでは、自分を大切にしていないことになります。そこで、自分はどうしたいのかを自分がはっきりさせる「わたし探し」が、ここではも大切になってきます。「自分をとるか」「相手をとるか」というよりも、自分を大切にするのと、相手を大切にするのと、どのようにバランスをとるのかという、自分なりの選択をしていくところに自分らしさが発揮されていくのです。
・自分の気持ちをはっきりと伝えることは、自分は何を大事にしている人間かをあきらかにすることになります。ある意味で勇気がいることですが、自分のことは自分で責任をとるということを、日常的な行動で実行しているにすぎないとも言えるでしょう。
・自分が何を大切にしているか – 自分らしさ – を、こんな小さな場面で確認していけます。自分自身を表現しないということは、自分を否定する行為ともいえ、自分への自信にはつながりません。それは、自分を大切にする感情、自分に価値を認める「自己価値観」(セルフ・エスティーム)をもちにくくする道でもあります。自分を表現することで、自分の思い・考え・感情も大切 – 私も大切 – という自己価値観、つまり自分への自信が築かれ、さらに自分らしい人生を歩む足どりが確固たるものになることでしょう。
・自分を装ったり、ごまかしたりして表現すると、ごまかした自分に対する他者の反応は得られても、そして、それが好意的であっても、それは本当の自分の姿に対する反応ではありませんから、自分が生きている実感はうすいでしょう。「自分らしく」とか「自分の人生自分が主役」からは遠ざかります。人間が成長する過程の中で、「自分をかくすこと」「人並みにやること」「周りの(相手)がよいと思うことをすること」が強調されると、自分が自分のままでいるといけむない、それだと人からよい評価が得られないのではないか – と思い、いわば自分をあざむくことを学ぶということが案外多いのではないでしょうか。自分は自分のままで人生を勝負してみよう、と思いはじめたとき、自分のままでいること、自分のままを表現することについて、あらためて学ぶことが必要になります。

平たくいえば、自分に嘘をついて生きていると、
自分のセルフイメージがどんどんどんどん傷つけられ、小さくなってしまう。
本当に些細なこと、一瞬の選択が、とても大切なのだ。
「自分は何を選択するのか」
この意味で大変参考になる教師は、「子ども」だ。
●NOの伝え方

・返事のわたしメッセージも主語は「わたし」
・返事のわたしメッセージは、二部構成が効果的です。すなわち、「いいえ」という自分の意志を表現する部分と、相手の欲求が自分に与える影響を述べる部分と、二つの部分があるほうが、明確な表現として、相手にわかりやすいのです。
・相手からの依頼を断るという気持ちを明確に表現します。「私はやりたくありません」「お断りします」「入らないことにしました」などです。自分の選択した意志であることが相手にわかる言葉を使います。「私にはできないわ」「とんでもない、力不足ですから」「主人がダメって言うので」といった表現は、自分の意志ではなく、外的な条件のせいで、「(やりたいけれど)できない」ことを示し、自分の人生を自分が主役で生きていないと言っているのと同じです。断られた相手は、では「できるような条件を私が考えてあげましょう」と思い、例えば「それでは、私からご主人にお話しましょうか」とか「いえ、あなたに力不足と言われては、他にできる人なんかありませんよ」などと、さらに食い下がってくることだってあるでしょう。要は、自分の決定に自分で責任をとって生きる気持ちが自分にあるかないか – 自分の人生を自分らしく生きる、その自分らしさの旗色を明確に打ち出したいか否か、ということで、表現が変わると言えます。
・不安を克服する方法としての 3Rとは、準備、リハーサル、リラックス(Readiness, Rehearsal, Relax)の頭文字をとったもので、この順番に進んでいくと、不安が消えていきます。

角が立たないように、という目的で行う婉曲表現としては、
何か外的なもののせいにして断ることも多い。
でも、やはりそれはアサーティブではないし、自分を大切にしていない。
私は、もっと自分を大切にして、いい。
断る時は、何か他のせいにするのではなく、「それはいやだから」と言うべき。
これ、考えておこう。
●アサーティブコミュニケーションの効果

・「いや」なときには「いいえ」をキチンと言う人だということがわかってくると、その人の「はい」は本当の「はい」なのだということで、余計な気を使わなくてすむようになり、お互いの人間関係は、本当に風通しのよい楽なものになってきます。本音で生きることの大きなメリットと言えましょう。

そしてこれだ。
仕事を失うかもしれないという恐怖さえどうにかなれば、
NOをいう人間になることで、このメリットを実感できる。
はじめから「あいつはそういうやつだ」と思われた方が、楽。
●頼み方

・相手に協力を頼むためには、まず自分の本当の欲求を知らなければいけません。自分の人生を自分が主役で生きる人は、自分の欲求を知っている人であり、その自分の欲求を満たしながら、かつ相手の欲求も尊重していく人ですが、
・充分な理由と共に自分の求めていることを表現した後、それに協力する行動をとるかどうかは、相手が決めるのです。相手に特定の行動を無理強いするわけではありません。相手の自発的な協力が得られたら、それは相手の思いやりですから、「ありがとう」と伝えられます。

これは、子どもに接するときに、とくにおさえておきたいポイント。
「あなたのためを思って」のような卑怯な頼み方はやめよう。
●対立と交渉

・影響を認めたからといって、自分の行動を止めるわけではないときには、対立がおこります。これを<欲求の対立>と呼びます。
・もし、相手が「自分の行動はそんな影響を与えていないはずだ」と認めず、自分の行動を変えない場合には、この対立は<価値観の対立>とよばれます。
・欲求の対立の場合には、両当事者が一緒になって、どうしたらお互いの満足のいく解決策になるかを考える方法をとります。価値観の対立の場合には、まったく別の方法で解決をはかります。
・価値観の対立があるときに、自分の考えや経験を語ることで、相手の価値観に影響を与えようとする行動を、コンサルタントになると言います。
  情報・データ・経験・思考能力が豊かであること
  提供した情報・思考内容に影響されて変化するか、しないかは相手に任せること
  くどくど言わない。きちんと情報と思考を相手に提供するのは一度だけにすること

 
よく考えたら、価値観の対立に対する親業の手法は、
つねにWIN-WINなのだから、ビジネス交渉でも使えて当たり前。
もっと、仕事の中でも使ってみよう。
●援助の仕方

・忠告したり、提案したり、叱咤激励するのは、相手が問題解決する能力がないから、自分が何かしてあげなければならないとの思いがあるからです。相手に任せておけないのです。相手を本当に助ける行為とは、相手が自らの悩みを克服する手伝いをする – すなわち、相手の悩みを取り上げないことが、大原則です。相手もその人生の主役として生きる人ですから、自分に関わることについて自分で決定し、その決定の責任を負っていく存在です。したがって、その悩みを悩み、成長していく機会を奪ってしまっては、その人を助けることにはならないと言えましょう。
・共感する思いはほんものであることが大切です。ただ役割で共感したフリをするといったことでは、相手の自己洞察も自己成長も促されません。
・人に援助の手を差しのべるためには、まず自分がある程度の欲求を満足させていることが、大きな前提といえましょう。人を助けるためには、いわばまず、自らを助けておくことが必要なのです。ゆとりがあってこそ、他者に目がむけられるのですから。
・さらに、達成感を自分について味わってない人が陥りやすい一つの危険は、他者に手を差しのべることで達成感を味わおうとする貪欲さが、援助をする行為の底にみえるときです。相手が悩みをもち続けることを受容し、援助するのとは異なり、相手が悩みを解決することが、自分にとって達成すべき目標となってしまいます。すると、相手の悩みが解決したら、自分が何かを達成したかのような喜びがあり、解決しなければ、自分の失敗のように感じるようになります。これは、相手の喜怒哀楽への共感とは別ものです。自分が何かを味わいたくて他者を助ける – このことは果して本当に他者を受容し、共感し、ほんものの関係を築くことと両立するのか疑問ありです。
・相手を助けることからのみ人生の満足や達成感を得ることも、人生の中にはあり得るとは思いますが、相手が自分のペースで自分の悩みを克服し、成長していくのを本当の意味で助けるためには、助けようとする自分は、人生の満足や達成感をすでに他から手に入れていることが必要と言えます。
・相手の自己成長を促すために自分にできることは何か。それは、相手が自らの悩みに耐え、生理し、解決策に至るまでのプロセスに同伴しながら、そのプロセスを進みやすくすることで、いわば相手の鏡となって、相手の姿を写し出してみせることと言えます。具体的には、話を聞くことで、相手の自己表現を助けます。
・「そのことについて、どう感じているのか、もっと知りたいわ」
 「その話は、そこで終りにしていいの?」
 「私は時間があるから、もっとお話しいただいて、大丈夫よ」
・こちらが相手の話を聞いた結果、相手がどんな結論を出すかは、こちらの関心事ではないとすら言えるのです。そのときその場で、相手の世界に身を置くことが<能動的に聞く>ということです。

ここが重要ポイント。
もっとも難しく、もっとも高度なところ。
男性が女性に対してどうあるべきかについての秘儀もまったく同じだし、
セールスをするときに顧客にどう接するべきかということも、同じ。
子どもに対して親がどうあるべきかについても、やはり同じ。
とくに、自己満足(共依存)による援助は、いちばんよくない。
●その他

・環境そのものを物理的に変化させることについても、積極的に考えてみることは大切です。与えられた状況だけが、自分が活きるところではないのです。自分が働きかけて、自分のおかれた状況を変化させることで、より自分の求めることが満たされ、自分が主役の生き方を実現させることができます。

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