実践セルフアサーショントレーニング

エクササイズと事例で学ぶ
感情の筋肉を鍛える

特にロープレ事例が秀逸。
コミュニケーション・人間関係の悩みがつきない現代において、
アサーショントレーニングは、最後の救いとなるような気がする。
小学校や中学校では、道徳にも何よりもまず、
ここにかかれてあるようなアサーション権やアサーティブネスについて、
教えてくれたらいいのになと思う。

p4にあるプログラム構成の図が、先日読んだばかりのU理論のUの形になっていて、その偶然性に驚いた。
それから、後ろの方にあるロールプレイ事例がとてもすばらしい。

●アサーション権

1.だれも、尊敬をもって扱われてもよい
2.だれも、自分の感情と意見を持ち、それを表明してもよい
3.だれも、自分の自説に耳を傾けてもらい、まじめに取り上げてもらってよい
4.だれも、自分にとって大切なものをはっきりさせてよい
5.だれも、申し訳ないと思わずに「ノー」と言ってもよい
6.だれも、自分の欲するものを要求してもよい
7.だれも、自分の支払ったものを得てもよい
8.だれも、専門家から情報を得てもよい
9.だれも、失敗してもよい
10.だれも、自分の意見を主張しないでいてもよい

自分が子どもと接する上で、自分が妻と接する上で
パワーによって抑圧をしていないかのチェックの為にも、このアサーション権を
プリントアウトして机の目立つところに貼っておこう。

●アサーションの基本

・アサーションの目指すものを一言で表現すると「自分のボスは自分である」ということです。TAの言葉で言えば、自律(立)性を育てることです。
・あるとき、自分の人生が大幅に無理をしていて歪みが大きく、生き方としてはロスが多いと気づいたときには、いつでもどこでも、いままで築いてきた人生脚本を変えることができるといわれています。このことをTAでは「再決断」と呼びます。
・そもそもコントロールとは、感情の抑圧ではありません。感情の抑制能力の意味です。つまり、自分が自分の感情を受け止め、受け止めた感情をよく味わい、それを言語化し、さらに必要であれば表現する能力を意味します。残念ながら現代社会は、感情を受け止め、豊かに味わい言語化して表現することにちゅうちょすることで無力化する風潮があるようです。ある感情をきちんと受け止めながらもクールさを装ったり、その感情を偽の感情にすり替えたりして、自分の本質的な感情を隠したり、人に知られまいとする傾向があります。
・不安という感情は、現実問題に隠れてなかなか認識しづらいものかもしれません。もしくは、不安を否定する人もいるでしょう。けれども、大切なのは自分の感情に気づくことであり、それが現実の問題解決につながるのだということです。なぜかというと、自分の本当の気持ちを棚上げして相手とかかわることは、自分も相手も尊重していない状態であり、根本的な問題解決にはならないからです。
・アジア大陸の国民性は相手よりも自分の意思を断言する傾向が見られます。さらに、欧米の国民性は、自分の意思や立場を主張し、受け入れられないと攻撃的行動で表現することが多いようです。したがつて、特に欧米でのアサーション・トレーニングは攻撃的行動をアサーティブ行動に変えていくことが主体となっていると聞いています。
・現実にかかわっている相手に対して怖いと感じることは、相手の感情を優先していることです。実際に相手が怒っていたり、怒っているのではないかと先回りして考えてしまう。または自分の主張によって相手が取るであろう態度を想像してしまう場合などがあるでしょう。それらすべては相手自身の感情ですから、その感情に責任を取る必要はないのです。問題解決は相手の感情に対してなされるのではなく、それは相手自身が処理をするものです。反対に、自分の感情は相手の責任にするのではなく、自分自身で解決するものです。
・強い責任感で妥協をしない行動は立派ではありますが、無理をして行うことは精神的健康に跳ね返るものです。自分ができることをどのように行うかが重要であり、その結果に生じる相手の気持ちや事柄には責任を負えないのです。

10代後半から20代前半までに関わってきた友人たちの影響と、
現在の外資系企業の環境が、私にとってはよい訓練になってたんだなと思う。
私も含め日本人としては、放っておくと、受身的行動(非アサーティブ)に傾きがち。
そして彼らはどちらかというと攻撃的行動(非アサーティブ)に傾きがちだ。
その両方を見つめることで、ちょうどいいバランスのとれたアサーティブが何かを
自然に理解できてきたと思える。

●ワーク : ディスカウントをやめる

「できない」という言葉には大きな落とし穴があるわけです。これは自分の可能性をその時点で台なしにしている言葉になります。
・ディスカウントは、何が何でも防止する、やめるということがとても大切
・非アサーティブ行動の多くはこのTAのディスカウント、つまり値引きと大いに関係があります。厄介なことにこのディスカウントというのは自分で気がつかないものなのです。
・「できないリスト作成」自律性を阻む言葉を変える。
  1.日常的にできないと思っている行動を直感で五個リストアップし、「私」を主語にして 私は○○できない と書く。
  2.つくったリストを、~しないという文章に書き換える。
  3.どのようなことに気づいたか

これは、周囲とシェアしたいワーク。

●ワーク : 人生脚本の解放

・子供は家族療法家、といわれることがあります。なぜなら、子供は家族の中に危機状況が起こると、それを救うためにさまざまな問題行動を起こして家族の結束を高めようとするからです。例えば、家族のなかに不登校児ができるとその家族はその不登校児を中心として結束を固めることがあります。
・アサーティブ行動とは、自分も相手も大事にされたという実感の伴ったWIN-WINの人間関係をつくることです。自分が損をしたとか相手をやっつけたとか、相手の犠牲のうえに自分の目的を達成したという人間関係ではありません。その代わりとして、自他ともに大事にされたという実感のある人間関係を構築していくことなのです。
・非アサーティブである攻撃行動、または受身行動が生まれる理由はいくつかあります。一つは生育史の問題です。もう一つは文化があります。その人がどのような文化で育ったかということです。最後は認知の側面です。
・私達の日本文化のなかに、「自慢話をする奴にはろくな奴はいない」とか「自慢話をすると天狗になる」という価値観があります。これは固定観念であるし偏見といえます。
・このチェックリストは、自分を不当に歪めている禁止令に気づくことが狙いです。ちなみに私は、「重要であるな!」「成功するな!」という禁止令を受け取っていたと気づきました。
<拮抗禁止命令 言語 → 許可する>
1.完全であれ → 未完成であってもいいんだよ
2.強くあれ → 弱みを見せてもいいんだよ
3.親(他人)を喜ばせろ → 自分を大事にしてもいいんだよ
4.もっと努力せよ → 楽しんでもいいんだよ
5.急げ → ゆっくりやってもいいんだよ
<禁止令 非言語>
1.存在するな!
2.重要であるな!
3.感じるな!
4.考えるな!
5.成長するな!
6.成功するな!
7.子どもであるな!
8.仲間入りするな!
9.お前自身であるな!
10.健康であるな!
11.~するな!
12.属するな!
13.欲しがるな!
★母親だったらどう解決したでしょう
★父親だったらどう解決したでしょう
★あなたのお母さんは、あなたを叱る時何といいましたか
★あなたのお父さんは、あなたを叱る時何といいましたか
★あなたをほめる時、お母さんは何と言いましたか
★あなたをほめる時、お父さんは何と言いましたか
★自分自身、内心でどんな反応をしましたか
★お母さんから受けた忠告の主たるものは何ですか。
★お父さんから受けた忠告の主たるものは何ですか。

人生脚本というのは、私がよく「子どものころに親に掛けられた催眠」と呼んでいるものと同じ。
このチェックシートを使えば、何が催眠になっているのか、簡単に炙りだすことができそう。
すばらしい。

●ワーク : その他

・Big I と、その中にある Small I
・非アサーティブ行動をアサーティブ行動に変えるには二つの課題があります。
 1) 「過去と相手は変えられない。変えられるのはいまここにいる自分だけである」このことを認識または気づくこと、そして行動に移すこと
 2) アサーティブな視点から、感情の問題解決をおざなりにしないということ。おとなになっても引きずってしまう悲しみの感情は、偽りの感情なのです。悲しみをパワーに変えていくためには本物の感情に気づく必要があります。事例では、心理ゲームの報酬として得ていた悲しみの代わりに怒りに気づくよう介入をしています。さらに怒りの感情に直面する援助をしています。その後の再決断は、両親の養育的な側面を本人が認知し、自分の健康なパーソナリティの一部になるよう「統合」をしています。したがって、怒りを感じたときには怒りを表現してよいし、さらに怒りだけでなく楽しく過ごすこともあるのだということを学んだのです。
・論理両方の創始者であるエリスは、子どものころから「スピーチ不安」と「社会不安」という二種類の不安を抱えていました。「スピーチ不安」は、場数を踏むことで克服しました。一方、「社会不安」は、ニューヨークのブロンクス植物公園で100名の女性に声を掛けた結果、不安をつくっていたのは自分であるということに気づくことで解消しました。

後藤さんやMr.Xが言っていた、ナンパ1000人のトレーニングとか、新人時代の飛び込み営業トレーニング
(この目的は、成功することではなく、いかに早く1000人に拒絶される体験をするか)
というのと同じ話。大切なことは、不安幻想から解放されること。

●分析 : PACの汚染

・自我モデルのPAC…おとなの「こころ」とは、一人のなかに三人が共存しているような状態だと表現されることがあります。
 アサーティブ行動は、このダブル汚染が解除されたもので、現実検討力が非常に高まり、状況に即した適切な行動を取れるわけです。
  P Parents(親) : 理想に生きる私
  A Adult(成人) : 現実に生きる私
  C Child(子ども) : 感じる私
 1) P/A/C 汚染されていない(成人)、健康的な自我状態
 2) P→A/C 親が成人を汚染した結果、偏見となる
 3) P/A←C 子どもが成人を汚染した結果、恐怖症や妄想となる
 4) P→A←C 親と子どもの両方が成人を汚染することもある

こういうモデルとかフレームワークを理解することで、
自分の心の状態を客観視できるということが、何よりも一番大きな収穫なのだろう。

●分析 : ストローク飢餓

・子どもとは本来、周りの親とか家族から身体的に触れられることへの欲求を持っている存在であると考えます。しかし、常識を備えたおとなは、そのような欲求を使う代わりに、他の方法も学習して知っているとバーンは述べています。その代わりは何かというと、承認されることへの欲求です。この前提から、人間とは、認められることへの飢えという「認知飢餓」を常に持ち合わせている存在である、という仮説ができました。
・人間はストローク飢餓に陥ったときには、最悪な人間関係、例えば暴力という刺激やいじめという刺激あるいは人間関係さえも、自ら進んで受け入れるという傾向が考えられるのです。例)非行少年や暴走族のグループに入った子どもがなかなか健康な人間関係のグループに移れずにそこにとどまるとか
・われわれは、八割がたのストローク貯蓄があると、ディスカウントせずに非常に健康に生きることができます。
・ストロークの種類…強烈なのは、この三つが一度に行われたとき。
  1.身体的ストローク(タッチストローク)
  2.非言語的ストローク(ジェスチャーや表情などで伝わる言語以外のストローク)
  3.言語的ストローク(よくやったね がんばってるね ありがとう うれしかったよ)
・ストロークの分類
  最上 : ポジティブで無条件のストローク(条件付きのストロークではなく、掛け値なしの存在を認めているという部分に与えるストローク)
  良い : ポジティブで条件付きのストローク(宿題済ませてからテレビを見ている太郎君はお利口だね 正直に話してくれた花子ちゃんは立派だよ)
  普通 : ネガティブで条件付きのストローク(大勢の中で大声をあげる君は良くないね 弱い者いじめする次郎君は良くないね)
  NG : ネガティブで無条件のストローク(問答同無用で一言「嫌い」とか「うせろ」とか「死んじまえ」などの言葉)
・アサーティブ行動とは、この存在認知であるストロークをほぼ八割がたストックしている状態で行えるものです。
・ポジティブで無条件のストロークを…
 75以上ストック → 生き生きとした行動ができる アサーティブ行動
 50%に目減りすると → 自分では意思決定ができなくなり、人に依存的になることがある
 25%以下に経ると →うつ状態になり、布団をかぶって雨戸を閉めて寝てしまっている状態

子どもとのかかわり方において、肝に銘じておきたいところ。
結果をほめずに努力をほめるべきという話とも、つながる。
 
●分析 : 社会不安障害の判断基準(4/8項目抜粋)

  他人の注文を浴びるような状況で、恐怖を感じ、自分が恥をかくのではないかと恐れる
  自分の恐怖が過剰、不合理であることに気づいている
  恐れている社会状況になると、ほぼ必ず不安を感じる
  回避行動や不安を予期することで社会生活に障害が出ている

●分析 : 怒りの状態構造に関するモデル

  a) 怒りのコントロール → 決断/受容/軽い苛立ち(★アサーションなどの肯定的な対処モデル)
  b) 怒りの内在化    → 医学・生物物理学的障害
  c) 怒りの外在化    → 行動障害/敵対/防衛/犯罪/虐待等行為障害
・怒りの感情を抑制しようと努力し受け身的行動を取る人が多くありますが、ときに怒りを爆発させている人もあります。コントロールの利かない怒りの表出には、それを妨げないようにします。そして相手の怒りが何であるかの確認をし、落ち着いてその問題を話し合える場を設定するとよいでしょう。

周囲の怒りに接するときのためにも、これは理解しておこなくてはいけない。
私は、他人の怒りに対して、自分が受け止めたくないことを理由に、無理やり b)をさせていなかっただろうか。
ちょっと振り返って確認する必要がある。

●分析 : 受身の行動

・「受身の行動」は、次の(1)から(4)までのプロセスがあり、後に行くほど深刻になるのです。
(1)何もしない
  指示待ち人間に代表される行動。能力が低いのではなく「こうせよ!」「あれをせよ!」と指示を出せばしっかりと成果を出す。ところが、自発的な行動を一切しない。
(2)過剰適応
 「相手が多分このように期待しているであろう」という自分の思い込みで、ある他者の期待に合わせようとする。この結果、逆にストレスが強くなり、先回りをしたり、イエスマンの行動となって表れる。
(3)イライラ(焦燥感)
  多動であり、盲目的に目標のないことにエネルギーを使い、少しでも安心感を得ようとする。例えば自分の部屋のなかをうろついたり、ステレオの音量を最大限までボリュームアップする行動。
(4)暴発(暴力)
  周囲の人が気遣いをして世話をすると一層共生関係が強固になり、閉じこもる。言葉による暴力がしだいに対物的暴力や対人的暴力へとエスカレートする。
・こうした「受け身の行動」への対処は、確認することと対決することです。確認するとは、A(Adult)の自我状態でチェックすることです。一方、対決は、相手がどうなっているかを明確にすることです。本人が自分の立場をクリアーにするように、かかわっていくのです。何を考え、何を感じ、意見はどうなっているかを引き出すことです。例えば、「この議事について何か質問はありませんか?」と尋ねた場合に「別に!」と返事があったとします。このことで、引き下がらずに相手にさらに「ここで何を感じている?」と介入するのです。そのときに「頭にきた!」と答えたらもう一度、「何に頭にきた?」と尋ねるのです。

そして、無理に怒りを内在化させることを続けると、(4)の暴発となる。
これは本当に知ることができてよかった。
相手に抑圧を強要してしまっているとしたら、それは結局、
自分の中のPが、相手のCに干渉し汚染しているということなのかも知れない。
「怒らないで」ではなくて「怒ってもいい」のだ。

●その他

・しばしば私たちの社会のなかでは、責任という言葉をこのレスポンシビリティーとアカウンタビリティーとを混同しながら使っていますので、識別して理解する必要があると思います。
 レスポンシビリティー : 人に委譲できない責任能力
 アカウンタビリティー : 説明責任
・部下が「課長、今日早く帰ってよろしいでしょうか?」と言ったときに、「困るな、残業があるんだ」というのは、アンサーといって、感情に気づいていないわけです。そこでもし課長が「今日何か早く帰りたいことでもあるの?」と訊いたら、感情に焦点を合わせていることになります。

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