考える技術

大前研一の思考ノウハウを集大成!
論理思考から アイデアの作り方 先見性の磨き方まで
答えのない時代を生き抜くための知的パワーアップ法
ビジネスの思考回路を身につけろ!

頭がいい人。
もう選挙には出ないのかなあ。前は都知事選に出ていたのに。

●Mindset

・突破できる人間とできない人間の違いは、ようするに自分にはまだ経験がないというときに、そこを避けて通るか「とりあえず入ってみよう。何かあるかもしれない」と思うかの違いである。なぜなら最初から成功の道が見えている人間など、今の世界にはいないからだ。
・ビジネスマンの年棒も、今や格差100倍の時代に入っている。年棒500万円か5000万円か、それとも五億円か。「言われたことをやります」という知的ブルーカラーのビジネスマンなら、よくて500万円だろう。大学を出て20年たったときの差。45歳の通過の仕方が、500万円、5000万円、五億円の三通りあるということだ。そういう選択肢の中で、あなたはどの道を選ぶのか。その選んだ道に沿って筋力トレーニングを一からやり直し、食生活もそれに合わせたものにしなさいいうことだ。もちろん食生活とは知的な栄養分をいかに摂るかということである。
・新しい世界、見えない大陸は、限りない可能性と希望に満ちているが、西部の荒野のごとく危険にも満ちている。だからこそ、日頃から腰につけた拳銃を磨いておくことが大切だ。毎日が訓練であり、誰と会うときでも真剣勝負のつもりで、つねにベストを尽くさなければいけない。これが平素の生活態度になっている人は、いずれ拳銃の名手になれる。このビジネスの世界における拳銃こそ、あなたの頭脳であり、本書で示してきた7つの思考回路なのである。

知的な栄養分を食生活と置き換え、
筋力トレーニングを知的なトレーニングにたとえるのは、とてもわかりやすい。
ほとんどの人の頭脳は、健康を害する有毒物質ばかりとりいれ、
しかも運動不足でぶくぶくに太り、筋力は落ちまくっている状態だ。
自分は、そんな風にはなりたくない。

●本当に頭がいい人の思考パターン

・今は世の中そのものが、答えのない、マニュアルの通じない世界である。敏感な人々はすでにその方向にシフトを始めている。古い価値観に縛られている人間と、新しい価値観を生み出そうとしている人間。その差はこうした黎明期にこそより大きく開くものなのだ。学校に行ったアカデミックスマートは、やはり答えを求めてしまう。「答えはない」と言っているのに、「答えは何ですか?」と聞く。学校秀才にかぎらず、日本の学校に通っている子どもは皆同じだ。たとえばゲームをするときでも、ゲームの展開をワクワクしながら楽しめばいいものを、攻略本を買って読む。ゲームを楽しみながら自分なりの攻略法を編み出すということができない。とうよりも、最初から放棄してしまっているのだ。攻略本や虎の巻でテクニックだけを覚え、後ろに答えが書いてあったら、そこを先に読んでしまう。この手の人間は、世の中に出てから何の役にも立たない。答えを与えられないと何もできないし、答えのない状況になったらパニックを起こしてしまうからだ。
・マッキンゼーに入ってうまくやっていける人間は、瞬時にこんな答え方をする。「すみません、私、タンザニアがどこにあるのかよくわかりません。でも、たぶんアフリカで、暑いという前提でお答えすると…」というように、答えの前提をはっきりと言うのである。このタイプは学校秀才型と違って、パニックになることはない。もしその前提が違うということがわかれば、前提を変えて答えることができるからだ。そして未開発地で高温多湿、いろいろな病原菌がいるという前提から、必要なものをどんどん連想していく。
・一方答え方のうまい人間は「お金は持っていっていという前提でしたら、現地で買えるものは置いていきます」と、自分で境界条件を言い始めるのである。自分ではタンザニアの場所を知らなくても、「こういう前提で答えます」と言える人間は「タンザニアは極寒の地にある」と言われれば「では、こうです」と答えを変えられる。前提が正しいかどうかは地図があればすぐに分かるのだから、別に知っていなくてもいい。タンザニアについての知識の有無はまったく問題ではないわけだ。さらに前提を変えて、「じつはこれはヨーロッパの真ん中の国だと言ったらどうなるの?」と聞いていくと、よりその人間の思考パターンがわかってくる。
・何を知っているかではなく、知らないことを頼まれたときに、どういう思考回路をとるのかが本当に重要なことなのだ。

前提を決めて回答できる頭のよさ、これはとてもよくわかる。
実際の仕事の中では、毎日がこのような作業となっている。
前提を決めてもらえないと何も表現できない人もまだまだ多いけど。
知識ではなく、知識をどう使いこなすか。
電子デバイスと通信環境の発達した現代では、子ども大切なのは知能であり知恵。
いや、クラウドからナレッジとフレームワークを引き出せる現代では、
知能ですから、競争力にはならない可能性もある。

●子どもたちに与えたい教育

・私には二人の息子がいるが、下の子もまったく同じで、「学校に行く理由がない」といって行かなくなってしまったクチである。息子の場合、小説ではなくコンピュータ・プログラミングの方向に行ったが、今では十分に稼ぐ力があるから結果オーライだ。学校で脳細胞を破壊するよりは、中学に入ったら自分がやりたいと思うことを徹底的にやらせるほうがいいと私は思っているし、今はまさにそういう時代になっている。
・学校で90点の成績を取ったら安心するが、自分のやりたいことに忠実であるためには、学校で90点取ったことなどまったく関係がない。自分が納得するまでやり抜くには、妥協や甘えは許されないからだ。私の息子の場合も、中学時代から自分でC言語というプログラムを学び、自分でプログラムを書けるようになっていた。高等数学も独学で学び、コンピュータ・プログラミングだけでなくアーキテクチャーを含めた原理原則がすべてわかるような勉強を自分でやってきている。学校で教えてくれようがくれまいが、テストがあろうがなかろうが関係ない。自分で学ぶからこそ全部頭に入るのである。
・「アカデミックスマート」から「ストリートスマート」へ アメリカ型の大量生産社会はマニュアル社会だから、マクドナルドのような店はどこに行っても同じ挨拶をする。しかし西麻布系では、「雨の中大変でしたね」とか「寒くありませんでしたか」というように、「お客様の顔を見ながら、思い浮かんだ挨拶をしなさい」という教育をしているのだ。この方針はまったく正しい。こうした店の店長はだいたい年齢が27,8歳くらいと非常に若い。しかしその仕事の内容と責任の重さは、同じ年代のサラリーマンの比ではない。
・スウェーデンやノルウェー、デンマークなどの北欧諸国 まず第一に「teech(=教える)」という言葉が禁じられているのだ。教えるということは、答えがあることを前提としている。だからこれらの国々では「learn(=学ぶ)」を使うのである。子供たちが学び取るという考え方が基本で、テキストには「学校には答えを教える権利はない。学ぶ権利を支援するところが学校である」と書かれているのである。
・よい発想とは、理解していないか、いくつかの疑問があるというモヤモヤした星雲のような状態の頭で考えるときに生まれやすい。答えがわからない。なぜなのか。頭が星雲状態のままで鋭く考え続けていると、「こうじゃないのかな」と仮設がひらめくことがある。つまり「分からない」「理解できない」というフラストレーションを利用してテンションを上げるほうが、「これに違いない」という発想が生まれやすいのだ。日本の教育が答えを教えてしまうということの弊害は、この点からも大きい。考える癖をつける教育をする北欧に人材育成で軍配が上がるのはこのためである。

大前研一の息子が学校教育から離れたところに学ぶスタイルをとっているのが、
驚きでもあり、また、さすがだと納得できる話でもある。
自分の子どもも、学校に行ってバカにされるような環境にだけは、おきたくない。

●起業の成功パターン

1.事業領域の定義が明確にされている
「あれもこれも」ではなく、必然的に向かっていく一つの方向に特化するということだ。
2.現状の分析から将来の方向を推察し、因果関係について簡潔な論旨の仮設が立てられている
論理的思考から導かれた推論という意味で、たんなるアイデアとは違うのである。
3.自分のとるべき方向についていくつか可能な選択肢があっても、どれか一つに集中する
えてして「できそうなこと」は全部ビジネスに繋げたくなるものだが、あれもこれもと手を出すと中途半端に終わる可能性が高い。どれがもっとも成功の可能性が高いのかを分析し、優先順位をつける。今の時代、集中力とスピードがなければ勝つことはできない。
4.基本の仮定を忘れずに、状況がすべて変化した場合を除いて原則から外れない
事業展開していく過程で陥りやすいのが、状況が変化したときに方向がブレてしまうことだ。前提としていた状況が大きく変わらない限り(たとえば他社が同様の製品を一足早く開発した、関連する法規制が大きく変わった、想定を大きく超える範囲で経済状態が変化した、など)、最初に設定した基本仮定を忘れないことが肝要だ。
・大きなビジネスチャンスを生み出すのは、じつはとても簡単だ。「10倍くらい効果的にやる方法はないか」と考えてみればいいのである。1.2倍とか1.5倍というレベルでは考えない。コスト出すんではないのだから、10倍、20倍、30倍の倍率で考えていくことだ。あるいは、「これで警備会社はいらなくなる」「キヤノンを下請けに使えるぞ」「ソニーをぶっ飛ばすにはどうすればいいか」という発想で考えてみてもいい。
・見えない大陸の発見からすでに20年が経過したとも考えられるが、「先行している者のほうが強い」ということは、この時代にはない。私がここまで述べてきた世界は、ソニーも松下も気づいていないような世界だから、新しい人たちには「恐れずにやっちまいな」と言いたい。それが日本にとってもっとも大きなチャンスであると思う。

どうやって雇われるか、という発送をしている頭の硬い人、
その世界から抜け出せない人には、思いもよらない世界。
自分で自分の限界をつくらずに、どんどん挑戦していきたい。
大企業の企業文化に洗脳されていない、30代以下にしかできないだろうけど。

●仮説と結論を取り違えないこと

・データを分析して出てくるものは仮設にすぎないのだが、日本のほとんどの経営者やビジネスマンは、その仮説を結論だと思い込んでしまう。そこで「結論を得た」と思って安心し、仮設を裏付けるだけの証拠収集や、本当の結論に至るまでの論理的思考を怠ってしまうのだ。
・重要なのは「仮説」ではなく「結論」を導き出すことである。経営コンサルタントの中には、仮説でないことを「結論」として示し、「この問題を解決することは非常に難しい」というのが「提言」だと勘違いしている人間もいるが、こんな馬鹿げた話はない。問題に対して何の解決にもならない提言を行ったところで、まったく時間と労力の無駄でしかないのである。いかなる問題にも解決策は必ずある。もちろんそれは「業界から撤退する」「身売りをする」といったことも含めての話だが、解決策のない問題など存在しないのだ。
・冷蔵庫で使いきったもを自動装填するというアイデアも、人間を知らない人たちの机上の空論だ。家庭の主婦は自動的に在庫が補充されるのを極端に嫌うということだ。主婦ほど気まぐれなものはないから、自動装填すると「こんどは違うものを買おうと思っていた」と必ず言う。だから、いざ自動的に注文が入ってその商品を届けに行くと、「別のブランドのものに変えようと思って使い切ったのに、何で持ってくるのヨ」と言われることになるのがオチなのだ。主婦は買い物をほとんど勘でやっている。スーパーに行ってちょっといいなと思うものがあったり、一円でもお買い得な商品があったら、予定外の物でも買ってしまうのである。メーカーの在庫管理なら便利かもしれないが、メーカー担当者と主婦は感覚がまったく違う。それを理解せずに家庭内の「適正在庫」なるものを想定し、補充システムを作ろうという発想だから、うまくいくわけがないのだ。

MBA本を読んだり、論理思考の本を読んだりして
自分が頭がよくなったように錯覚しているような人は、多い。
そういう人は、本当にこれ。
結論と仮説を取り違えている。

●コンサルタントが行う提言とは

・大切なのは「さまざまな現象の中で本当の原因は何か」を考えることなのだ。現象を数え上げるだけで思考を停止させてしまってはいけない。
・最悪なのは、すべての現象を個別に改善しようと考えてしまうことだ。つまり営業マンにハッパをかけ、価格は下げ、なおかつ製品の品質を良くしようとすることである。しかし、価格を下げて製品の品質を高めれば、利益が出なくなって自殺行為になるし、尻を叩かれ続ければ社員は疲れ切り、モチベーションがどんどん下がっていく。原因を明確にしないまま現象を改善しようとして、かえって業績が落ち込む。すなわち負のスパイラルに陥ってしまうのである。解決策を出すことを急ぐ前に、まず原因を明確にするための思考回路を働かせなければならないのだ。
・私の経験から言うと、プレゼンテーションにおける「提言」は一つでいい。提言がいくつもあると経営者は実行に二の足を踏んでしまうが、「社長、とにかくこの一つだけをやってください」と言われれば、気持ちが動きやすいからだ。日本の経済戦略会議などは「提言225」「骨太の改革案12項」などとバカなことを言っているが、そんなに実行できるわけがない。「これも重要、あれも重要。ここも直したほうがいい」というのはコンサルタントではなく評論家でしかない。どうすればその提言を実現できるかを示さなければ、提言自体が無意味なのである。
・駄目な経営コンサルタントに典型的なのは、見つけた問題点を全部横書きにして並べ、問題点の逆さまが提言になるケースだ。「営業マンに元気がない」→「だから営業マンは元気を出すべきだ」という具合だから、まったくお笑いである。「商品に競争力がない。だから商品に競争力をつけるべきだ」というのは簡単だが、では、どうやれば商品に競争力がつくというのか。解決策が何もない。
・スタッフが結論として言ったことが、じつはまだ仮設にすぎず、証拠がないという場合には、「その仮説を検証するためには、どういうことがわかればいいのか?」と聞く。仮設が本当に正しいとを証明するには、証拠を示さなければならないからだ。そうやってその人間を追い込んでいくと、案の定仮設を証明するデータがなく「それは調べたことがありません」ということになる。
・私は「○○先生のフレームワークを使って」ということを一度も言ったことがない。私はそういう連中にはこう言うことにしている。「何を考えてるんだ。お前のフレームワークを聞いているんだぞ」と。○○先生のフレームワークと言った瞬間に、その人間は事実から目をそむけてしまっているのである。私自身、与件となるようなフレームワークはまったく持っていないし、前提も持っていない。現実にお金がどう流れているか、顧客の購買の意思決定かどう変わってきているかといった、「物理現象」しか私は信用していない。そうした現象の積み重ね、証拠の積み重ねによって、あらゆる問いに対する答えは必ず出てくるからである。新しい経済の中では、過去の常識にあてはめるのではなく、今起こっていることを観察することが大切なのだ。

シンクタンクとかコンサルファームの人と仕事をしていると、
それらの本を読んでにわか知識を身につけた人との決定的な違いを感じる。
それが、まさにここで指摘されている点。

●説得力のある提言にするためには

・フィールドインタビューでは、経営トップよりも詳しい業界の最新情報やその会社のデータをもとに、当該案件に絞り込んで聞き込みをしている。お客さんのところにまで同行しているのだから、少なくともそのテーマに関しては、社長よりも詳しくて当然なのだ。現場から上がってきた事実で外堀をきっちり埋めてしまえば、「こいつらは、ここまでわかって言っているのか」ということになり、決断せざるをえなくなるわけだ。じつはこうした決断を迫るのは、そう難しいことではない。その決断がたまたま「気に入らない決断」だっただけのことで、事実を突きつけられれば相手は抵抗のしようがないのである。
・朝10時にマンガ喫茶に行くと、営業マンらしきスーツ姿の男たちで満席になっている。こういう連中が顧客訪問レポートだけはもっともらしく書いているのだから、現場から上がってくる紙だけを見て判断すること自体がナンセンスなのである。
・ポイントは簡潔な分析と簡潔な言葉を用いて、一ページごとに、そのページ内における結論を出していくこと。
・全部話すと50時間かかることを45分間でまとめるのである。プレゼンテーションは、せめて五時間、十時間は語れる内容がなければうまくいかない。逆に駄目なプレゼンテーションは、知っていることを全部言おうとするから、細かいことから入ってしまい、論旨が支離滅裂になってしまう。
・指揮者が次の楽想をイメージしながらタクトを振っていないと、絶対にいい音楽は出てこない。楽譜を落としても平然と指揮が続けられるのが優秀な指揮者で、彼らは念のために譜面を見てはいるけれども、実際には読んでいないのだ。
・実行計画を提案する場合、プレゼンテーションの場でいきなり切り出すというケースは稀である。多くの場合は我々のチームと経営陣との間で次善に話し合いが行われ、組織のメンバーなどについて調整ずみだ。お互いに納得したうえでプレゼンテーションに臨んでいるわけで、いわばプレゼンテーションの場は「確認の儀式」である。トップがそれを聞くのは初めてでも、担当者は「我々もそれでやります」と言って終わり、というわけだ。

この世界の人も、傍目でみるより結構肉体労働をやっている。
PCの画面だけ眺めてスマートにきれいなことだけやっていると思う人は、
何かを勘違いしているのかも知れない。
経営者と話すコミュニケーション能力などを考えると、
セールス技術などももちろん必要になる。
もちろんマーケティングもわかっていなくてはならない。
人間が苦手な人には、企画とか戦略の世界で仕事をすることはできない。

●思考訓練

・「自分が二階級上のポジションにいたらどうするか」を考えることだ。今、あなたが係長だったら部長、課長だったら取締役の立場に立ってみて、「自分だったらどうやってその問題を解決するか」、それを徹底的に考えてみるのである。
・コップに水を半分入れて机の上に置き、そのコップをテーマに20分間話してください。アメリカでは高校のときから、「パブリック・スピーチ」(人前での演説)の訓練を行っている。この「コップ半分の水」はその典型的なものの一つで、パブリック・スピーチの第一のコースになっている。
・オーケストラの人間は複数のインプットを同時並行的に処理することを当たり前のようにやっている。しかし普通の人はそういう頭の使い方をする癖がない。このように複数のものを同時並行して見るということが、今の私の思考パターンに非常に役だっているのではないか。オーケストラをやっていると「あれっ、この音が聞こえないぞ」とか「あの音がちょっとズレてるぞ」と気づくことがある。不思議なもので、経営計画などをやっていても、「あの部分の情報が出てきてないぞ」「何かおかしなことが起こってるんじゃないか」ということがわかるのだが、その感覚はやはり音楽によって培われたものなのではないかと私は思っている。
・論理的思考の能力は楽器と同じで、訓練すれば誰でも身につけることができる。ピアノだって、中年になってから始めても、練習すればある程度は弾けるようになる。うまいか下手かの差はデルが、誰でも弾けるようにはなる。それでお金が取れるようになるかどうかは別として、この道は練習がすべてであることは間違・進行方向に向かって左側を窓にして座って見ているのが、とても刺激になるのだ。左の目には右脳が繋がっているから、おそらく右脳の刺激になるのだろう。
・目をつぶって道を歩くこともある。視覚をふさぎ、耳やその他の感覚だけを頼りに歩いていると、ふだんとはまったく違う景色が見える。こうしたことがふだん使っていない脳の部分を刺激するのである。
いないのである。
・一般のビジネスマンの会話を聞いていると、非常につまらない話ばかりしている。日経新聞や朝日新聞で読んだことを自分が言う。相手も「そうだよな」と言ってその話をする。二人の会話はいつまでたっても日経新聞や朝日新聞で読んだフレームワークから出ていかない。自分で考えたものが何一つないのである。テレビで見たり新聞で読んだりした知識を人に言う。相手も同じものを見たり読んだりしているから、「オレもそれを読んだぞ」といって会話に入り、書かれていた内容をお互いに確認してそれで終わり。これでは思考回路はまったく働かない。しかも、新聞やテレビは大本営発表よろしく政府が言ったことを垂れ流しているだけだから、世の中が本当はどう動いているかは書かれていない。それを鵜呑みにして確認し合っても、何も意味がないのである。だから新聞を読むときには、「新聞にはこう書いてあるけど、本当なのか?」という疑問をまず持つべきなのだ。
・あらゆるものについて「五年後はどうなっているか」を考えてみることがよい訓練になる。

天才と音楽の関係はいろいろなところで話題にでるけれど、
偉大な経営者で音楽経験者という人もいる。
確かにこのオーケストラの経験というのは、すごいなと思う。
一つの楽器ができることに意味があるのではなく、
ここに書かれているように、他の音との調和、関係を同時に意識する能力。
それだったのかと、楽器経験のない自分には、目からウロコだった。

●未来予見

・「企業参謀」をベースに「マインド・オブ・ザ・ステラジスト」を出した。後に出版した「ボーダレス・ワールド」とともに、フィナンシャルタイムズが選んだ孫子以来4000年の間に著わされた経営書トップ50に入っている。トップ50に二冊入っているのは、私とピーター・ドラッカーの二人だけである。
・科学的アプローチで、お金という物質がどういう磁力でどこにどのくらいのスピードで流れているのかを見ていると、金融経済の動きを見るのはそう難しいことではない。じつはグリーンスパンも新しい経済の正体に気づいていて、それをうまく利用しているフシがある。
・私はそもそも二一世紀には専門家は存在しないと思っている。なぜなら、1985年を境に世界は大きく変わったからだ。1985年というのは、ウィンドウズのバージョン1が登場した年である。それからコンピュータ・ネットワークが急速に発達し、世界中でさまざまな既成概念が塗り替えられていったのだ。新しい経済が始まり、私たちは見えない大陸くに踏み込んだ。それからまだ20年しかたっていない。専門家など存在するはずがないのである。たとえば江戸幕府は200年続いたから、当然、専門家が生まれる。しかし明治五年とか明治十年の段階では明治政府の専門家などいなかったはずだ。今はまさにその時期にあたる。1985年から世の中がすべて変わったとすれば、専門家面している人間のほうが古い価値観を引きずっているから、かえって状況を見誤る可能性が高いのだ。
・日本ではすぐに「ITや携帯電話が使えないお年寄りがかわいそうだ」などと言い出すが、そういう人たちには昔のやり方で対応すればいい。必然的にその方向に進んでいくものを、スピードの遅いところに合わせて押し止めようとするのは、止めようもない川の流れを無理やりせき止めようとするのと同じで、まったくナンセンスだ。世界は今、見えない大陸を我先に開拓しようと、猛烈なスピードで突き進んでいるのだから。
・「どうしても役人でなくてはいけない部分はどこか」をどんどん考えていくと、実際はほとんど存在しない。スモールガバメント、小さな政府というけれど、最終的にはほとんどノーガバメントというくらいになってしまう。では、役人に残る仕事は何かといえば、プランニングの部分である。「この地方をこういうふうに変えていきたい」と情熱をもって考えることは、機械ではできない。役人たは行政サービスの部分はほとんど自動化し、もっと企画立案の部分でアイデアを練り、知恵を絞るべきなのである。そうすれば、さらによりよい行政サービスが発想できるはずだ。役人たちはリストラを恐れるのではなく、より知的生産性の高い仕事にシフトできるのだ、喜んで変化に立ち向かうべきなのである。
・私自身がやってみて、いずれ学校の教育も大変革されるだろうと確信している。現実に、教師の本当に大事な仕事は進路指導だったり、生徒が人間として成長していくための生活面・精神面での指導などだったりする。子供に知識をつめこんだり古い価値観を押しつけるのではなく、子供たちが人間として成長していくことを手助けする、教育者本来のしごとに力を注ぐことができるからだ。

この人の未来予見は、たしかにとてもまとも。
ドラッカーを読むのもいいけれど、
自分の国の言葉で書かれているこの人の本を読むのも、いい。

●腐った企業

・企業が合併したときには、売上が 1+1=2.3 コストは 1+1=1.6 になり、そこで 0.7 のマージンが生まれて利益が改善するのが通常だ。ところが日本の銀行はそうした自助努力をしていない。
・∪字管現象とJ字管現象 情報電鉄は∪字管に沿って往復するだけで、何も問題は解決しない。トップ同士の会う役員会を毎週開いていながら、この惨状なのだ。もっと悪いのは「J字管現象」で、「そんなこと、うちのトップには言えない」ということで、上に行く手前で止まってしまう。じつは、外部のアドバイザーが日本で商売になる理由は、そういう日本企業の体質にある。自分では何も改革できないからだ。外部から入ってきて、まったく第三者的な立場で「事実はこうなっています」と言えば、それまで自分に都合の悪い話には耳を貸そうとしなかった連中も、「社長が呼んできた人間が言うんだから仕方ない」ということでしぶしぶ動き出すというわけだ。そしていったん問題解決のノウハウを持ち込むと、日本の企業は非常に大きな成果を生み出すのである。
・社会に出てからも、「会社に入ったら先輩の言うことを聞け」とばかりに、古い社員が出てきて「当社では」と言って教育を始める。せっかくその組織に毒されていない人間が入ってきているのに、古い仕事のやり方を教えるのだから、新しいビジネスの発想など生まれてくるはずもない。だから私は、逆に「新人社員に古い社員の教育をやらせたほうがいい」と言っている。そのほうがはるかに会社のためだと思うからだ。

自分も、大企業は飽きた。ほんとにうんざりする。
サラリーマン根性というか、ほんとにみんな、自分が首を切られないことに必死。
構造病とでもいうべきだろうか。
小さい会社の方が、よほど楽しい。
そして自分の会社の方がもっと。

●その他情報

・ゴールデンパラシュート(金の落下傘)というのは、「いざクビになったら、たっぷりお金を弾んでもらう」という条項のアメリカ的表現である。また、アップサイドというのは業績を改善、あるいは予想よりも高く売却できたら、その儲け部分の分け前をよこせ、というものだ。こうした条件を詰めたうえで、CEOのしごとを始めるのである。
・刷り込みの威力は恐ろしいもので、いまだにタンポポの綿毛が飛んでくると「耳が聞こえなくなる」と言って逃げる人もいるくらいだ。

え? タンポポの綿毛って、大丈夫なの?
ただの刷り込み(迷信)だったのか…知らなかった。
今度事実がどうなのか調べてみよう。

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