子育ての勇気
叱ってはいけない、ほめてもいけない
「勉強しないわが子」を親はどうすべき?
ミリオンセラー『嫌われる勇気』の著者によるありのままを受け入れる、親の強い心とは
ゴードンモデルとアドラーの心理学は
全ての人に必要な人生の原則だと思う。
●叱ることは無意味
・子どもが小さければ自分がしている行動を改めなければならないことを知らないことがあります。電車の中では静かにするというようなことです。知らないのであれば、叱らなくても、普通に言葉で説明すればいいのです。それなのに子どもを叱るのは、言葉で説明しても理解できないと思っているからです。つまり、子どもを親と対等とは見ていないということです。
・親が自分にしてきたことをおぼろげな知識をもとに自分の子どもにしようと思っても、それはたとえてみれば、子どもの頃に手術を受けたことがある人が、大人になって、手術を受けたのだから、自分も人に手術を施すことができると思い込んでいるのと同じです。
・「泣かなくていいから、言葉でお願いしてくれませんか」
・言葉を使えば、自分の思いを伝えることができるということを、近くにいる大人は教えなければなりません。どんなふうに言葉でお願いすればいいかは、最初は大人が子どもに教えなければなりません。問題は、大人までもが言葉でなく、感情を使うことです。大人は子どもを叱ります。叱るのと怒るのとは違う、怒ってていけないが、叱ることは躾のために必要という人がいますが本当ではありません。アドラーはこんなことをいっています「体罰は怒りの感情を伴ってなされる。そこに正義など何もない。復習のために体罰が加えられるのである」たとえ手を上げなくても、叱ることは体罰と同じです。躾のためというのは自分の怒りを正当化するために持ち出される理由でしかありません。即効性を求めて大人は怒りの感情を使うのですが、たとえ時間がかかっても言葉を尽くして問題を解決していくことを子どもには学んでほしいのです。
・「〜しなさい」ではなく、疑問文か、仮定文を使って、「〜してくれませんか」とか「〜してくれると嬉しい」といってみましょう。
子どもに敬意をもって接すれば、
叱るとか、力を使って上から押さえつけるとか、叩くとか
そんなことはゼッタイにありえない。
叱るのと怒るのは違うんだ論を言う意見をバッサリ斬るこの部分、
とても好き。
●子どもの課題に介入しない
・致命的なことでなければ、失敗しないように親が先回りをすることは、子どもが自分で引き受けなければならない課題を大人が肩代わりをするという意味で甘やかしである、と私は考えています。子どもの人生に介入したくなるのは、失敗した時に、子どもが自らの力でその失敗の責任を取れないと大人が見なしているからであり、子どもを信頼も、尊敬もしていないからです。
・ただし、目標は一度決めたからといって、ずっと同じでなければならないことはありません。必要があればいつでも変更することは可能です。それは子どもに話しておいていいと思います。子どもを追い詰めることは避けたいのです。自分の選択が間違っていたと気づいた時に、親の反対を振り切ってまで選んだことなのだから、と方向転換できないと子どもが思うことは、避けなければならなりません。
・子どもには、親でも代わることができない、自分で解決するしかない課題があります。子どもがそのような課題に直面している時、親は基本的に見守るしかありませんが、自力では解決できないこともあるかもしれないので、そんな時にそなえて「何か手伝えることがあったらいってね」と伝えておくことはできます。
・第三にできることは、親の本心を素直に伝えることです。「あまり勉強しているようには見えないから、心配している」というふうにです。
意固地になってしまい、過ちに気づいても引き返せなくなる
そして関係が破綻してしまった、ということが、自分の経験としてもあるから
この部分 「ただし〜」以降の文の大切さがとてもよくわかる。
●勉強よりも大切なこと
・家族の一員として協力できる子どもになることが先決である、と私は考えています。
勉強だけしていれば偉いみたいな勘違いをした子には育てない。
そしてそれは、勉強に限らず、スポーツでも音楽でも芸術でも全て同じ。
まずは家族の一員として貢献できるようになることが、最初。
●他人軸ではなく
・勉強ができ、親や教師からよくできるといわれている子どもは、よい点数を取れないと思えば、試験を受けないことがあります。理由は明らかで、試験を受けなければ、評価されないわけですから、できないことが明らかにはならないからです。
私自身が、若い頃、まさらにこの状態だった。
負けるのが怖くて、いつも逃げていた。
それは結局のところ、
他人の目ばかり気にした、成長のない人生。
このことが無意味だと、頭ではわかっている。
そして心のそこから理解できた時、また避けている「ある」仕事が
できるようになるのだろう。