子育てで悩む前に
金盛さんという人物について興味があったので、その著書を見つけて一冊。
心がゆったりやすらかになる、手紙のような本でした。
この本を読むと、子どもとの時間の流れ方が、変わるかも知れません。
●思い出という宝物。贈り物。
「思い出」ということばでくくられる記憶は、こころそのものの大事な素材にほかなりません。
乳幼児なら、こころの素材の大半が、おかあさんから提供されていると思ってよいでしょう。認知行動療法の視点から見るなら、何げない愚痴も、子どもたちのこころに影響を与え、ときとして深刻な事態を招くことさえあるのがわかります。
子どもたちは、成長するにしたがって、いやでも現実と対峙します。自分の限界をおも思い知らされるかもしれません。ときにはすっかり自信を失い、文字どかおり夢も希望も失って立ち止まるときもあるでしょう。そんなときこそ、幼いころに描いた夢と、その夢をよろこび称賛してくれた親や大人たちの声が、こころを再びふくらませるエネルギーになるのです。
幼い時期に、潜在意識にどんな情報が根付くのか。それは全て親である私たちにかかっている。何気ないひと言、笑顔や喜び、怒りや悲しみのひとつひとつが、子どもの心に深く刻み込まれ、一生を支配するんだということを、改めて認識しなきゃいけない。私達が今過ごしているこの一瞬一瞬の時間が、子どもの未来に対する贈り物なんだ。
●教えるのではなく伝える
挨拶や感謝や謝罪の表現は「教えること」ではなく「伝えること」
自分の都合を後まわしにしてでも子どもとの約束を守るおかあさんだからこそ、子どもは、約束を守ることの大切さを学んでゆくのです。「約束を守れ、なんてことば、口にしたことすらありません」
子どもに敬意を払って、一人の人間としてみたら当たり前のこと。放任するのは論外。口で言って聞かせようとするのは普通。薫陶ともいうべき、自然に伝わる薫りこそが最上。
●マイナスイメージ
無用な恐怖感や嫌悪感をもたずに育つ子は、生きることに対して、また新たな経験や出会いに対して、とてもおおらかです。萎縮したり、恐怖や嫌悪の裏返しで過剰な反発や攻撃をすることもありません。人間関係においても、対自然の関係においても、とてもよい行き交いを培いやすくなります。当然、心理的な安定度も高く、好奇心も旺盛。世界をひろげるチャンスを見逃しません。
「ほら、そんなことすると怖いお巡りさんに捕まってしまうよ。怖いオジさんがにらみつけてるよ」…脅し、つまりは恐怖を与えることて子どもの行動を抑制しようとする姿です。このような脅しを受けて育つ子は、意識の底に警察は怖いものだと刷り込まれます。世間は怖いものだと刷り込まれます。その結果、外見をよそおい、世間体ばかりにとらわれて生きるひとになりがちです。
むろん、この種の子ども・ひとは、心理的にも不安定になりがちであり、好奇心も貧しくなり、人間関係においても、対自然の関係においても、おおらかな関係を結びにくくなります。当然、世界をひろげるチャンスを取り逃しがちです。萎縮した心は、過剰な自己防衛の反動として他社に対して過激な反発や攻撃をし、同時に、ささいなことでも傷つき打撃を受ける結果にもなります。恐怖、脅し。それはこころを歪めてしまう元凶でもあるのです。
「あ、ヘビだよ、おかあさん」
「本当だ。このヘビ、よく見るときれいね」
好奇心と意欲が旺盛でオープンな性格なのか、猜疑心と不安と狭い世界に閉じこもる性格なのか、それは全て、親の接し方一つで決まる。「観念」「偏見」を子どもの植え付けてしまわないようにしなければならない。
●本当の愛情
走りまわっている子に生命にかかわる危険だけはないことを確認した上で、何も言わずに見守る。…力いっぱい走る経験・転んでケガするという貴重な体験・ケガをしてもちゃんと治る力が備わっているのだという自信と信頼を培うチャンス
おばあちゃんに何を言われようと、まずは子どものこころを最優先して大切にしよう。それが母親の役割。おばあちゃんとのトラブルを怖れて子どものこころを圧迫することだけはやめにしよう
俗に言う嫁姑だけではない。もっと拾い親戚でもそうだし、父親からみれば、妻方の両親だってそうだ。何をいわれようと、子どものこころを最優先して大切にしなきゃいけない。私がNOというときは、NOといわなければならない。子どもを悪い環境から守ってやれるのは、親である私だけだ。
●すぐにやってみたいこと
子どもに”本物の手紙”を書いてみる
そういえば、母はたまに、私の娘に手紙を書いてくれる。
自然にこういうしゃれたことをしてくれる母に感謝しなきゃいけないなぁ。
とてもありがたいこと。