「親業」に学ぶ子どもとの接し方

子どもが生まれてから悩み、考えながら何百冊も読んだ子ども関係の本。
その中でも上位に位置するのが、トマスゴードンのメソッドについて説かれている、
近藤千恵さんの著書。

●「親業」の本質

・親業は、子どもへの受容を日常生活の中で体現するための手立てを親に提供するものです。親に受容されていることがわかったら、子どもは親から離れていく – 何というパラドックスでしょう。そして親自身が自分を受容し、子どもの自立を促すことができる – 逆に言えば、親が自分をよしと思えず、自立していなければ子どもをよしと思えず、子どもが自分から離れて自立していくのを許せなくなるということです。あなたは自分の生き方を自分で好きですか。受容していますか?
・親業が子育て業でなく親業であるのは、まさしく親自身の姿をみつめ直そうとするからですし、それととりも直さず自分業とも言えましょう。

親業→親の修業 ということもできるのかも知れない。
子どもが自立しないとしたら、それは親自身が自立をしていないことの証。
まさに、子は鏡なのだなぁ。

●愛情表現

・七五三をホテルで盛大に祝われた子どもは何がうれしかったのでしょうか。本当に自分の求めていたものを与えられたのでしょうか?
・大事なことは、その親の愛情を子どもが感じることができることではないでしょうか。高いものがいいのではなく、親がこんなに自分を思ってくれている、というそのことを子どもが感じることができるということだと思います。それであれば、高価なものでなくとも、親の手作りであれ、親ができる精一杯のことで、子どもは十分満足できることでしょう。
・愛情は実は目に見えないもの – それ伝えるのにものを使うよりも、私達には言葉があり、行動があります。

確かに。
子どもが本当に望むものは何なのか。
どうも、愛情とは名ばかりで、単なる親のエゴを押し付けていないか、
あらためて自己点検してみる必要がある。

●お決まりの12のNGパターン

・[提案]どうしたら悩みを解消できるか、親の考えを言う。「少し量を減らしてもらうように、先生に頼んでみたら。いくら何でも多すぎるわよね」
 [講義]理づめで説明する。「先生だって、宿題を出したくて出してるんじゃないのよ。あなた達のことを思うからこそいっぱい出すんじゃない。ありがたいと思ってしっかりやりなさい」
 [分析]子どもの言ったり行ったりすることの原因を、親が分析する。「勉強がわからないから、宿題をやるのに時間がかかっちゃって、イヤになるんじゃないの」
 [同情]なぐさめて、今の気持ちを変えようとする。「確かに大変だよな。でも、まあ、雨の日もあれば晴れの日もあるよ。今がんばれば、あすはもっと楽になるよ」
・親から与えられた解決策を実行してうまくいったとしても、それは子どもの自己信頼感を促しません。その解決策で失敗でもすれば、親の言ったことがよくないと、責任転嫁すらおきる可能性があります。自分の人生を自分で切り拓く強さ – それは、自分の悩みを自分で解決し、克服してきたという積み重ねの自信から生まれるのではないでしょうか。

12のパターンのうち、とくに自分が注意をしなければならない4つ。
このほかに、[尋問]もあるかも知れない。
それをベースにして、これら4つを使ってしまう。
でも多くの人は、提案や分析、講義や同情がいけないといわれて、
最初はその意味がわからないかも知れない。
むしろそれはいいと思っている人の方が多いというか。
でも、ダメなのだ。

●能動的な聞き方

・子どもがイライラしていたり、悩みがある時に、こうしたらよいと親が一方的に自分の考え方を押しつけたり、悩みの解決策を教えるのではなく、子どもの話をじっくり聞く対応です。子どもの気持ちのよき理解者となることで、子どもの思考を先に発展させ、子ども自身の問題解決能力を引き出すことができることが多いのです。親が教えこむのではなく、子ども自身の生きる力を伸ばす対応です。
・たとえば、「足がしびれて痛いのがイヤなのね」と、子どもの気持ちを親が口にしてみるのです。すると子どもは、自分の気持ちについて親が語っているのですから、「はい」か「いいえ」かの返事をする形で、もっと話を続けることができやすくなるのです。

能動的な聞き方の本質がここにかかれていた。
何冊も親業の本を書いていたけど、この本には、貴重なポイント、
間違いやすいところの注意が書かれていて、すごく勉強になった。
能動的な聞き方は、フィードバック。
子ども自身の思考を先に進めるための、フィードバック。
そして、悩んでいない時にフィードバックしても、無意味。

●能動的な聞き方に関する注意

・「能動的な聞き方」は、子どもが悩みを抱えた時に、親が持ち出す秘密兵器のような単なる「道具」ではありません。子どもに対する基本的な考えや思いがあるからこそ、それらを行動で示す方策としてあるのです。基本的な思いや考え方がないのに、道具だけ取り出してみても、「能動的に聞く」効果は上がりにくいでしょう。親に基本的に必要な態度を、親業訓練法を創案したゴードン博士は次のようにまとめておられます。
1.子どもの言うことを聞きたいと思うこと。これは聞く時間を取る用意があるということです。時間がなければ、そのように言う必要があります。
2.子どもがその時抱いている特定の問題について助けたいと心から思うこと。そんな気持ちのない時には、そうなるまで待つように。
3.その時の子どもの感情を心から受け入れること。どんな感情であれ、あるいはそれが親自身の感じ方から大きく離れていたり、子どもが感じる「べき」と親が思うものとは、どれほどズレたものであっても、子どもの気持ちが現実にそうなのであれば受け入れること。この態度を取れるようになるには、時間がかかることが多い。
4.子どもが自分の感情を扱い、それと取り組み、問題の解決ができる能力を持っているという子どもに対する信頼の心を持たねばならない。子どもが自分で自分の問題を解決するのを観察することで、この信頼は生まれてくる。
5.感情は、永遠に固定したものでなく、一過性であることを認めねばならない。感情は変化する – 憎悪が愛情に、失望が希望にとって替わられることもおこり得る。従って、感情が表現されることを恐れることはない。
6.子どもは自分とは別の人格であることを認めねばならない。子どもはもはや、親の自分とは一体の存在ではなく、独自の人生を歩む一個の存在なのである。と。この「離別感」により、子どもが独自の感情を持ち、独自のものの見方をすることを、親が「許せる」ようになる。この「離別感」が親の側にあって初めて、親は子どもを助ける立場に立つことができるようになるのだ。子どもが自分の問題を経験しているさなかに、親はその傍らにいることはできても、子どもと一体になってはならない(なれないのだから)。
・「能動的な聞き方」は、話したがらない相手に無理やり話させるためのものではありません。子どもの話したくない気持ちを大切にすることも、また親としてできなければならないことの一つでしょう。
・時間がない時も「能動的な聞き方」にはふさわしくないことがあります。子どもがゆっくり話す時間がない時に聞こうとしても、子どもは話さないでしょうし、親に時間がないのに「能動的な聞き方」で接してしまうと、子どもから思いがけない深刻な問題が口にされた時に、十分に共感できる気持ちのゆとりも時間もないことになります。時間についての配慮も大切です。
・「聞く」という行為は、あくまでも話す本人が主体であり、聞く人は受け身です。話す人の気持ちにそって理解の歩みを進めはしても、聞く側が話す人の歩みをリードすることはありません。従って、聞くことにより、相手を自分の思う方向に動かす(たとえば風呂に入るようにする)といった、操作のために聞くのではないことを肝に銘ずる必要があります。「能動的な聞き方」は万能でもなく、相手を思うままに動かす武器でもないのですから。

ここ、超重要ポイント。
親業を生半可に理解した人が、間違えやすいところ。
テクニックではなく、やはりマインドセットなのだ。
まずこの原則を理解してはじめて、親業の三つの道具が意味を持つ。

●事例

・「受験をやめたら」と言うのは子どもを孤立無援にすることなのだと改めて自戒しました。

これ、受験ではないけれど、
今の娘にも通じる話だった。
目からウロコだった。

●「わたしメッセージ」のまちがった使い方

2.親の本当の気持ちではない。「S君が野菜を食べないと、風邪をひいてお医者さまに連れて行くことになったら、時間もかかるしお金もかかるから、ママ、いやなんだ」実際に子どもが風邪をひいた時、親は時間やお金のことにどれほどこだわるでしょうか。とにかく、子どもに野菜を食べさせるためのこじつけとして、「親への影響」を口にしているとしたら、このメッセージは説得力を持ちにくいです。
3.「あなたメッセージ」の変形。「ママは、S君が野菜を食べればいいのにと思うわ」野菜を食べなさいという言葉を、ただやわらかくして「ママは…と思うわ」とくっつけたのでは、「わたしメッセージ」ではありません。
4.指示をつけ加えてしまう。これは3に似ていますが、三部構成の形のあとに、「だから…して」という趣旨の言葉をつけ加えてしまうものです。たとえば「野球の道具を玄関に置きっぱなしは困るわ。とても掃除がやりづらくて、イライラしちゃう。だから今すぐ片付けて」といったように、指示、命令が加わってしまうものです。これでは、子どもは自分で考え、判断する余地を与えられません。
5.教訓を垂れる。「あなたがピアノを練習しないと、一たん始めたことを中途で投げ出す子を育てているようで、お母さんイヤになっちゃう」要は、途中で投げ出す子はダメよ、人間は始めたらずっとがんばってやり通さなきゃダメなのよということを伝えたいのではないですか? 「親への影響」のところがはつきりしない「わたしメッセージ」に、こんな誤りがおこりがちです。
6.「能動的な聞き方」を忘れてしまう。「わたしメッセージ」を出したあとに、子どもの言うことを受けとめないことも一つの誤りです。
7.何度もくり返される行動に、「わたしメッセージ」をくり返す。毎日くり返される行動については、あとにご紹介する「勝負なし法」で対応してみましょう。
・「わたしメッセージ」は、あくまでも自己表現の手段であり、親の自己表現で親の事情や思いが子どもに理解できたあとで、それまでの自分の行動を変えるか否かについては、子ども自身に任されています。「わたしメッセージ」は、子どもを親の思い通りに動かすための操作の手段ではないし、万能薬でもないことを、強調しておきます。

これも、超重要ポイント。
基本的なマインドができていない操作主義の親が親業、あるいはNLPなんかを
知ったかぶりで使うと、こういうことになる。

●「わたしメッセージ」

・親からの「わたしメッセージ」に子どもが応え、行動を変えることがあったら、「ありがとう」の一言を添えましょう。子どもはあなたの言葉を耳にして、あなたへの配慮から自主的に自分の行動を変えたのですから。
・しかし、親の思いを的確に表現するパワーは持っています。そして「わたしメッセージ」で自己表現するために、親は自分の思いは何であるかの再確認を迫られますから、「わたしメッセージ」が、親の自己理解を促進することは確かです。

さらっと、とても重要なことを言っている。
読み落としてしまいそうだけど、これはとても重要なこと。
この本、親業のいろんな本の中でも
かなり深いところを書いている気がした。

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