人は、誰もが「多重人格」

誰も語らなかった「才能開発」の技法
なぜ、「隠れた人格」を育てると、「隠れた才能」が現れるのか?
21世紀のダ・ヴィンチは、いかにして生まれるか?

なぜ、私のメンターが
あの人ではなくて、あの人なのか、
その意味がわかりました。

それは、
メンターからは、Mindsetだけではなく、人格を学びたい
と思うからです。
そのことに気づかせてもらいました。
それから、匿名活動の意義についても、
目からウロコでした。

●器の大きさ

・日本語で「器の大きな人物」という言葉がありますが、この言葉の本当の意味は、「自分の中に、幾つの自分、幾つの人格を持つことができるか」という意味での「器」なのですね。
・「清濁併せ呑む」ことや、「包容力」を身につけるためには、まさに、自分の中に「様々な自分」が在り、その「多重人格のマネジメント」が求められるのです。

言い方を変えるとこの本はつまり、器を大きくするにはどうしたらよいか、という問いに対する答えが書かれているということにもなる。

●人格の切り替え

・「ビジネスメール」の書き方を見ているとも、その人の「人格切り替え能力」が透けて見えます。「仕事のできる人」は、ビジネスメール一つでも、丁寧に「人格」を切り替えながら書きます。これに対して、「仕事のできない人」という評価を受ける人は、ただ一つの「人格」で、すべての仕事をしようとする傾向があり、ビジネスメール一つでも、「人格の切り替え」をせず、「紋切型」のメール、「省エネ型」のメールを書くのですね。
・とはいえ、アイデアやコンセプトを出し合う最初の段階で、いちいち「それは、こうした問題がある」「それは、現実には難しい」という意見を出してしまうと、いわゆる「アイデア・キリング」(アイデア殺し)の雰囲気になってしまい、自由なアイデアやコンセプトが出なくなる。だから、会議の前半と後半で、会議を運営するマネジャーは、「人格の切り替え」をしなければならないのです。

仕事の中で人格を切り替える訓練を積む。確かにこれは、自然に行っていることだけど、気づかない人は永遠に気づかないかも。

●性格を変える

・現在の人格を「変えよう」とせず、新たな人格を、自分の中に「育てる」ことです。
・強く「抑圧」すると、強く「爆発」することになります(笑)。したがって、この「怒りやすい人格」はそのままに、新たに、自分の中に「寛容な人格」を「育てる」ことです。仕事と生活の様々な場面で、この「寛容な人格」を前に出す修業をすることです。その修業を続けると、不思議なことに、少しずつ、その「寛容な人格」が育ち、適切なタイミングで前に出てくるようになります。
・誤解を恐れずに言えば、「ある人格を演じる」ということと、「ある人格を育てる」ということは、同じことなのです。正確に言えば、ある人格を「演じる」ことを、長期間行っていると、自然にそれが、板についた「人格」になり、一つの「人格」として自分の中に育っていくのです。

変えるのではなく育てる。これは重要なキーワードだと思う。
弱い部分を保留にして、強い自分を育ててもいいし、暗い性格を保留にして、明るい自分を育ててもいいし、消極的な自分を保留にして、積極的な自分を育ててもいいし、思考重視の自分を保留にして、行動重視の自分を育ててもいいし、失敗を恐れる自分を保留にして、失敗を怖れない勇猛果敢な自分を育ててもいい。これなら、自分にもデキそうだ。

●隠れた人格の開花

・自分の中の「隠れた人格」が開花する仕事を選ぶ
・端的に言えば、「苦手な仕事」です。
・そもそも、「自分の性格に向いている仕事」とは、これまで自分が「表に出してきた人格」に向いている仕事という意味です。一方、「自分の性格に向いていない仕事」とは、これまで自分が「あまり表に出してこなかった人格」を活用しなければならない仕事を意味しています。従って、「苦手な仕事」、すなわち「自分の性格に向いていない仕事」に取り組むことは、必然的に、自分の中の「隠れた人格」を開花させることになるのですね。

確かに。
苦手な仕事 = 自分の新たな・隠された性格を育てる仕事 だと思えば、少しは楽しみも出てくるのかもしれない。隠された性格でもいいけど、望む性格に合わせて苦手なことにチャレンジしても、それはそれでおもしろいかも知れない。

●匿名活動の意義

・「日常とは違う場」で表れる「日常とは違う人格」を体験する
・ネットの世界で「匿名」で自己表現をするとき、誰でも、「隠れた人格」が表に出てくる傾向が強くなるからです。
・そして、そうした立場に立つと、誰もが、多かれ少なかれ、自分の心の奥の「深層人格」が表に出てくるのです。
・日常生活や旅行などで目にした「なぜか惹かれる光景」を写真に撮って、ブログなどに載せる方法があります。これも、自分の中の「隠れた人格」を発見する技法になることがありますね。「なぜか惹かれる」という感覚は、実は、心の奥深くの「深層人格の声」であることが多いのですね。
・ただ、こうした詩や写真などの自己表現も、「実名」での表現になると、人間関係に対する配慮や世間体への懸念など、「雑念」が混入してくるので、「隠れた人格」が現れにくくなってしまいます。
・ネットの世界で「匿名」で自己表現をすることは、「隠れている人格」を「解放」するのに良い方法なのではなく、「観察」するのに良い方法だと申し上げているのです。

facebookの時代、匿名よりも実名で、という雰囲気になっているけど、そう、匿名でもいいんだということの田坂さんの言葉にモヤモヤしていたものをすっきりさせてもらえた感じがする。解放ではなく観察。そう、自分が求めていたものは、これ。もっともっと匿名で活動しようと思う。誰かに気を使うと、本当の自分が表現できず、抑圧されてしまう。

●抑圧人格

・「過去の経験のトラウマ(心的外傷)」で。過去に、ひどい恥辱や深い喪失など、「思い出したくないほどの痛苦な経験」がある場合、「その経験に付随する人格」を無意識に抑圧してしまいます。

私がセールスができない、人に何かを勧められないというのが、
まさにこれだと、再認識した。少しずつ、乗り越えつつある。完全に乗り越えるためにも、もっともっと匿名で活動しよう。

●「教養」「文学」「映画」

・「娯楽文学」といったジャンルではなく、人間の生き方や心の深奥を描いた「純文学」や「古典文学」と呼ばれるジャンルの「文学」ですね。昔から、学生に「文学を読め」と勧めたのは、その小説の主人公の生き方や心の動きを通じて、「人間像」を広げ、「人間観」を深め、真の「教養」を身につけさせるためだったのですね。
・幸いなことに、現代においては、そうした「文学」に代わるものが出てきているのです。「映画」ですね。
・「活字離れ」が進んだ現代においては、「優れた映画」を観ることが「人間像」を広げ「人間観」を深めるための良い方法であり、真の「教養」を身につけるための優れた方法になっていきますね。
・そのためには、「映画」なら何でも良いわけではありません。やはり、最も大切なものは、「人間像」や「人間心理」をリアルに描いた「優れた原作や脚本」、そして「優れた役者の演技」と「優れた監督の演出」の三つでしょう。
例えば
・「ディア・ハンター」
・「ソフィーの選択」
・登場人物が「悪人」であっても、その「悪人」が「人間」としてのリアリティをもって描かれ、演じられているならば、その人物に感情移入や共感をしながら映画を観ることは、「人間」について深く学ぶ優れた技法となります。なぜなら、演技の世界に、次のような言葉があるからです。「悪人」を演じるときは、その人間の「善き部分」を見つめて、演じよ。「善人」を演じるときは、その人間の「悪の部分」を見つめて、演じよ。
・この言葉に象徴されるように、「悪人」と思える登場人物にも、必ず、「善き部分」があり、また、人間としての「弱さ」があります。そのことを理解するならば、「悪人」と思える登場人物にも、感情移入と共感はできます。特に、それを演じているのが、名優や名女優であるならば、必ず、その登場人物を「人間的な深み」を失うことなく演じていますので、「人間心理」や「人間像」「人間観」について、多くを学ぶことができます。逆に、単なる「アクション映画」や「スリラー映画」などでは、「悪人」が単純な「悪人」として描かれているため、リアリティがなく、あまり学ぶことがありません。
・敢えて誤解を恐れずに言えば、我々の人間としての成長と成熟のためには、優れた映画と演技を通じて、「悪人」の姿や心を見つめることも極めて大切なのですね。なぜなら、「悪人」の示す「開くの部分」や「弱き部分」は、実は、人間であるかぎり、誰の心の中にもあるからです。

紋切り型のステレオタイプな役者しか出てこないようなリアリティのないドラマばかりみていたら、心の成熟はない、ということ。人間はそんなに簡単に割り切れない。逆に言えば、犯罪者の心理や告白、マイノリティな立場の人の書いたものなどを積極的に観察し共感し理解するような修行をすることで、心の深みとか厚みは一気に深まっていくのかも知れない。

●師匠から学ぶ

・残念ながら、最近のマネジメント論は、「いかに部下のモチベーションを上げるか」といった操作主義的な傾向が強いので、部下の成長を支えられる上司が育たないのですが。
・たしかに、「師匠」から「技術」や「心得」を学ぶことは大切なことですが、実は、「師匠」から学ぶべき最も深いものは、「人格」なのです。
・どのような分野であっても、「弟子」が「師匠」から真剣に何かを学ぼう、何かを掴もうと思うならば、必ず、多かれ少なかれ、この「似てくる」という段階を通過します。
・世の中で語られる「枠に嵌めないで、自由に思考し、行動させる」という教育法で育つのは、子供時代や青少年時代の「個性」であり、一流のプロフェッショナルの「磨き出された個性」は、そうした教育法だけでは、決して育たないのですね。
・「性格診断」とは、我々が、日々の仕事や生活において被っている「ペルソナ」としての人格と性格を診断しているとも言えるのです。だから、我々は、「たしかに、自分の性格には、そうした面もあるけれど、それがすべてではないのだが・・・」とか、「いや、自分の中には、その全く逆の性格があるのだけれど・・・」といった思いを抱くのですね。
・「リアリティ・チェック」とは、私の造語ですが、「現実的な観点(リアリティ)」から、アイデアやコンセプトを厳しく検討する(チェック)」という意味の言葉です。

このあたりも、とても深い。師匠からは人格を学べ。逆に言えば、人格を学びたいと思える人を師匠に選ぶ。そして、性格診断に振り回されないこと。

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