止まった時計

麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記
12歳だったわたしは、サティアンに一人取り残された。
地下鉄サリン事件から20年。
オウム真理教教祖・麻原彰晃の後継者ともいわれた「アーチャリー」の人生が、はじめて明かされる。

ずっしり、重い。
でも、読んでよかった。
色々考えさせられた。

・富士道場に引っ越してからの父は、たまに「自分が死んだら、教団をどうするか」とか、「わたしは長くてあと五年だ」「死にたい」などと漏らすことがありました。父は1989年ごろから体調を崩すことが多く、健康面に不安を覚えているようでした。肝硬変や肝臓がんだということで大騒ぎになったこともありました。
・いつだったか高弟たちの前で、父が「もう死のうかな」とつぶやいたことがあります。父の言葉を受け、新實さんは「お供します」と言い、後に「建設省大臣」となる当時40代前半の早川紀代秀さんは「困ります」と言ったそうです。後に外報部長、ロシア支部長などを歴任する当時20代後半の上祐文浩さんは「残って救済活動をします」と言い、母はというと「勝手にすれば」と答えたそうです。わたしもおぼろげですが、こういう会話があった記憶があります。

・わたしは、父の死に対する願望は、徐々に強くなっていったと認識しています。
・父は自分が達成した「解脱」が、当初は弟子の誰もが達成できるものと信じていましたが、実際に指導してみると、思い通りの結果を出す者がおらず、だんだんあきらめていったのではないかという印象が、現在のわたしにはあります。解脱者がどんどん多くなって世界宗教となり、救済ができると真剣に考えていたのに、弟子の修行が思ったように進まず、人間はなかなか救われないという認識に変わっていったのではないかと。

・教義と現実(実感)のズレはさまざまなところで発生していました。教団は、組織的に未発達なサークルのようであり、神さまのように宣伝された成就者たちには、エゴイストと言っても過言でない人もいたのが実態です。しかし、オウムのなかにはそれを気にさせない何かがあったのだと思います。

・父は自分の信仰を最も大切にしていたため苦しんだのではないか、ということです。実際、「シヴァ大神の示唆では、仕方ないな・・・」と言って、父の聞いた「内なる声」が父の進みたい道ではないことに苦しむ姿、それで「いっそ死んでしまいたい」と言っていた姿を、わたしは見ています。ただ、この「内なる声」は、今から振り返ると統合失調症などの精神疾患によるものと見ることができるのではないか、とも思います。父には明らかに幻覚、幻聴があり、1993年ごろからは、アメリカから毒ガス攻撃を受けていると本気で言っているように見えました。

この本は、教祖に最も近いとされていた三女が、自身の父を「病気だった」と整理することで神格化をやめ、「人間宣言」をしたという意味において、貴重な告白だと思える。自身についても「人間としてみてほしい」という言葉で、神格化を否定している。また、父親を統合失調症だったのではないかとする記述に加え、神さま「のように宣伝」された「成就」者の意義にも疑問を呈しているところなども、とても興味深い。
ただし前半、父親の死の願望が強まった原因として、「解脱」者がなかなか現れず落胆したというくだりで、解脱そのものについては「」がきにしつつも、それを明確に否定していないところをみると、それそのもの、霊的な体験については、否定しきってはいないようにも受け取れる。
彼女自身が持っているであろう霊的体験、いわゆる神秘体験をどうとらえているのか、どう整理しているのかという点に非常に興味がある。ブログなどもやっているようだから、さらにそのことに言及してほしいと、思った。
また、私自身が40に近く、幼い二人の子どもを持つ親である。彼女が事件を経験した頃の、父親との年齢関係と、ほぼ同じ。自然に、もし自分の子どもたちが同じような立場におかれたら? と重ねて考え、暗澹たる気持ちに、なった。救われない気持ちというか、なんというか。とくに、仕事と好きなことに没頭するあまりに不在がちな父親と、子育てと生活に忙殺され心の余裕をなくし、精神的なバランスを崩した妻、そして心の余裕がないために、そのしわ寄せとして疎外感を受けた子どもたち。この構図を考えたとき、麻原自身が病気になる前に、まずはその妻が精神的なバランスを崩していたことが、この事件の隠されたトリガーなのではないか、とすら思えた。
たまにしか家に戻らない父親は、子どもに愛される。しかし、ずっと子どもと向き合っている母親は、壊れていく損な役回り。その意味では、妻の精神破綻のトリガーをひいたのは、やはり夫である麻原の側にあっただろうとは言えるのだけれども。

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