運気を磨く

心を浄化する三つの技法
最先端量子科学が明日「運気」の本質
あなたは、「強運」であることに気がついているか

 

「謝る」「許す」ということは、どちらかが正しく、どちらかが悪かった、という構図が生まれてしまうため、ひそやかにネガティブな想念が生じてしまうからである。これに対して、「感謝」という行為は、そうした正悪やや善悪の分離が生じない行為であり、ネガティブな想念が生じない行為である。従って、真の意味での「和解」をするためには、この「感謝を述べる」ということが「謝る」や「許す」ことよりも優れた技法となる。

NLPにおいて許しのワークというものがある。
言葉は「許し」でっても、その結果が「感謝」につながるものであると、よりいいのだろう。
そのできごとを自分のリソースに変えることで、感謝につながっていく。

 

「考える」のではなく、「感じる」ことである。ここで、「考える」のではなく、「感じる」ことを大切にすべきと筆者が述べるのは、実は、それが「無意識に働きかける方法」の要諦だからである。なぜなら「考える」という行為は、「あれは良かった」「あれは悪かった」や「あれで成功した」「あれで失敗した」と言った形で、プラスの想念とマイナスの想念、ポジティブな想念とネガティブな想念が分離する行為であり、成功体験について「考える」と、必ず、その逆の失敗体験が心に浮かび、ネガティブな想念が生まれてしまうからである。

「考える」という行為は、「論理」(ロゴス)を使う行為であり、「論理」とは、対象を切断し、分割する働きであるため、「考える」という行為は、必ず、真と儀、善と悪、美と醜、達成と挫折、成功と失敗、勝利と敗北、と言った形で、ポジティブな想念とネガティブな壮年の「分離」を生じてしまうのである。

体育会系のポジティブシンキングが危険なことに気付いている人は少ない。
しかもそのポジティブな想念を無意識に無理やり入れようとすると、気づかないうちに「反作用」という抵抗を生んでいる。
プラスとマイナスは同時に生じるのだ。
だからこそ、考えて理解しようとするのではなく、
ただただ成功体験を、音や香りや、表象とともにアンカリングする手法が素晴らしい。

 

「祈り」とは、手を合わせて祈っている間の想念が「祈り」なのではない。本当は、心の奥深くに常に存在する想念こそが最も強い「祈り」になってしまうのである。

「願望の祈り」もまた、必ず、心の中でプラスの想念とマイナスの想念の分離が起こってしまう。すなわち、心の表面での「試験に合格させたまえ」という祈りの反面、心の奥深くに「こうして祈っても、試験に落ちるのではないか・・・」というネガティブな想念を生み出してしまうのである。そして、実は、心の奥深くに生まれる、このネガティブな想念こそが、最も強力な「祈り」になってしまうのである。

「全託の祈り」においては、「この試験に合格させた前」や「この商談を成功させたまえ」といった祈りはしない。では、どのような祈りをするのか。「導きたまえ」それだけである。ただ、それだけである。

神社で祈る、仏壇で祈る、教会で祈る、色々あるけれど、
本当にうまくいっている人は、ただただ、達成した状況を感じながら感謝し、そして全託の祈りを行う。

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