お母さんへの手紙[幼児・園児編]
一時的に困ったことが起きても、
親がおおらかな心で見守っていると、
子どもは自分の力で立ち直っていくのです。
「悪い子」なんかいないのに (お母さんへの手紙 (幼児・園児編))
ほんと 悪い子なんかいないのに と思う。
何年かおきに、平井信義さんの本を読む。
そしていつ読んでも反省すべきことがある。
定期的に彼の言葉を読み返して軌道修正をはかりたいと思っている。
●叱る人の理由
・なぜ親たちが「悪い子」として自分の子どもを叱っているのでしょうか。それは、第一に子どもの発達について勉強していないからであり、第二には自分の思った通りに行動してもらいたいからです。その際の親の思いに、いろいろな誤りがあることに気づいていないのです。本来は「悪い子」ではないのに叱られるのですから、心には傷ができ、その苦しさから子どもはいろいろな反応を示しますが、それが親にとっては気に入らないので、さらに叱ることになり、子どもの心の傷はさらに深くなっていきます。
・姉らしさが現れてくるのは四歳すぎで、それもほんのわずかです。かなり姉らしさがはっきりしてくるのが、七歳前後です。このことを理解していない大人たちは、下の子どもが生まれるとすぐに、姉らしさを要求してしまいます。そうなると上の子は、小さなからだに大きな重荷を負わされたような気持ちになりますから、助けてくれ – といった意味で、下の子をいじめたり、おしっこをもらしたり、どもりになったりしますし、何かにつけてイライラして泣いたり、物を投げたりします。そのことを理解しない大人たちは、悪い子として叱ったりたたいたりしています。それがさらに上の子の情緒を不安定にしてしまいます。
発達心理について勉強不足な人は、とても多い。
そしてそういう人ほど、人の育て方に口を出してくるから、困る。
●過保護と溺愛
・むしろ日常の生活の中で、たとえば衣類の着脱などに手を貸してしまっているようなことがないか、つまり、過保護に扱っていないかについて、お父さんやおばあちゃんと話し合ってみて下さい。
・一日の生活の中で手を貸してしまう場面を書き上げてみる
・過保護ですが、お子さんが、たとえば着衣のときにもたもたしていると、つい手を貸してしまうようなことです。そのような過保護なお母さんは、着衣だけでなく、子どもの生活全般にわたっててを貸すことが多く見られます。ですから、入浴のときにどうしているか、食事のときにはどうかなど、一日の生活の中で手を貸している育て方を書き上げてみてはどうでしょう。過保護に気づいたならば、ゆっくりと「一人でやってみましょうね」「ほら、一人でできるわね」と声をえけてあげましょう。「全部自分でしなさい」と急ぐと、子どもの不安は大きくなってしまいます。
・溺愛というのは、一つは子どもがほしいという食べ物や玩具、絵本などをすぐに与えてしまうこと、もう一つは「やって」と子どもから言われると、すぐにやってあげてしまう育て方をいいます。溺愛を受けた子どもは、お母さんに命令して、自分の言う通りお母さんがサービスしてくれることを求めます。そして、だんだんにわがままになってしまいます。わがままというのは自分本位であることを意味しますから、友達ができにくいし、自分の命令を聞いてくれる友達とばかり遊ぶようになってしまいます。
・子育てにとって大切なことは、子どもの基本的欲求は十分に満たしてあげる一方で、欲望には制限があることを教えなければならないことです。基本的欲求とは、愛情を求める気持ちとか、認められたい気持ちなのです。欲望というのは、主として物質的欲望とか金銭的欲望です。基本的欲求が満たされないままに物質的欲望が満たされることが多いと、ほしい物があると何としてでも手に入れたくなってしまいます。
・これからは一切トイレのことを言い出さないでみて下さい。お子さんを苦しめないためです。
・先回りして危ないからやめなさいとか、きたないから触れないように – などと注意をしますと、どうしても臆病になってしまいます。
・自立をさせることを急いではなりません。お母さんにやってもらおうとするのも、からだでの甘えに似た気持ちがあるのです。ですから、自分でできるのに「やって!」と言ったときには、手伝ってあげるほうが、情緒の安定に役立ちます。
やって と甘えてきた場合に受け入れるのは、かまわないということと、
やって と言われてすぐにやってあげるのは溺愛だ というこのふたつ。
結局は明確な定義のようなものはなくて、ケースバイケースで判断するしかないのだろう。
でもそれは、親なら、直感的にわかるような気もする。
やってと言われてもいないのに、あるいは、自分でやりたいと言っているのに、
子どもの意志を無視して、先回りするのは、過保護。これは論外。
●反抗
・心がほぐれていく途中で、「くそばばはあ!」などと攻撃的行動が現れます。こうした言葉は、お母さんが本当に変身したかどうかを試しているのです。もしそれを叱ったりすれば、やっぱりダメ母さんだということになったでしょう。それを受け入れるお母さんに変わったということは、すばらしいことです。しつけ主義が脱して、おおらかなお母さんになったことを意味します。
●ほめる : 価値観の強要
・私は、ほめることは非常にむずかしいことと思っています。それは、ほめた行動は「良いことだ」という価値観を子どもに与えるからです。親たちがほめるときは自分の気に入った行動をするときであることが多く、本当に人間としてほめるべきこととは限らないからです。私はほとんど子どもをほめることをしません。「うれしい」とか「好きだ」といった情緒
的な表現をすることにしています。それは、価値観を伴わないからですし、子どもの情緒の発達に役立つからです。
確かに、操作主義に陥っている親はとても多い。
ほめることで、誘導・コントロールするという方法は、どこかで破綻する。
子どもは、ロボットではない。
操作されていたんだと知って、あとで恨まれても、知らない。
●添い寝
・添い寝をしてあげることも大切です。添い寝は、親と子どもの間の情緒的な結びつきをつけるためには、非常に良い方法で、私は、とくに問題を持っている子どものお母さんに添い寝をおすすめして、問題の解消に効果をあげています。また、お子さんとお母さんと二人だけで外出したり外泊する機会をねらっていることが大切で、それが実現できますと、ぐっと情緒が安定してきます。下の子をお父さんとかおばあちゃんに預けるなりして…。母親と子どもの一対一の関係は、情緒の安定に役立ちます。
・早くから独立心を育てることを考えて、一人寝をさせるようなことはなかったでしょうか。
今の時代の場合は、
住宅事情の問題で、添い寝ができないという人も、あるだろう。
そういうのって、つらいなと思う。
●急かさない
・もう少しスピードをあげてもらうにはどうしたら良いでしょうか。それには、お子さんに対してできるだけ口を出さないよう、せき立てることをしないように努力することが大切です。お母さん自身、何でもてきぱきと行動する方ではないでしょうか。そのようなお母さんは、どうしても子どもののろのろとしている行動にがまんができなくて、かっとなって叱ってしまいます。おそらく、あなた自身のお母さんかお父さんが、同じようにあなたを叱って育てたのではないでしょうか。われわれの研究では、子どもの頃の養育態度が、その子どもが親になったときの子育てに現れてくることがわかっています。ですから、親を批判することの大切さを、私は強調しています。親が自分にしてくれたいやな育て方を、自分の子どもにしないようにするためです。
●幼稚園について
・平成二年からの「幼稚園教育要領」では、子どもの自発的な遊びを大切にすることが謳われ、保育者が子どもに何かをやらせたり、一斉に子どもたちを引き回さないようにしようと提案しています。
・平成二年四月から新しい「幼稚園教育要領」で保育をするように、文部省が告示をしました。告示というのは法的名指示を意味しています。その中で、はっきりと鼓笛隊とは書いていませんが、子どもの自発的な遊びを妨げるような活動は好ましくないと指摘しています。運動会の鼓笛隊といえば、親たちに対する見せ場になりますから、先生たちが自分の思い通りに子どもを動かそうとして、夢中になって練習をさせるわけです。用事にとっては必ずしも鼓笛をするのが自分の意志ではありませんから、結局は、子どもたちを猿回しの猿にしてしまっていることが非常に多いのです。それに対して、はっきりと「イヤだ」と言えたのは、お子さんの自発性が順調に発達している証拠だと言えると思います。
・われわれの研究でも、片付けがへただったり、汚れを気にしない子どもが意欲的な生活を送っていることがわかりました。つまり、きれい好きであったり、きちっとしている子どもは「意欲」に乏しいと見てよいでしょう。
・給食を強制することも大きな問題があります。子どもによって食事量に個人差があり、たくさんに食べる子どもがいるのに対して小食の子どももいて、それは個人差というものです。小食の子どもが食事を強制されることほどつらいことはありません。偏食はなおしておくことが望ましいわけですがねそれも急いではいけないことなのです。ゆっくりと、嫌いな食べ物でも食べることができるように指導することが必要です。
・私は、欧米のように、親も子どもも先生を「さん」で呼び分銅を起こしています。欧米では、子どもたちは先生をミスター、ミセス、ミス – すなわち「さん」で呼んでいるのです。
子どもは、親の見世物じゃない。
自分が幼稚園のとき、まさにこの鼓笛というのをやったけれど、
はっきりいって、あまり楽しい思い出にはなっていない。
イベントが多すぎる幼稚園というのも、ちょっと考え物だ。
イベントに向かって、先生がピリピリしてくるというのも、本末転倒。
娘の幼稚園も、ちょっとそういう傾向があるので、気になるところではある。
もっと、自由に楽しめる運動会の方がいいのにと思う。
●その他
・お母さんの不安が子どもに伝わったのでしょう。お父さんとけんかが多かったころ、お子さんだけは手放すまいとして、しっかりと自分の方に引き寄せていたようなことはないでしょうか。そうしたお母さんの気持ちは、どうしても子どもに伝わり、お子さんの方でも手を離したがらなくなってしまうものです。
・友達にたたかれたら、たたき返すように促がすお母さんやお父さんがいますが、私は反対しています。それは、子ども自身が判断することであって、たたくことのいやな子どもはそれを認めてあげてよいのです。それだからといって、すぐに勇気がない子と考えてしまうのは早計ですし、たたき返すことを教えるのは復讐心を育てることになりかねません。あなたが望んでいる真の勇気とはそのようなものではないはずです。また、お年寄りもご両親も、お子さんに体罰を加えるようなことは少ないか、全くないのではないかと推定しています。親たちにたたかれている子どもは、それがモデルになりますから、友達をすぐにたたくようになりますし、思春期以後になって体力がついてきますと、いろいろな形で暴力をふるうようになるという研究があります。
・ただ一つ気をつけたいのは、気を使うことと「思いやり」とは一応区別して考える必要があるということです。気を使うこと、つまり「気がね」の研究をししてみますと、「思いやり」とは違って自己防衛の要素が含まれています。自己防衛とは、わが身かわいさという意識が多く含まれていて、必ずしも「思いやり」には結びつかないのです。「気がね」が多いと、自発的な行動が妨げられてしまいます。
大人の顔色をうかがうような子どもではあってほしくないなと思う。
一貫性がないと、そうなってしまう。
それから、最近では「たたく」子が増えた。
娘はたたかれても突き飛ばされてもやられっぱなし。
親がきっとそうやって怒っているんだろうなと、悲しくなる。
あるいは、テレビの影響なのかも知れない。