子どもが育つ魔法の言葉

Children Learn What They Live
世界10ヵ国で愛読
数百万人が共感した子育ての智恵

子どもと親とのやりとりが、具体的な会話事例を元に説かれていてとってもわかりやすい。親になる人の必読書だと思います。メモしたところはたくさんあるのだけれど、そのうちのいくつかを。


●夫婦喧嘩の説明

「ママとパパはお金のことでお話をしてたんだけど、喧嘩になっちゃったんだよ。起こして悪かったね」
「お金の使い方で、考えが合わなかったけど、こうしようって決めて、ちゃんと仲直りできたんだよ。またなにかあったら二人でよく話すことにしたんだよ。」
大事なのは、子どもの不安をとりのぞくことなのです。お父さんとお母さんは本当に喧嘩をしていた。けれども、不安になる必要はない。

衝突を建設的な話し合いで解決するという姿を見せることも、教育なんだ。
●不安を取り除くことの重要性

子どもが怖いと言ったときには、親はばかばかしいと思わずに、真剣に耳を傾けたいものです。怖いと思っている子ども本人にとって、恐怖は現実そのものなのです。「なに言ってるの」「なんでもないわよ」「弱虫だね」「もう大きいんだろう」などと適当にあしらってはあけません。

これも、子どもという一人の人格に敬意をもって接することから派生すること。

○「幼稚園でどんなことがあったの?」このほうが子どもは具体的に話しやすい
△「幼稚園どうだった?」

同情 : 相手と距離をおく(自分はそんな目に遭わなくてよかったという優越感)
共感 : 相手に近づく(相手の苦しみや悲しみをわが身のこととして感じる思いやり)

「○○したら、どうなっちゃうと思うの?」
… 子どもの真意を引き出す質問。

このあたりの話、全部カウンセリングのイロハだなぁと思う。
全ての親は、子どもにとってのカウンセラーだということなんだろう。
●テレビという悪魔

幼い子どもは、現実とフィクションの区別がつかないものです。親はいつも心を配っていなくてはなりません。テレビの画面に映しだされる事故や暴力や殺人シーンにショックを受け、心に傷を負う子もいます。

○人の心を和ませ、仲間意識を高める笑い
×人をおとしめて、その人にいやな思いをさせてあざ笑うこと
子どもにとってはその区別はなかなかつきにくい。マンガや漫才で、人の失敗を笑う習慣がついているからなのかもしれない。壁にぶつかったボケ役を見て、わたしたちは笑います。親は子どもに、ギャグの世界と現実とは違うのだということを教えなくてはなりません。現実に人が転んだり怪我をしたりしたら、笑う前に助けてあげなくてはいけないのだと言ってきかせたいものです。その区別がつかないと、人が困っているときに笑ったり、友達と一緒にはやしたてたりする子になってしまいます。

そもそも、そのような低俗なメディアとの接触から子どもを守るべきだと思う。
ほんとうに、子どもにはテレビを見せたくない。
●セルフイメージを下げないように守ること

特に幼い子どもは、馬鹿にされると、どうしていいかわからなくなってしまいます。そのまま我慢するべきなのか、それとも相手を避けるべきなのか、判断できないのです。
「ただの冗談だよ。冗談もわかんないの?」こう言われてしまえば、馬鹿にされた人はそれ以上返す言葉がない。

冗談として相手をバカにする行為は、最も卑劣で残酷な振るまいだということだ。
嘲笑や批判を会話のベースにしているすれたオトナには、純粋な子どもを近づけない方がいい。

大切なことは、先回りしたり、親の考えを押し付けたりしないことです。

×「だらしがない」
○「部屋を片付けなさい」
問題なのは部屋が散らかっていることであり、子ども自身ではない。

たとえば、朝、子どもを三十分、あるいは一時間早く起こすのは、かわいそうな気がするかもしれませんね。親も忙しくて気が回らないかもしれません。しかし、自分のことは自分でするということを子どもに学ばせるためには、子どもには十分な時間のゆとりが必要なのです。急いでやってうまくゆかずにイライラさせないためには、時間に余裕が必要です。

×「お母さんがあなたぐらいの時には…」
○「毎日車で送り迎えしてるお母さんに感謝してね」
どちらが苦労をしているかの競争をはじめないために、回りくどい言い方はしない。

子育てに関係なく、人と人との基本的なのコミュニケーション能力の問題だなぁ。
●セルフイメージを高めるように励ます

「受け入れる」という言葉の英語の元々の意味は「自分の方へ引き寄せる」というものです。

愛は、何かの報酬として与えられるものではありません。「これをすれば愛してあげる」と、愛情に条件をつけるのは本当の愛とは呼べないのです。… たとえ過ちを犯しても、お父さんはいつもお前の味方だよ、ということを伝える。

誤った行為そのものはしっかりと否定しつつ、子ども自身の人格までを否定しない。そして成長・改善のために常に味方であることを示すことが大切。
●生活習慣としつけの定義

安全に関わる約束事 : 親子で話し合って決めるのではなく、感情レベルで習慣化
他の日常生活の約束事 : 一方的に押しつけるのではなく、話し合ってルールを決める

どんな場合には強制し、どんな場合には自発性を優先するのか、その区別についてスッキリできた。

子どもが悪い誘惑に打ち勝つことができるのは、親に叱られるからではありません。自分の自尊心が許せないことはできないからです。

わが子がわがままな子だと人から悪く言われないために、親御さんによっては、子どもを厳しくしつけようとすることがあります。けれども、子どもには、歳相応の発達段階があるのです。幼い子どもが、他人の気持ちを思いやることができるようになるまでには、時間がかかります。他人の気持ちを思いやることは、子どもが成長の全過程をとおして少しずつ学んでいく能力なのです。

結局、他人の目を気にして子育てなんてしてられない。問題なのは、親戚だとか嫁姑のような、価値観の違う身近な人との折り合いをどうつけるかだろうな。このような「歳相応の発達段階」について、全ての人が理解してくれたらよいのだけど…
●その他

いつも見慣れているものには、わたしたちは注意を払わなくなる(貼り紙など)

●社会性

子どもに他人には絶対貸したくない物があります。それを、親はわかってあげなくてはなりません。たとえば、テディベアやお気に入りのタオルなどは、安心感や心地よさや慰めなどの特別な心理的意味を持つことがあります。それを手にしていれば、子どもは、お母さんの膝の上にいるような安心感を覚えるのです。そういった子どもの大切な宝物を、家族の者は粗末に扱ってはなりません。それをほかの子に貸すように仕向けるのもよくないことです。また、もう大きいんだからとそれを取り上げたり、躾に利用したりするのもいけません。もし、兄弟姉妹や友達に取られてしまったら、親が取り返してあげるべきです。それを取った子どもに、親は説明しなくてはなりません。これは持ち主の子にとってとても大切なもので、貸し借りはできないのだ、と。

子どものために時間を作るなら、子どもが小さいころからそうしなくてはならないのです。わたしたちは、経済的な理由や出世へのプレッシャーから、ついつい仕事を優先させてしまいます。けれど、子どもはあっという間に大きくなります。一日一日と先のばしにしていたら、手遅れになってしまうのです。親のほうは、自分は十分子どもと過ごしていると思っていても、子どものほうはそうは感じていない場合もあります。

×「しょうがないわよ。そういうこともあるんだから」
○「どうすれば、そうならなかったと思う?」
○「こんどからは、どうすればいいと思う?」

日頃自分はどんな語りかけをしているだろうか、ちょっと見直そう。

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