続「心の基地」はおかあさん

やる気と思いやりを育てる親子実例集
ミリオンセラー 「心の基地」はおかあさん の待望の続編

世代によっては、わたしたちの子育てを理解されないこともある。
古い時代の、誤った子育て観の話をきいて、意識が濁ってきた感じがしたので、
改めて、リスペクトしている平井氏のマインドセットを叩き込んで、
心を静めたくなった。


当時主流だった旧世代の暴力的・封建的な子育て観に
真っ向から反対したすごい人。
初版96年でありながら、読んでみると、この時代から既にラポールの話がでてきたり、
言葉こそ使われていないが、NLPそのもの。
大妻女子で彼に学んだ人たちは、幸せだと思う。
モンテッソーリや親業、シュタイナーとともに抑えておきたい一冊。
子育てハッピーアドバイスが好きな人なら、
その原点をこの本に読み取れるのではないかなと思う。
以下、心に留まったところ。
●叱ることについて

その対象が大人にとって大切なものか、大切でないものかの価値判断が、子どもにはできません。真珠やダイヤモンドであっても、遊びの対象としては、単なる石ころに等しいのです。だから、たとえば子どもが眼鏡をいじっていて、壊してしまったとしても、そのときには「お父さんの大事なものを壊してしまった」という意識はありませんし、もちろん悪意などないのです。
子どもは、叱らない人に対しては正直に自分の心にあることを表現しますが、叱る人に対してはうそをつきます。
子どもを叱ることの多いお母さん・お父さんには、自分本位の心が強いのです。ですから「いたずら」が許せないのです。それから、子どもを叱ることが多い理由としては、もう一つ考えられるのは、お母さん・お父さんが、子どもの発達について知らないということです。子どもは「いたずら」をしながら順調に自発性を発達させていく – ということについて、本を読んでもう少し勉強してほしいと思っています。
「悪いことをした」と言って、叱ったりたたいたりされた子どもは、幼稚園などで友だちに対する攻撃的行動を現したり、その逆に友だちから孤立して、一人ぼっちでいることが多くなったりします。
「お母さんだって…」などと言われたときに、多くの親たちはカッとします。それはなぜでしょうか。一つには、自分が子どものころ「口答え」を悪いこととして叱られたからです。親や教師の言うことにすなおに従えば「よい子」と評価されたのは、タテ社会(封建時代)のことです。その点で、民主的な家庭教育が行われている国々では、子どもが自分の思っていることや考えていることをはっきりと言うように、子どもに要求します。そのなかには、「ノー(いやだ)」と言えるということが含まれています。それを言える子どもが「よい子」なのです。そうした国々では、「うちの子、このごろちゃんとノーが言えるようになったのよ」と言って、子どもが順調に成長していることを喜ぶものです。
子どもは悪いことをしない存在である – という性善説に立っている
もし悪いことのように思われる行動をする子どもがいれば、一つには、子どもの揺れ動く発達について勉強していない者によって決めつけられたか、親たちによって誤った扱いやしつけを受けて苦しんでいる子どものシグナルであるという考え方に立っています。そのことを理解しないで子どもを叱るようなことがあれば、ますます子どもを苦しめることになります。

既に現在、外国の人と接する機会が増えた。
職場にも中国や欧米を中心に、他国の人がたくさんいるし、
英語と中国語が飛び交っている。
私たちの子どもの時代は、ますます海外との交流がさかんになる。
その時に、はっきりとYES/NOがいえるような育て方は必須だと
改めて思った。

子どもはしばしば冒険に挑戦します。冒険とは、危険を冒すことで、とくに自発性の発達している子どもに多く見られます。こうした冒険は、むしろ奨励すべきことです。また、子どもは、危険であることを知らないために、それをすることが多いのです。その行為は、無知からであっても、「悪い」ことではありません。危険であることを知っていればしないでしょう。

危険な場合は例外的に叱るという話もあるけれど、
とくに乳幼児期に、この意味を取り違えると、挑戦意欲のない子になってしまうから、
注意が必要。
●よい子にしない

意欲のさかんな子どもは、自発性の発達にともなって自己主張をするようになりますから、親や教師の言うことをすなおに聞かない面が現れてきます。
しつけという鋳型に子どもをはめ込む育て方が、子どもの自発性に圧力を加えているからで、そうされた子どもは、おとなしいけれども無気力であり、創造性も育っていない – という例をたくさんみてきたからです。
幼いころから他人に対して気がねをしたり、自分の言いたいことがあっても言わないでおこうという子どもや大人を作り出しているのです。
いわゆる道徳教育が危険なのは、外側の行動によってほめられるために、内心は育っていかないことにあります。
私は、子どもたちのしてくれたことに対して、「うれしい」とか「助かった」とか、こちらの気持ちを表現することにしています。子どもたちが「よい子」にこだわることのないように – との思いを込めて…。つまり、私はほめるようなことをしないのです。

無意識に、(大人にとって都合の)いい子にしようとしていないか
(大人にとって都合の)いい子だねという言葉を使っていないか
大丈夫だとは思っているけれど、あらためて自己点検しようと思った。

自発性の順調に発達している子どもは、後片づけを嫌うものです。親の言うとおりに後片づけをよくしてきた子どもが、思春期以降になって神経症になったりしています。それは、ほめられたことで自分の行動を鋳型にはめ込んでしまい、そこからなかなか抜け出すことができずに苦しむからです。

そういえば母は、孫である私の娘に、
片づけを強制しないよなと、いまさらながら気づいた。
私も、片づけなさいといわれたことなんて、なかった。
しつけようと頑張る必要も、ないのかも知れない。
●父親として

家事、育児を「まかせる」という言葉には、何かあったときには自分が責任をとる – という意味が含まれています。ところが、いざ子どもに何らかの問題が生じると、「お前の育て方が悪かったからだ」と、妻を責め立てる夫が少なくありません。こうなると、「まかせる」ということは、知らんぷりをしていることと何ら変わりありません。それが原因となって子どもに問題が生じていることに気づいていないのです。夫の協力が得られない妻は、しばしば情緒が不安定になり、それが子どもに投影しています。母親を相手にカウンセリングをしていますと、問題の原因がしばしば父親にあることがはっきりします。
子どもの目から見た「よいお父さん」 = 子どもとよく遊ぶお父さん
よく遊んでいない父子は思春期に対立する

とくに童心にかえって遊ぶというのが、
いちばん大切だなと、最近よく思う。
●けいこ事

第一に、そこの先生が、子どもの気持ちを無視して練習をさせたり、かけ声をかけたりしていることが少なくありません。つまり、子どもの心理について勉強せずに、教室の先生になっている者が少なくないのです。第二に、面白いだろうと思ってやりたいと言い出したものの、予想に反して面白くなかったということもあります。これは大人にだって言えるでしょう。第三には、いじめっ子がいたりすることがあります。
このように考えてみると、がまん強さを育てようと強制してみても、子どもの心を傷つけるばかりです。この次に子どもが「何かをやりたい」と言い出したときには、前もってその教室を見学してからOKを出すようにしましょう。

このことで、先日大きく悩んだばかりだった。
DIP 「ダメならさっさとやめなさい」 とも通じる内容だけれども、
単に我慢強さという言葉に踊らされて精神論を唱えるのは、賢くない。
もっと本質的なところをとらえなくては。
●その他

子どもがお母さんを求めてくるのは、眠くなったり、疲れたり、心に不安があったりするときで、そういうときにお母さんにしっかり抱きとめてもらうことができると、子どもの情緒は大変安定します。それが、「べたべたしないの!」とか「あっちに行って!」と言って、冷たく突き放されることが多いと、子どもの心は次第にひからびたものになり、相手の感情を汲む能力を失っていくことになります。

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