夜と霧

心理学者、強制収容所を体験する

あらゆる人が引用し、あらゆる人が勧めるこの本
まだ読んでいなかったので、手にとってみた。

 

「人生は歯医者の椅子に座っているようなものだ。さあこれからが本番だ、と思っているうちに終わってしまう。」これは、こう言い替えられるだろう。「強制収容所ではたいていの人が、今に見ていろ、わたしの真価を発揮できるときがくる、と信じていた」けれども現実には、人間の真価は収容所生活でこそ発揮されたのだ。おびただしい被収容者のように無気力にその日その日をやり過ごしたか、あるいは、ごく少数の人びとのように内面的な勝利をかちえたか、ということだ。

しあわせとは、そこに到達する場所やものではなく、今まさに感じることができる状態である、と言う考え方があるけれど、人間の真価も、か。
そして自分にとっての「内面的な勝利」とは何か、考えさせられる。

 

生きる意味についての問いを百八十度転換することだ。わたしたちが生きることから何を期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ
わたしたちにとって生きる意味とは、死もまた含む全体としての生きることの意味であって、「生きること」の意味だけに限定されない。苦しむことと死ぬことの意味にも裏づけされた、総体的な生きることの意味だった。

気持ちが萎え、ときには涙することもあった。だが、涙を恥じることはない。この涙は、苦しむ勇気をもっていることの証だからだ。

勇気をもらえた。

 

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