4歳までの理想の子育て

豊かな「生活体験」で、やる気を育てる。

子どもの心の発達について考える時、迷う時、いつも平井さんの本を指針にしている。
脳の発達でもなく、体の発達でもなく、心の発達。自分の接し方に間違いがあるのではないか、自分はどう接したらいいのだろうか、そのような不安は、全て解消される。
とくにこの本では、他の子に比べて「人見知り」をする傾向にある自分の子がどうなのか、全く問題がないことを確認できて、よかった。すっきりした。


 

●自主性と冒険心
・転んでもじっと見ている状況が必要。自分で起き上がって活動することで自主性が発達
・「危ない!」と言って取り上げるのではなく、指導の仕方をもっと考えるべき
・いたずらという言葉は大人側の言い分。子ども側としては探索欲求による行動。
・危ないとは決して言わず、冒険心を養う
・一人遊びを妨げないようにぐっとこらえなければならない。妨害行為は集中力の悪い子どもにしてしまったり、依存性の強い子どもにする恐れがある。
・一人遊びに打ち込む心を養い、それによって自主性が育つ。自主性とは、自分で考え、自分で行動する力。大人の都合によってそれを踏みにじらずに、じっと見つめていることが大切。
・しかし、三歳未満の子どもの一人遊びも、そばに大人がいて、自分のしていることを見ていてくれているのだ、そして何かのときには自分に応じてくれるのだ、という情緒の安定がないと、それに打ち込めない。だから、子どもの求めに応じて、応答してあげることが大切。その応答によって、かなり長い時間、一人遊びをするもの。
●祖父母との関係
・年寄りに気兼ねして嫁が子どもの自主性を抑圧して「おとなしい子」にする危険
・ママ(親)の言った言葉を祖父母が守らないようなことをすれば、子どもはママの言葉を信頼しなくなり、母子関係にヒビが入る。一家のルールを乱してしまう。年寄りと一緒に住んでいる家庭では、年寄りが孫にせがまれるままに勝手に菓子類を与え、若い者たちのしつけを乱してしまっていることが少なくない。「ママに内緒だよ」などとささやくようなことをすれば、ママの言葉を信頼しない子どもになるばかりでなく、内緒に – といったいやな行為を教えることになり、人格形成にゆがみを持つことになる。
・孫がどんなに泣いても、母親の言葉を忠実に守り、泣き止んだあとに「よくがまんをしたね」と言ってほめ、遊びをごほうびにあげる。
●人見知り
・二歳児や三歳児がお母さんから離れても平気なのは、独立心のある子どもなのではなく、母子間の結びつきができておらず、お母さんのイメージが子どもの心に刻み込まれていないことの現れ。身体接触が少ないことが原因
・三歳未満では、ママから離れない子どもがよい子。
・三歳未満の子どもが、初めての場所に行った時や見慣れぬ人に会った時に不安を感じ、信頼のできる人のからだにしがみつくのは、情緒の発達が順調に営まれており、お母さんと子どもの情緒的な結びつき(錨をおろす港)がしっかりとできている証拠。
・人見知りをしない=社交的な子どもなのではなく、実は、心を落ち着かせる基地をもっていない状態で、施設病と呼ぶ。施設病を持った子どもがわが国の家庭に増えている。そのような子どもは、公園や児童遊園に連れていきますと、すぐにお母さんから離れて、子どもたちのいる中に入って行ってしまうのです。新しい場所や人に恐れを感じない。そのような子どもが増えているので、お母さんの中には、お母さんにしがみついてはなれず、子どもたちの仲間入りをしないことについて心配する人がふえている。「うちの子は二歳半なんですが、公園に連れて行っても友達と遊ぼうとしません」といった相談が増えている。しかし、お母さんからすぐに離れてしまう子どものほうが心配な子である。
・かつての乳児院には、心の冷たい赤ちゃんが多く人見知りもしなかった。そのような子どもが大きくなると非行や犯罪を犯しやすいという指摘から、乳児院に保母を採用して、赤ちゃんの相手をさせ、「人見知り」が現れるようにしたという経緯がある。
・母子の関係ができあがっていない情緒の不安定な子どもは友達に対して攻撃的な行動が多くなる。
●しつけ
・「ダメッ!」語調を強くしてこの言葉を言えば子どもはすぐにしていることをやめる。しかしこの言葉は権力を使って脅迫しているようなもので、子どもはその言葉に恐れを感じて、していることをやめるだけ「ダメッ!」と言われたことの意味は理解できない。しかも「ダメッ!」と言われることが多いと、それを言われはしないかと思って行動が消極的になる。おとなしくて大人には扱いやすいけれど、いきいきと生活することのできない子どもになってしまう
・「ほうらごらんなさい」→悪い言葉で言えば「ざまあ見ろ」子どもが「しまった!」と思っているときに、追い討ちをかけるようなもので、子どもに強い劣等感を与える。子どもが失敗したときは、「この次はがんばろうな」と次に機会を与えて励ますべき
・使い出すときにその使い方の指導をしなかったために、自分が考え出した方法を用い、それを大切にしてしまった。(ハサミの例)
・けじめを教えるとき、「ちょっとだけ」「今度だけよ」は禁句
・子どもを叱れば、子どもは、叱られたことはやらなくなるでしょう。しかし、それは、こわいからしないまでのことであって、洞察は生じません。しかも心にあるしこりは、また、別のことに現れてくるものです。洞察とは、悪いことをしてしまったが、もうこれからはしません、ということです。
・「しつけ」というと、子どもを大人の命令や禁止に従わせることと考えている人が意外に多く、それが自主性の発達のおくれている子どもをたくさん作り出している。→子どもの「いたずら」や「反抗」を十分に経験してもらいながら、それによって困る人がいることを知ってもらうことが必要。その人のことを思うと、自分がしたい「いたずら」であっても、ガマンする。そのような気持ちがだんだん育っていくことが必要。(自己統制/自己規制)  この能力は、大人から「ダメ!」と言われたからそれをしない状態とは全く違う
●思いやり
・「いやだもん」それを言う時の子どもの心がどのように動いているのか、それを「思いやる」ことによって、叱ってもいいことなのか、叱ってはいけないのかが分かれてきます。そのときに子どもの気持ちを「思いやる」ことのできないお母さんは、直ちにそれを悪いこととして、すぐに叱ってしまうでしょう。
・子どもに対して「思いやり」の乏しいお母さんは、いつも自分の都合を先に考えてしまう。自己中心的。
・一般的に言って、お母さんが叱りたくなるような「悪いこと」というのは、子どもの「いたずら」が多いと思います。しかし子どもには、何がお母さんにとって大切なものなのか、大して重要でないものかについての判断はついていないから、それをしたのです。研究心の現われなのです。
・けじめを教えることは必要。しかしそれは叱らないでもできる。「これはママの大事なものよ」と言ってお母さんの困惑と悲しみとを、子どもに訴ればよい。子どもは、そうしたお母さんの感情を汲む能力を赤ちゃんのときから持っている。叱られるよりも感情で訴えられたほうが、子どもは受け取りやすい。
●社交性
・子どもたちがものの奪い合いを始めたときに、「貸してあげなさい」とか、「とってはいけません」などと大人の仲裁が入ったらどうなるか。貸してあげたくないのに、無理して貸してあげなければならなくなった子どもの心には、不満がのこる。また、奪い取った子を責めるようなことがあると、その相手の子をにくむ気持ちが育ってしまう。この年齢の子どもは、欲しいものがあればつかつかと寄っていってそのものを取るのが特徴で、決して悪い子ではない。
・「もうお兄ちゃんになったのでしょ」とか「おねえちゃんでしょ」と言って叱りたくなるが、兄らしさ、姉らしさの心は、四歳以上にならないと、芽生えてこない。もし、兄、姉らしくないと言って叱ろうものなら、下の子に対して敵意を持つようになり、かえっていじめるような子どもになってしまう。
・「貸してあげたくなったら貸してあげて」とお願いする。しばらくして貸してくれたちき「お兄ちゃんになったねえ」とほめる。そのようなことをくり返しているうちに、だんだんと玩具を貸すことが多くなる。
●大人の都合
・園で何をしているかについて聞いてみたい心をおさえて、黙っていることにする。子どもは自分の楽しくないことは、あまりしたがらないもの。それを追求することは、かえって不愉快な印象を呼び覚ますことにもなる。幼稚園が楽しくなれば、自分のほうからお母さんや家族の者に向かって、あれこれと園での話をしたくなる。それを待っていればよい。
・子どもの気持ちを汲んで抱くことが必要なのであって、大人の都合で抱いてはいけない。子どもが抱いてほしくないのに、かわいがる意味で抱き上げてしまったり、泣かれるとうるさいのでおんぶをしてしまったりするなど。
●その他
・欧米の子どもに対するしつけは、多分に、性悪説から出発している。
・欧米の子どものスキンシップは、ハグ/キスによって補われている。(それがない日本で部屋を別室にするのはとても危険)
・欧米家庭では、子どもの独立心を育てることが上手。しかし、そのために、思春期に女の子の危機が訪れる。十三歳の危機と言われるように、妊娠する子が現われてくる。親子間の情緒的な結合が十分でないために、男性を求めて情緒的不安定を解消しようとする。