「10年後にしたいこと」を今しよう。
中谷さんの本はいつも学びと気づきをたくさん。
以下、拾ったところ。
「なめられる」という発想は、自己肯定感が低い人の辞書にしか載っていません。
下り坂の人は自慢話を始めます。
ほめてもらいたいからです。
ほめられることから自由になろう という言葉が印象的。
常に頭を下げられる人間でありたい。
相談にのるというのは、相手よりも高い視点に立って「Aをやることこうなる、Bをやるとこうなる」とアドバイスすることです。
「AかBのどちらかをやれ」と指示することではありません。問題を解決するよりも、「それはそれでいいんです」と問題を凌駕する度胸をつけるのです。
解決できる問題は今までの経験を利用して解決し、解決できない問題に対してはそれを笑い飛ばせる凌駕力をつければいいのです。
昔から「凌駕」という言葉が好き。
鷹の寿命には2段階 – 40歳のときにくちばし・爪・羽が弱くなります。
残っているくちばしを岩に打ちつけて自分で全部折ることです。
そうすると、やがて、新しいくちばしが生えてきます。
新しいくちばしで、今度は自分の爪を一枚一枚はがしていきます。
新しい爪が伸びると次にくちばしで羽を全部抜きます。
天敵に見つからないように鷹は高い山に登って、自分の武器であるくちばし・爪・羽をみずからいったん全部捨てることによって再生の時期を待ちます。
新しいくちばし・爪・羽が生えてきた鷹は、再び下界におりて70歳まで生きるのです。「将来のために貯金しておきたいので習いごとはガマンします」と言う人は、小学校を卒業して働きに出るのと同じ考え方です。
「いや、今までこうやって教わっていました」と言うのは習いに来る意味がありません。習いごとをする時は、今までの「正しい」を捨てる潔さが必要です。
成長するというのは、恥をかけるということです。
50代で恥をかける人は、まわりからすると、カッコよく見えるのです。
学びのはじめに、こういうプリフレーミングをしたい。
ネット中毒にハマらない人の条件は
1.好きなことがある
2.まわりの目線を気にしない
3.生身のつき合いが好き
4.現実逃避しない
これ、ほんとにそう思う。
しなければならないことをしている人は、社会的成功を得たいからやっているのです。
したいことをやる人は、社会的成功より、自分のしたいことを優先します。ご主人がクレイジーになると「あんなことはとてもできない」と言ってグチがなくなり夫婦円満になります。
「あんたは好きなことしてていいわよね」と好きなことのレベルに見えているうちは、奥さんか不満が出ます。
WANTを超えてクレイジーまで行くと、もはや奥さんは文句を言わなくなります。
クレイジーというのは、合理性超えてしまうということです。
自分が好き勝手なことをやると家族が崩壊するという思い込みは間違っています。
クレイジーまで行ってしまうと、家族が逆にまとまるのです。人間は、見返りがない時に最も幸福を感じます。
見返りがあると、それでチャラになるので幸福感は生まれないのです。「私は好奇心旺盛で、いろんなものに興味があります」と言う人は、「行動力がない」ということです。
行動したものが、本当にしたいこと、好きなことです。
「興味があります」
「行こうと思っているんです」
「やろうと思っているんです」
「読もうと思っているんです」
しようと思っているものは、好きなことに入らないのです。
「興味がある」という言葉に自分がだまされないことが大切なのです。
べき で動いていたり
中途半端だったり
見返りを求めていたり
行動になっていなかったり
・・・ではダメだ。
論を語る50代と、体験を語る50代は圧倒的に違います。
理論を語るだけの薄い人間にならないように、
自分の言葉で語るということは
自分の体験を語るということなのだろうな。