復活する子どもたち
「子育てに失敗した」とあきらめないで!まだ間に合う注目の”実践幼児教育”
どんなに荒れていた子どもも必ず「復活」させるモンテッソーリ教育の「決定版」
1985に書かれた「ママ、ひとりでするのを手伝ってね」から、さらに10年以上たった。
実際に、実践者にどんな効果が現れているのか、興味があって読んでみた。
「ママ、ひとりで~」もそうだったけれど、今までの自分の子どもとの関わり方について、反省させられる点が多かった。
とくにモンテッソーリでは一般的に(一応)認知されている「第一反抗期」を否定して、この理由について明確な提言をしている点が興味深い。第一反抗期などというものは、ないのだと。
また、この「自由選択→繰り返し→集中→達成」のプロセスによって自信を強化し自分の本質を得ていくというのは、子どもだけではないのだと、思った。とくに、私の私淑する田坂さんなどが話す「仕事の報酬とは何か」というところの仕事観と、モンテッソーリでいう子どもの自然から与えられた「お仕事」という使命、成長のための必須プロセスは、共通するものが、ある。
逆にいうと、障害児の教育を健常者の幼児に応用したのと同じように、増え続けるうつ病に悩む大人たち、増加する一方の日本の大人社会において、このモンテッソーリは応用ができるのではないかと、思った。河合さんのやっていた「箱庭療法」だって、これと共通するんじゃないか、とも思う。
ノーベル平和賞を三度も辞退したというマリア・モンテッソーリ。
この人、すごい。
■目に留まったところを以下に。
・「よそ見して歩いているから、ぶつかったのよ。あなたの責任なのだから、自分で起きなさい」
・「もう、やーめた」と、いつでも立ち去ることのできる「遊び」ばかりでは、真の成長はできません。子どもが内面から良い方向へ変わるのは、「自分の意志ではじめた」ことを持続して行い、途中で投げ出さないで全力をつくして乗り越え、「わかった」とか「できた」とかいう実感を味わったときです。「仕事」は、面倒になったからといって、「やーめた」と立ち去ることは許されませんが、「遊び」はいつでもやめることができます。
・子どもははじめの二~三年で将来を左右するような影響を受けます。だから、もしも三歳までに適切に扱われるなら、そのこの理想的な原型ができあがります。ところが、環境や扱い方が最初の三年間の生命力を妨げるなら、さまざまな欠点を身につけさせることになるのです。
・若い女性が、初めて母親になり、オロオロしているうちに、アッというまに二、三年くらいは過ぎてしまいます。どう扱えばよいかわからないまま、悪戦苦闘しつつ必死で育ててきたのに、そのもっとも大変な時期の努力が逸脱発育で報いられるなんて、なんとも無慈悲きまわりない話ではありませんか。
・「第一反抗期」という言葉は、大人が勝手に作った、まちがった概念です。子どもは無意味に反抗しているのではないので、「反抗」と決め付ける前に、子どもの本質的な生命の願いを知らねばなりません。
・順序や所有物や場所などに強くこだわり、ちょっとでもふだんとちがうと、泣いたり癇癪をおこしたりする。その背後にある意味を知らない大人は、勝手に「第一反抗期」とかいう名前をつけて、困った時期だと決め付けます。原因も対応のしかたもわからないので、イライラして荒々しく接したり、その場しのぎに甘やかすことになりがちです。このような誤った養育態度が、「秩序感」が出てくる一歳前後から続くと、子どもは自然の法則にそって動けなくなり、そこから逸脱発育になっていくのです。
自然から課された宿題を果たせないため、子どもの心の中にはもやもやが残り、自分のリズムで生きるおだやかさや、落ち着きに欠けるようになっていきます。あるいは、やる気を失い、依存心の強いひ弱な状態になります。
・子どもがしないのは、やり方がわからないからです。
・「子どもは自由にのびのびと楽しく遊ぶのがいちばん。箸の持ち方なんて必要を感じたらできるようになるのだから、幼児期は楽しく食べることが先決だ」という人もいます。このような考え方は、次の三点を知らない人の見解です。
①随意筋運動を調整する時期にいる子どもは、動き方を学びたがっているという事実。
②その学びたい願望に応える教え方があって、自分にわかるように教えてもらうときの子どもは真剣そのもの。そして、それを獲得するためには、どんなにうまくいかなくても投げ出さないで、一生懸命に努力するという事実。
③できたときは深い喜びを表し、それが自信になり、人格的にも成長するという事実。
・「大きさ」の「漸次性」を理解するためにはカラフルな色や絵が邪魔になっているようでした。せっかく「大→小」を楽しもうとしていても、途中で「これは青」とか「ワンワンだぁー」とかいう話になり、「大きさ」に神経が集中できないのがよくわかりました。
・子育ての間は仕事を休んでいます。大事な仕事までやめて子どもと向き合おうとしたのに、本当の意味で向き合う術がよくわからずに戸惑っていたのだそうです。この種の当惑は、結婚して子どもが生まれるまで社会で仕事をし、自分の能力を発揮していた女性たちが、共通に感じていることです。生まれてまもない小さな子どもは、自分が仕事をやめてまで、多くの時間と力をかけるに価するのだろうかと、有能な女性であればあるほど悩みます。
・とくに家で教えなかったり、また忙しさを理由に、お母さんが手早くササッとやってしまう。これでは、いつまでたってもできるようになりません。
・家庭の中で毎日の生活を自分で考えて実行できるように手助けすることは、塾やお稽古ごとにつれていくより面倒臭いことかもしれません。だからこそ、塾やお稽古ごとでは得ることのできない大事な基礎や基本を身につけるのです。
・出生してからすぐに完璧な対応ができた親なんて、まずいないはずです。
・大人は環境を完成させるために働きますが、子どもは環境を手段として、自分自身を完成させるために働きます。
■この本を読んで
自分の本当にやりたいこと、ワクワクの根源についてのヒントも得られた。
著者に、ありがとうございます。