公立小中高から東大に入る本

本当の学力が身につく勉強術
大人が正しく導けば、子供は勉強が好きになります

 

⚫︎受験と勉強

小学校時代に算数はできたが、その後落ちこぼれたという生徒は、勉強のやり方さえ変えればかならず再起できる。それほど、計算力はものをいうのである。

大学受験とは、素質や才能とは無関係のところで決まる、一種の”情報処理ゲーム”にすぎない。並の素質と才能さえあれば、誰でもトップグループに入れるのである。私は、教育というものは、きわめて平等なものだと思っている。ひとことでいえば、親が子どもに手をかければかけるほど、その子どもは伸びるし、反対に、どんなにいい大学を出て、どんなに裕福な親でも、子どもに手をかけなければ、その子どもは伸びない。だから、学歴社会というのは、身分のシャッフルが起きやすい。身分が固定してしまう世襲社会などよりよほどマシで、学歴社会であることが明治以降、日本の原動力になったといっても過言ではない。

20歳未満の大学生の少年院収容者が皆無に近いという事実からすると、少なくとも大学に進むまで勉強した子どものほうが犯罪を犯しにくいとはいえる。つまり、勉強ばかりしていると子どもの性格が悪くなるというのは、根拠のない偏見なのである。

インドの小学校では、昔から九九どころか19*19(=361)まで丸暗記させてしまうが、このことと現在のインドが世界中にIT技術者を送り出していることは、けっして無関係ではないだろう。

ガリ勉という言葉に象徴されるように、まるで勉強が悪いことのような価値観を植え付けられている人が多いような気がするが、それは勉強をしなかったために社会的に弱者になってしまった人たちの負け惜しみか、あるいは賢くなられては困る人のポジショントークだろうと思う。

 

⚫︎関わり方

成績が悪いときは、子どもを叱ったりせず、心配してやると言うことだ。

現代アメリカでもっとも人気のある精神分析学者ハインツ・コフートは、人間の心理的な発達の目的は、”依存”を”自立”に変えることではなく、”未成熟な依存”を”成熟した依存”に変えることだと主張している。では、どうすれば”成熟した依存”関係を作ることができるのか。コフートは、お互いが相手の立場に身を置いて、自分ならどう思うかを想像すること- すなわち他者との共感能力が欠かせないといっている。

和田さんて、
テクニックだけではなく、心理面をしっかり理解してるんだよな・・。

 

⚫︎環境

親としては、”知的なもの”に対しては、日頃から敬意を払っておいたほうがいい。べつに子どもに「勉強せよ」といわなくとも、親がそういう態度でいれば、自然に子どもも”知的なもの”に対して憧れを持つようになる。 ….. 反対に、テレビで”反知的なもの”に出くわしたときは、それをけなす。もっとも、お笑い番組に目くじらを立てたり、タレント文化人を罵るようなやり方では、かえって逆効果だろうから、その手のものは見ない、と決めるのが賢明だろうが。

たとえば、子どもの友人たちが「勉強なんて」という環境だったり、子どもが勉強しているのに、親はテレビのバラエティー番組を見て笑い転げている – そんな雰囲気では、子どものやる気が起きないのも当然である。勉強に対するやる気がない子どもには、「勉強しないことには、これからの社会では役立たない人間になる」ということをしっかり伝えながら、その一方で、勉強をすることについては素直に喜んでやること。そして、ときに親が勉強をしている姿を見せて、「勉強ができる人間はかっこいい、勉強のできない人間にはなりたくない」と、知らず知らずのうちに思わせていくことがもっとも賢明だと思う。

とくに子どもが受験生になったら、親は子どもといっしょに早起きして朝食をつくる。夜も、決められた時間に夕食をつくり、子どもの生活リズムを崩さないようにする。そんなサポートが絶対に必要である。

受験生になったらテレビゲームは厳禁である。

家庭のなかに「読書 = 善」という雰囲気がなければならない。親が本好きなら、子どもは強制されなくても、いずれ本好きになるものである。

ここができるかどうかがカギなんだよなと、思う。
父親と母親と、あるいは同居の祖父母でここの価値観が合わないと、うまくいかない。
そしてどんな親の元に生まれるのか、というそれこそが子どもの運命なのかもしれない。

できることをやるだけだ。

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