バカの壁

少し時間が経っているけれど、ベストセラー本だったのでどんなものかと、読んでみた。


並行して読んでいるEQの話や、つい先日よんだ本に引用され興味をもっていたフランクルの「夜と霧」が引用されていて、このシンクロに意味を感じた。
> 若い人には個性的であれなんていうふうに言わないで、人の気持ちが分かるようになれというべきだというのです。むしろ、放っておいたって個性的なんだということが大事なのです。
> 彼(プラトン)が何と言ったかというと、リンゴという言葉が包括している、すべてのリンゴの性質を備えた完全無欠なリンゴがある。それをリンゴの「イデア」と呼ぶのだ、と。そして、具体的な個々のリンゴは、その「イデア」が不完全にこの世に実現したものだと言ったのです。つまり、言葉は意識そのもの、それから派生したものなのです。
まずこれは、クラスとインスタンスの話と同じだなと思った。オプジェクト志向の本などを読んでいれば、まずはそっちの方が身近な話かもしれない。
著者は、個性などという前に、まずはその前提としてクラス(イデア)を理解し、共人と共有・認識できるセンス(良識?)が必要だといっていると受け取った。
実際に、娘と接しているとこの話がとてもよくわかる。何かをみたときに、娘がそれをどう感じるかというのは、自由にさせてあげたい。むりやり、大人が感じる「型」にはめたくはない。でも同時に、信号の赤をみて「止まれ」だという「型」は教える必要がある。教えないと命にかかわる。これら二つの両方を理解させることは、決して矛盾することではない。
観念やレギュレーションは、その教え方が重要なのであって、教えないことが正しいのではない。複数の時間的視点や空間的視点はもちろんのこと、他人の感情というもうひとつの視点を意識する訓練をすることで、センスは否定されずに養われうると思う。
> フロイトが無意識を発見する必要があったのは、ヨーロッパが18世紀以降、急速に都市化していったことと密接に関係している。それまでは、普通に日常に存在していた無意識が、どんどん見えないものになっていった。だからこそ、フロイトが、無意識を「発見」したわけです。
> 我々は、毎日寝ています。寝ている間は誰もが無意識に近い状態です。この寝ている時間というのを、今の人はおそろく人生から外して考えていると思われます。脳によって作られた都市に生活している、というのもその理由のひとつでしょう。
> なぜ寝ている時間が無いのか。寝ている暇を勿体無いと思うのか。それは、無意識を人生のなかから除外してしまっているからです。意識が中心になっている証拠なのです。だから、若者はとにかく起きていようとする。極端に言えば、ギリギリまで起きていて、ばったり倒れて眠る。
> 「あんたが100%、正しいと思ったって、寝ている間の自分の意見はそこに入っていないだろう。1/3は違うかもしれないだろう。67%だよ。」
これはかなり目の覚める言葉だった。
「少ない睡眠時間を充実したものに…」とか「短眠で…」とか「惰眠をむさぼらず寝る間を惜しんで…」という発想はすべて、眠ることのほんとうの意味を考えたものではなかった。おきている時間だけを人生と考えるという前提をまず疑ってみるのもおみしろい。
これはまた、成功ではなく成長を楽しむという、プロセスそのものを受け入れ喜びとするという成功哲学とも通じる話なのかも知れない。睡眠そのものを楽しむ。おきている時間の為の睡眠ではなく、睡眠のための睡眠。密度とか時間ではなく、睡眠そのもの。
> サラリーマンというのは、給料の出所に忠実な人であって、仕事に忠実なのではない。職人というのは、仕事に忠実じゃないと食えない。自分の作る作品に対して責任を持たなくてはいけない。
どこを向いているかだろうなぁ。一方でマーケティングの本質てきなマインドセットに感動し、一方で、傲慢な医者や偏屈なエンジニアに多い職人気質が嫌いな自分の理由がはっきり頭の中で整理できた。どこを向いているのか。
◎マーケターや本当のプロ、商売人は、常に顧客の感情の方を向いている。
△(ダメな)サラリーマンは、上司の方を向いている。
×似非職人は、職人自身の方を向いている。(ナルシスト, 自己満足)
> 大きくなって非行に走った子供は三歳までに母親が「この子は育てにくい子だ」と書いていた率が高い、ということでした。
育てにくい子だから非行に走ったという意味ではなく、育てにくいと思う心のあり方や接し方に問題があったから非行に走ったという意味だと思うけど、こういうの、あるだろうなぁ。
> カーストはワークシェアリング
> 極端にいえば、鉛筆を落とした人は拾わない。別にそれを拾う階層がいる。
効率化を進めて、何でも人件費削減していくことは、必ずしもいいことではない場合がある。与えられたRole以外には手を出さないという仕事の仕方をする人がいるが、ある意味それも「あり」なのかも知れないという新たな見方を得た。
忙しそうだと思って作業者の仕事を自分が肩代わりしてしまうことは、必ずしも相手の求めていることではないかもしれない。
> 「旅の恥はかきすて」とは、日常の共同体から外れてみたら、いかに普段の制限がうるさいものだったかわかった、ということを指している。
> 徳川家康「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」
Xも同じことを言っている。

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