ベーシック・インカムと社会相続で作り出す「痛くない社会」
弾流!発想の大転換!!
ブッダの生の教えを現代に伝えるスリランカ上座部仏教長老A・スマナサーラ師との対談を特別収録!
ベーシック・インカム、いい感じ。
こういう発言をする人がちらほら出てきたというところをみると、
資本主義の終焉(または大規模な変化)がもうすぐなのだと、改めて思う。
それにしても、(訳し方の問題だとは思うけど)
スマナサーラ長老の発言がやや過激というか辛辣な感じがしたのが意外だった。
とくに、大乗仏教に対する批判的な感覚のところ。
●富の集中・貧富の差の本質的な原因
・むかしは商店街にも落ちていたお金が、ショッピングセンターに落ちるようになりました。この先は、ほとんどがアマゾンに落ちるようになってしまうかもしれません。このように、「すごく儲かっている」会社の数はどんどん少なくなって富は集中していきます。これは、どんな分野にも当てはまる構図です。
・特定のお金持ちがよりお金持ちになるのは、みんなが「安くて良いもの」を欲しがった結果です。ですから、お金持ちをもっとお金持ちにしているのは、「みんな」であるということなんです。お金持ちがよりお金持ちになっているのは、貧乏人を含めた「みんな」の総意です。特定の人への富の集中は、お金持ちの仕業ではありません。
確かに、貧富の差を憂う前に、まずその状況は
すべての人々の心の総意・心の現われだという事実を、認識する必要がある。
●ベーシック・インカムについて
・日本で年間110万人が亡くなっています。その人たちは約80兆円を使いきることなく死んで、ほとんどが遺族に相続されます。高齢化のためこの額は年々増える傾向にあり、2020年には109兆円になると見込まれています。この相続人を国民全員とした場合、年間1人64万円。月々約5万円となります。少ない金額にお前増すが、4人家族であれば合計256万円。これは2008年の世帯年収の中間値である443万円の半分を超えています。
・「扶養」という言葉はなくすべきです。たとえば4人家族で父親だけが働いている世帯の場合、「みんなで、世帯としてこれくらい得た」ととらえるようにするべきです。「おれ一人でこんなに稼いだんだ!」じゃないんです。いま「扶養」といわれる彼らがいることそのものが、現代世代が懸命に働くことの理由になってほしい。家族がいるから懸命に働く。それは養うためではなく、家族が「いるから」なんです。
・作る段階では、競争のほうがいいのです。なぜ、共産主義を目指した国家がうまくいかなくなったかというと、作るほうを平等にしてしまって競争しなくなったからです。しかも、配るほうで共産党員には別荘を配るような差別をしていました。逆なんですよ。
・一律給付のある目指すべき世の中は全体最適です。ところがいまの、若い人を徐々に食いつぶしていくやり方は、困ったことに部分最適ではあるのです。少なくともいまの高齢者の寿命がつきるまでは部分最適であり続けます。でもこれは、いつか止まらなきゃいけません。その分水嶺は団塊ジュニアが社会のリーダーになったときです。
・ベーシック・ニーズを、お金という記号にするとベーシック・インカムになります。(スマナサーラ)
このアイデアは、すごい。
それに、これはWLB社会の実現にも寄与する、深く関係する内容。
(書籍リンクというのも面白そう)
●現代社会の洞察、これからの経済
・人間の一生くらいのスパンで続くような産業がもはやないのです。「東大生が就職するのは衰退産業だ」というジンクスがありますが、実際にそうなっています。
・「努力は報われません」と、まず言わなければいけません。努力が報われる世の中はもう終わりました。誰もが納得できる正解を出せる世の中は終わりました。
・努力教の人たちというのは、お客の立場に立っていません。「努力が報われない」という人がお客になったとき、「じゃあ、あなたは売っている人の努力の結果でそいつからものを買うの?」って聞いたら、やっぱり「YES」とは答えられないのです。
・いまは、1円の壁がすごく高くなったのです。ネットの世界であまりにも多くのものが無料で提供されているのがその理由の最たるものでしょう。0円のものと、1円でもお金を取れるものとの壁がすごく高くなりました。1円の壁が高くなった代わりに、いままでそそこを越えた人は100万円しか集まらなかったのが、1千万円も集まるようになったということです。
・いまの日本の税制は累進課税ということになってますけど、実際にはあまり累進しているとはいえません。なぜなら、国が集めているお金というのは税金として集めているお金よりも社会保障の名目で集めているお金のほうが多いからです。給料から天引きされたりする社会保障費、健康保険や年金には累進性はありません。しかも、上限つきのフラットタックスです。みんなだまされています。
確かに、自分ですべての税金と社会保険を計算するようになると、この事実がわかる。
きっとみんな、会社任せにしているから感覚が薄れているんだなと思う。
源泉徴収票に書かれていても、その意味を理解しようとしない人の方がきっと多い。
いずれにせよ、もう「大企業で働く」「サラリーマン」というビジネスモデルは古すぎるんだ。
●所有から利用へ
・「あって当たりまえ」と思うような公共財は、ちょっとやそっとのお金持ちでは買えません。たとえば、明石海峡大橋は、6千億円の建設費がかかったといわれています。日本で6千億円の財産を持っているのは孫正義さんだけです。あるいは、名古屋までリニア新幹線の線路を引こうとすると、5兆円かかるといわれています。ビル・ゲイツの財布の底もつく金額です。つまり、使う側からすると、個人レベルのお金持ちは、たいしたことがないといえます。ビル・ゲイツでさえ、リニア新幹線一本で終わりですから。
・社会的に使えばいいものを「おれ」が持っていると「おれ」が管理費用を払わなければいけなくなります。社会に管理費用を払ってもらって「おれたちのもの=おれのもの」としたほうがずっとお得。問題は「そうみなせるか」というだけのことです。
・「所有」から「全体で使用している」ということへの意識改革を進めます。「持っていることの価値」から「使うことの価値」へ移行していきます。
・だれか一人がたどり着けば、その「未来」をだれもが共有できるのです。ジョブズが「iPhone!」と言ったら、みんなお金を出せば買えるわけです。一人が見つけたことはあっという間にみんなのものになります。
ベーシック・インカム社会を支える重要な概念。
そう、効用を重視するなら、自分がiPhoneを使えればいいのであって、つくれる必要もない。
作りたいという気持ちは否定しないけど、作る人が出てくる環境の方が大事。
●モノから効用へ
・われわれが本当に欲しいのは物品じゃなく「効用」です。効用さえ奪われないなら、物品は返したほうが、もっと面白い生活ができます。そう考えるだけで、しぜんと所有したいという気持ちは減ります。実際に、世の中の意識は「効用」のほうにシフトしています。若い人の車の不人気化を見てもわかります。効用が携帯電話で代替されたということもあるでしょう。もはや彼らはバブルのころにもてはやされたハイパフォーマンスな車をかっこいいと思わず、「単なる無駄づかい」だと思っています。言い換えれば、「効用を得るために低効率なものをかっこ悪いと思っている」のです。
・そういう意味で人類は進化しています。だからといって若い人たちが無欲になっているわけではありません。効用に関してはむしろ貪欲になっていて、600万円のメルセデスを見て「この程度か」、100万円のロレックスを見て「あの程度か」と思っています。「カシオの2万円の時計はもっといい仕事をするよね」「時計ならケータイについてるじゃん」という具合に、効用に対して貪欲になっていまする
・むかしの金持ちは本当に物持ちでした。土地持ちだったり、油田持ちだったり。でも、いまお金持ちになる人というのは「新しい効用を発見した人たち」でするそして、新しい効用というのはいっぺんに普及します。別にミリオネアでなくともiPhoneもネットも使える世の中です。それでもiPhoneを作る側というのはお金持ちになります。
・お金持ちの効用というのは、せいぜい「出始めのころに持てる」程度のことでしかなくなりました。市場に出回る3年くらい前に持つ程度でしょうか。ですから、お金持ちが手に入れられるものというのは強いていえば「時間」ですね。
・実物のフェラーリよりもナムコのゲーム『グランツーリスモ』で満足できる人のほうがかっこいいです。フィジカルにまで落とし込まなくてバーチャルで満足できる人というのは、それだけ自分の心が鍛えられているということですから、よりかっこいい。より知恵の部分で勝負ができます。たとえば、そろばんの名人は頭の中にバーチャルそろばんを思い描いて暗算ができるでしょう?同じことを、より社会資源を使わずにできます。かっこいいです。
ここ、苫米地さんが対談で言ってた内容と同じ。
若者はどんどん「物質」から離れている。そして「効用」重視になっている。
バブル世代より上の人たちとネット世代のジェネレーションギャップ。
この差はとんでもなく大きい。
●医療の矛盾
・いまの日本の死因第一位はがんです。その理由は単純で、「高齢化が進んだから」です。つまり、「がんで死ぬほど長生きするようになった」ということです。がんは立派な自然死です。恐竜の化石からもがんは見つかっています。
・お金が好きなお医者さんは延命治療のほうをやっています。産婦人科医をやっても儲からないですが、延命治療はざっくざく儲かります。妊婦がたらしまわしにされて命を落とし、延命治療のほうに医者が掃いて捨てるほどいるというのは、どう見ても健全な社会ではありません。
ひの人、ほんとに頭いいなと思った。
前に何冊か読んだ気がするけど、この人もウォッチ対象に追加確定だ。
●その他
・今日できちゃう楽しいことは、今日のうちにやっちゃいましょう。その代わり、明日になったらもっとかんたんにできることを、今日やる必要はないのです。
・お釈迦さまは「自分を捨てるな」と即答しました。「犠牲になるなよ」という意味なのです。自分を捨てること、自分を犠牲にすることは無意味な行動です。(スマナサーラ)
・面白いことに、一神教というのは、虐げられた人が、虐げた者を逆に虐げるために作ったという匂いがぷんぷんするのです。
・神様を持ち出さないと、筋を通せないのです。逆に神が便利なのは、「神様が言ったことだから」と言えば、なんでもありにできますよね。
そして頭のいい人はどんどん仏教に流れていく。
西洋一神教やグルイズムに流れるカルトが「思考停止」として嫌がられるのに対して、
仏教は、進行ではなく思想。思考のフレームワークだから。
そのことにきづくことができるのも、また知的レベルの高さなのだけど。