ベストフレンド ベストカップル

「大切な人」と居心地のいい関係を築く”感情の法則”
“6枚の切符”が「愛される自分」を連れてきてくれる

この本に書かれてある原則を知らない人は、
人生の半分、いや大部分を損する可能性がある、と思う。
あと10年早く読んでおきたかった…。

●重要法則 すれ違いの根本原因

・男性と女性は自分たちの根本的な欲求が違うことをわかっていないために、非常によく間違いを犯す。これこそ自分のパートナーも求めているものだと思って、自分が求めるものを相手に与えてしまうのだ。そうして相手が同じ好意を返してくれないとショックを受ける。
・自分はこんなに相手に与えているのに、パートナーは何もしてくれないと訴える人の何と多いことか。その通り、たしかに与えてはいるのだが、それがパートナーの本当に求めるものとは限らないからである。
・ほとんどの人は、パーキングメーターにお札を入れるような与え方をしている。硬化しか使えない機械に対して、なぜ紙幣が入らないんだ、とパーキングメーターを恨んでいる。パートナーに上手に満足を与えたいのなら、相手の使っている通貨を使わなければならない。相手の世界で使えるものを与えないのは、顧客が本当に求めているのを供給せずに、なぜ自分の製品を買わないのだと不平を並べる商人と同じである。

パーキングメーターにお札 のたとえはとてもわかりやすい。
そして、顧客に対するマーケターの対応との比較も。
言い方を変えると、異性とのコミュニケーションをマスターすることは、
顧客との接し方、マーケティングを学ぶことに通じるということ。

●重要なMindset

・信頼がないと、人はよく早まって相手の人間性の中身について否定的で間違った判断をしてしまう。どんなに腹の立つことをされても、信頼があれば、ちょっと待てよ、これが起こったのにはそれなりのわけがあるに違いないと好意的な仮定のもとで考える余裕ができる。パートナー同士が相手にはけっして自分を傷つける意志がないと認めた時、二人の関係には信頼が育つ。信頼をもってパートナーに接するとは、相手には自分を支える力も、またその意志もあると信じることである。
・信頼があれば、かりにまずいことをしでかしても事情をくんでもらえる。信頼はこう言う。「これが起こったのには、何かそれなりのわけがあるに違いない」信頼は、パートナー同士がお互いに相手を傷つける意図はなく、ただ支えようとしているのを認め合っている人間関係の中で育つ。
・男性は信頼されるとより男らしくなり、女性は思いやりを受ければより女らしくなる。

こう考えると、結婚という決断をした男女関係というのは、
精神的な成長の為の重要なパートナーだと、理解できる。

・男性は自分の行動への批判に弱く、女性は自分の感情への批判に敏感なのである。
・「愛してるよ」 – この単純なセリフを、男性がけっして聞き飽きない言葉に置き換えてみればわかるだろう。その言葉とは「ありがとう」である。
・もうひとつ、女性によく効く言葉は「わかるよ」である。相手の気持ちがわかった時(ただしわかった時に限るが)には、はっきりそう言ってあげるのがよい。男性が「わかるよ」と言うと、女性は聞いてもらえたのだと安心する。これに相当する言葉として男性が喜ぶのが「それはもっともだ」というセリフ。「それはもっともね」という言葉を耳にする時、男性は支えてもらえたと実感するものだ。

この、男女それぞれが大切にしたい言葉のたとえは、目からウロコ。
女性に感謝と評価の大切さを説明する場合にも、とてもわかりやすい。

・男性は、自分にとって必要な感謝や感情的な支えを女性から受けていない時、その不満や失望を必ず女性に伝えなければならない。これは、女性が自分がパートナーにとってどれだけ重要なのかを実感する支えとなるばかりでなく、どうすればもっと効果的にパートナーを支えられるかを彼女に教えることにもなるからだ。
・男性が自分の感情的な欲求を女性に伝えることは、女性の自己価値観を高めるだけでなく、もっと与えようという意欲にも火をつけるのである。

ああ、ここを読んで自分もこれを十分にできていないと、反省した。
自分が必要な感情的な支えとは…何をしてほしいのか…
もっとストレートに伝えてみよう。

●まず自分が変わる

・ビルがメアリーに評価されていないと感じて傷つくのは、彼自身も自分を評価していないからなのである。メアリーがビルに拒絶されたと感じて傷つくのは、彼女自身も自分を拒絶しているからなのだ。
・自分の心の安定を相手に頼ってお互い非難の応酬をしているなら、いつまでたってもミゾは埋められない。二人がそれぞれ自分の心の傷や否定的感情や行動に責任をもった時、初めて成熟した人間関係が築けるのである。
・成熟した人間関係の最大の試練は、ビルとメアリーが同時に虚しさを覚えている時にやってくる。こんな時は二人とも相手に与えることができない。この場合、衝突や恨みを避けるためには、愛情を自分自身かよそに求めなければならない。
・二人の関係は、成熟した人間関係が必要とする二つの条件を満たしていれば、うまくいく。第一に自分の虚しさや傷心を振りかざして相手を責めないこと。第二に二人がそれぞれ自分の必要とする愛情や支えを適切な対象から得ること。この二つが満たされれば、いらぬ衝突を引き起こす錯覚を上手に追いだすことができるだろう。
・とりわけ男性は、女性に純粋に尽くすためには、まず自分を評価し、受け入れ、信頼する必要がある。それが相手を愛するための第一の方法である。自分をそのように愛ししていなかったら、パートナーが不満げだったり動揺したりした時、彼は自己防衛的になってパートナーの不満や動揺を自分個人に向けられたものと受け取るだろう。
・彼は支配的になり、相手に特定の反応だけを要求するようになる。彼女がいつも自分の前では機嫌良くしていることを強いる。そうでない場合は不機嫌になる。自分を守ろうとする気持ちが先に立ち、彼女を支えることができない。そんな時、彼女が生活のストレスから追い詰められた気分になり、ヒステリー気味になったり疲れ果てたりすると、彼は自分の殻に引きこもり、心を閉ざす度合いも大きくなるのだ。
・『自分の内側」に原因を見ることとは、自分の行動のすべてに責任をもつことなのだ。自分をかわいそうな「被害者」と考えないことである。自分には変化を起こす力がないと宣言するのと同じことだ。被害者の態度をとることは、人間関係ばかりでなく、あなたの人生もだめにする。
・「被害者」は、自分が違うやり方で物事に対処していれば、もっといい結果が出ただろうということを認めない。「被害者」は、自分がどれぼと問題に加担しているかを認めたがらない。

結局、パートナーというのは、
自分の潜在意識の投影であり、インナーチャイルドの投影なのだ。
だから、外側のものとみてあらそうのは、まったく意味がない。
また、男女関係だけではなく、これは親子関係にもあてはまる。
まず母親は、自分に自信を持ち、自分自身を受け入れている必要がある。
そうでないと、子どもの反抗を自分への攻撃だと受け取ってしまい、怒る。
そして、母親がそうあるためには、その前提として、
その夫が、彼女のグチややつあたりを、個人攻撃ととらずに受けとめる、
度量の広さが必要ということになる。
ということは、まずその夫自身が、正しく自己評価できている必要がある。
まず強くなるためには、男性ががんばるしかないのかな。

●相手を傷つけない為に

・彼は自分の痛みを避けようとして、攻撃的なまでに自分の行動を弁護したり、コントロールされることに抵抗したりする。自分の「すること」に関わると、弁護にことさらに力が入る。それは彼にとっては行動か自己の一番の反映だからだ。
・他方、女性は自分の感情に関して、これと同じ敏感さをもつ傾向がある。行動を訂正されるのが男性にとって苦痛なように、感情を訂正されることが女性にとっては辛いことだ。感情は人との関わりの本質部分なので、男性が女性の感情をないがしろにする時、彼女はもっとも感じやすいところで傷つく。
・これを知らないと、男性も女性も相手の一番弱い部分にしかるべき配慮を与えないまま、お互いにひどいことをしてしまうはめになる。
・男性は、自分の欲求が受け入れられないと感じている時は訂正されることに過敏になる。だが、すでに受け入れられていると感じていれば、意見を聞き入れやすい。これに対し、女性は理解されていないと感じる時は自分の感情に関する意見には過敏になるものである。

ああ、このこと、もっと早くわかっておきたかった。
私は今まで、妻の感情を訂正しようとしてしまっていた。
感情を否定する発言をしてしまっていた。
なんてことをしていたんだろう。

●恋愛による、男性性と女性性の統合

・男が女を愛すると、彼は自分の女性面の良さを感じ、それと接触がもてるようになる。そして相手の女性から愛されると、自分の男性面の値打ちにも目覚めていくものである。同じように、女が男を愛すると、彼女は自分の男性面の良さに気づき、それを実際に味わうことになる。そして相手の男性から愛されると、自分の女性面の良さも味わうことができる。
・愛情を与え受けることを通して、男も女ももっとすみずみまで自分を愛することができるようになり、内に潜んでいた良さを味わえるようになる。そうやって、より完全になれるのである。
・自分ふさわしい愛を受け入れるには、愛情関係の中で、再び自分にたち戻る危険を冒さなければならない。愛を受ける能力が高まれば、本当に自分を分け与え、奥底に隠れていた潜在能力を表現することもたやすくなるものである。

異性パートナーと接する中で、
自分の中の男性性と女性性を引き出し、癒し、バランスをとる。
これはある種の瞑想で行うこともできるのだけど、
この現実社会で、夫婦として、まっすぐに逃げずに生きることで、
それが十分できてしまう。
山にこもる必要は、ないということ。

●抑圧による関係維持→関係の破壊

・このどちらのやり方も – 自分を抑えつけるかパートナーを変えるか – 関係を破壊してしまう。相手を変えることに成功した場合、目先の欲求はかなえられても、最終的に情熱はなくなるのだ。
・初めのうちはそれでうまくいくが、お互いの関心やときめき、魅力の度合いはそのうち小さくなっていくだろう。本当の自分を抑えてばかりいると、情熱や関心の度合いも減っていって、ついにはお互いに何も感じなくなる。いい友達にはなれるだろうが、情熱はなくなる。お互いに相補い合っている違いを尊重し合わないと、電流は失われる。つまり熱が冷めるのだ。正反対の資質がないと魅力は消え失せる。
・パートナーが二人の関係から愛情や安泰を得ようとして、自分らしさ、自分なりの感じ方、考え方、行動をどの程度であれ抑圧すると、情熱は消えていく。自分が相手に合わせたり(順応)、相手を自分に合わせたり(修正)すると、情熱が薄れるばかりでなく愛情も小さくなっていく。
・愛されるために自分を曲げたり、抑えたり、否定したりする時は、あなたは自分を愛していないのだ。「今の自分ではいけない」というメッセージを自分自身に与えているのだ。またパートナーを変えたり、直したりしようとする時、あなたは相手に、そのままでは愛するに値しないというメッセージを送っていることになる。
・相手は自分とは違うのだと知ることを寂しく感じるかもしれないが、そうではない。人それぞれの違いを受け入れることによって、私たちは相手を変えなければという固定観念から開放されるのだ。相手を変えようという考えを頭から追い払って初めて、相手独自の価値を評価できる。
・ある時点でパートナーに抵抗感を覚えると、男は楽になろうとして相手を変えるか自分を否定しようとする傾向がある。
・女性は、パートナーが本当は関心をもってくれていないのではないかという恐れから、感情を表に出さないことがよくある。心の表面では相手をかばうような口実を考えて気持ちを正当化するが、内心では彼が自分の気持ちに思いやりをこめて応えてくれるかどうか疑っているのだ。そして結局、拒絶されるのを避けるため、自分の欲求を否定してしまう。彼と自分の間に壁を築いてしまっている。

私は、とくに女性性が強く出ていて、男性性を抑圧している可能性がある。
だから、妻に対して、自分を抑えつける方向の対応をしていないか、
ちょっと自己点検をしてみる必要がある。

●女らしさ=運

・”女らしさ”を別の言葉で言うと、「運」と同じ意味になる。「適切な人々」を知っていて、「適時に適所にいる」というのは、女性ならではの特性である。つまり、女らしさとは自分の能力を発揮する機会を創りだし、自分が求める結果を生みだす力なのである。運が身につけられる特性であることは、まだ知られていない。愛情豊かで前向きで満たされた態度を養うことで「運」や「人徳」を身につけたり伸ばしたりできることは、あまり認識されていないのだ。
・私たちの社会では、男らしさの方が女らしさより、はるかに認められ尊重されている。努力して到達した結果はだれが見ても勝ちとったものとわかるが、運によって到達した結果は神秘的ではかり知れない感じがする。だから多くの人は、この抽象的で得体のしれない”女らしい能力”を尊重しない。目で見たりはかったりできなければ存在しないも同然なのだ。そこで女らしさの力は存在を認められず、したがって見発達のまま捨ておかれる。残念なことに、この社会的盲点のせいで、人より運のいい者は自分の成功をみずから勝ち取ったと感じられないでいる。

言い方をかえると、
男性が運を身につけるためには、自分の中にある女性性を目覚めさせる、
という理解ができる。確かにこれは、よくわかる。
たぶんこの分野は、やれる。

●女性性の発達した男性

・反対のケースもある。女性面のよく発達した男性は、パートナーの望みに譲りすぎるのだ。このタイプの男性は一般に「センシティブ(やさ男)・タイプ」と考えられている。この手の男性がよくこぼす問題は、女性が自分に「好意」をもってくれても魅力を感じてくれない、というものだ。親友にはなれるのだが、女性は彼を恋人にしたいとは思わないのだ。このタイプに最初に引きつけられる女性は、どちらかというと男性面が発達している。非常に自立心が強く攻撃的なタイプだ。
・自立タイプの女性゛がこの「やさ男」との関係をはじめてしばらくすると、彼女の抑圧された女性面が頭をもたげてくる。それまで自分の女性面を否定していた分、パートナーに拒否感を覚えるようになる。彼女は「私が欲しいのは本物の男よ」と感じはじめるが、実は彼女が欲しているのは、自分の女性面を受け入れ発達させることなのだ。
・同じようにやさ男が攻撃的な女性に拒否感を覚える時は、彼が自分の男性面を受け入れ発達させたがっている時なのである。彼女を拒否しながら、彼は、柔和でかよわい女性の方がいいと言うかもしれない。しかし本当は、彼に自分を男だと感じさせてくれる女性など必要ないのだ。自分の内からあらわれてきた男らしさを発達させる努力をしさえすればいいのだ。それは、現在の彼女のおかげで、すでに見いだしつつあるものなのである。

やさ男 とまではいわないけれど、
自分は子どもの頃は得に、この傾向があったように思う。

●女性性の抑圧

・次にあげるのは、女性らしい力を抑圧したまま男性らしい力を発揮している簡単な例である。
1.偉大な本を書く力がある作家なのに、その本がだれにも読まれない。
2.膨大な知識をもった教師なのに、生徒が一人もおらず、その知識が他からの持ち腐れとなっている。
3.高度な技術をたくさんもっているのに、その技術を使う機会がなく、力を発揮できていない。
4.すばらしい人間関係をつくる意欲や能力があるのに、相手がいない
5.働き詰めに働いて休みをけっしてとらなかったため、仕事が苦役に感じられてくる。

●男性性の抑圧

・男性らしい力を否定して、チャンスと周りのバックアップを引きつける女性らしい力のみを発達させた人
1.理想と思うパートナーを引きつけても、すぐに別れて新しいパートナーを探す。
2.成功するのに十分なコネクションや後押しがあるのに、恐がってやってみようとしない。いつまでも先延ばしにしたり、最初の一歩を踏みだすのをためらっている。
3.チャンスはいくらでもあるのに、自分の技術を磨く自己訓練をしない。
4.知恵を集めたり直感を得たりするのに、それを信じたり活用したりしない。
5.「運」が良いのに、せっかくの幸運を無駄づかいしている。

この二つをみると、
結局自分は、女性性も男性性も両方とも、十分にうまく発揮できていない、
という結論になる…。
あれれれ。

●男性性・女性性がアンバランスな4タイプ

・男女両面を同時に発達させることができず、バランスを失った人間は、四通りのタイプで表現することができる。
a.やさ男
このタイプの男性は、女性面の発達の方を重んじた男性である。男らしさの発達を拒んだために女性面の方が強くなった。攻撃性や自己主張が弱く、かわりに感受性が強く繊細である。男らしさを抑圧したために、もともともっていた魅力の大半を失い、有能さに欠ける。
・結果を重視する男性的な資質が足りない人は、結果重視に偏りがちな人の、押しつけがましく独りよがりな態度に簡単にひるみ、支配されてしまうことになる。
b.マッチョマン
このタイプの男性は、男らしさばかりが発達し、女性的な面は閉じ込められたままである。そのため、自己主張はするが、他人に無神経で感情に欠ける。女性的な面を抑圧したことにより、愛情をもって人生を楽しむ能力を失っている。
c.自立した女
女らしさの発達を拒んだために、このタイプの女性は自分の男性的な面の強化を重んじた。繊細さや感受性に欠け、攻撃的で自己主張が強い。他人の助力を引きだす女性的な魅力を使うことができない。女らしさを抑圧したことにより、愛情ある人間関係をもつ能力や他人に意欲と元気を与える力を失っている。何でも一人でがんばらなければと感じている。
d.あなたまかせの女
このタイプの女性は、自分の欲しいものをつくりだす女性的な魅力を重んじ、男性的な面を拒絶してきた。彼女は温かく受容的で繊細だが、人をあやつり、要求がうるさく、不合理なところがある。男性的な面の自然な発達を否定してきたので、自分を無力に感じ、不安で、他人に依存しすぎる。

男性はaかb、女性はcかdなのだとすると、
やはり自分はやさ男タイプ、なのか。
まあ、全ての要素があるから、きっちりわけられるわけではない、
ということなのだろう。
それにしても、今はcの女性がとても増えている。
ちょっと残念だ。

●幼少期に受けた傷による、男性性・女性性のバランス回復方法

・取り残される不安を感じた時は、次のような自分への言い聞かせを紙に書いたり胸にく返したりするといい。「私の中の少年(少女)は、一人取り残されるのを恐れている。自分の面倒が見られないといっておびえているのだ。でも、子供の頃の私は無力だったけれど、大人の今は求める愛情を得る力がある。今は自分の面倒を見られる力もある。自分に必要な愛情も手に入れることができる。自分で自分のことができる」
・父親を許せば男らしさを信頼し、受容し、評価できるようになる。そのことが自分自身を愛する能力を強めてくれるようになるのである。
・おそらく、母親を許すことによって、彼女は女性らしさが思いやりと理解と尊重に値するものだと感じられるようになっていくだろう。自分自身に思いやりと理解と尊重を与えることを通して、自分の女としての欲求の感触を取り戻すことができるだろう。それが自分自身を愛する能力を高めるのだ。

私は父親、あるいは父親的な立場の人を許せていないのだろう。
確かにこれは、思い当たるふしがある。
許すこと。でもいったい、何のどの部分を許せていないのか。
しっかり考えたことがなかったけど、
一度じっくり、瞑想してみる必要がありそうだ。

●女が望むこと

・「彼が私が何か話したがっていることに気がついて、わざわざ時間をとって聞いてくれる時、私が悲しみを打ち明けると、そっと抱きしめてくれる時 – そんな時は本当に慰められるんです。彼が私の新しい髪型や洋服に気づいてほめてくれる時、彼が私と一緒にいようとしてくれる時、小さな贈り物やメモで私を驚かせてくれる時、出張先から電話をかけてきてくれる時、私の望みを先回りして考えてくれる時 – そんな時、彼が本当に私のことを思ってくれていて、彼の心の中には彼のだけじゃなく、私の場所もあるんだと信じられるんです」
・彼女は私が家に帰った時、まっすぐ自分のところに来てぎゅっと抱きしめ、他の人たちに挨拶し、それからカメラのセットをしてほしかったのだ。カメラのセットを先にやってしまったために、私は彼女を自分は特別だという気分にすることができなかったのである。彼女の目には、私がカメラに集中していたことが、カメラの方が彼女より大事だとうつったのである。
・男性との愛情関係がうまくいっている女性の多くは、相手に与えることのできる限度がわかっている女性である。何が期待できるか、できないがわかっているから、彼が変わってくれる日を待ってなどいない。彼が与えることのできる贈り物に対して、感謝の気持ちをもち、彼を矯正したり、指図したり、変えたりしなければという強迫感を覚えることもない。自分の欲求や望みを伝え続けはするが、現在の相手を受け容れる心構えでそうする。こんなふうに相手を受け入れられるようになるためには、彼女自身が理解してもらう必要があるのだ。

なるほど…
女性って、そうなんだなぁ、と思う内容。

●男が望むこと 感謝

・私はポールに、なぜ彼にとって家がきれいて夕食が用意されていることがそんなに大事なのかと聞いてみた。彼は感情的になって答えた。「それが二人のために一生懸命働いている私への、彼女の感謝のあらわれだからです。家に帰ってきた時、彼女の愛情や私が彼女のためにしていることへの感謝を感じられたら、私の人生も生きる甲斐がある。でもそれが感じられないと、彼女に対して怒りがつのってくる。私が彼女のためにしていることへの感謝の気持ちが欲しいんですよ。それがないと、つい度を越して批判的になってしまうんです」
・彼の食事をつくるのは、何も彼のコックをつとめるだけではないことがわかったのだ。そうではなくて、それが家族を経済的に支える彼の努力に対する、彼女からの感謝の表現になるのだ。
・女性に評価されている時の男性は、何があっても、いつまでもへこたれてはいない。評価されることは、男の優先的欲求なのだ。それがあってこそ、男性は自分には物事を動かす力があると気づくのである。男は他人の人生を良い方向に動かす能力を通じて、自分の価値を測るものだ。だから評価が彼の行動を奮い立たせる燃料になる。仕事上の問題が解決できなくても、家に帰れば感謝と幸福にあふれた妻が待っていれば、男は仕事のストレスからもっと楽に解放されるだろう。
・相手を評価するからこそ、彼女はできるだけいつでも彼に対して機嫌良くいられるよう、感情を調整する。恨みがたまらないうちに自分の感情や欲求を伝える努力をする。彼を評価していれば、動揺したり追い詰められた気持ちになった時、それが彼のせいではないことを知らせようとする。
・感謝できない女性は”満足”もできない。 男性が女性に一番求めているものは、彼が今現在、彼女のためにしていることへの掛け値なしの評価なのである – 将来彼ができるはずのことへ向けた尊敬ではない。女性は、男性がいつか変わって頼りになってくれるだろうと信じたり期待したりすれば、それが相手を評価することになると思っているかもしれないが、これは真の評価とは言えない。
・男性から何もしてもらっていないという彼女の実感はとりもなおさず、彼女も、相手が第一に求めている評価と信頼を与えることができていないという証拠になる。
・問題は「どうすれば私をもっと尊重するよう、彼を変えさせることができるかしら?」ではないのだ。そうではなく、「今彼がしてくれていること、今のままの彼を、どうしたらもっと十分に評価できるようになり、もっと支え、もっと見返りを受けられるようになれるかしら?」なのである。

ここは、本当にうなずきながら読んだ。
妻を家政婦として扱っているわけではない、ただ評価がほしいだけ、
そう思う男性は、多いと思う。
もちろん、共働きの場合には、ここでいう「食事」は
ちょっと違った形で表現され得るのかも知れないけれど…

●男が望むこと 信頼

・フリーウェイに慣れていなかった私は、どこかで完全に道に迷ってしまった。ところが母は道に迷ったことなど少しも気にせず、ひたすら車窓の風景を楽しんでいた。その時、パッとひらめくように、私は何かとても特別なことが起こったのを感じた。…その瞬間、結婚を考えた女性には、車で道に迷ったらどんな反応をするかテストしてみようと、冗談半分に決心したほどである。
・女性にとって相手を思いやるのはしごく簡単なことで、苦労して身につけるほどのものではない。女性にとっての難題は、どうすれば相手を信頼できるようになるかということてあり、そして失望した後も、もう一度相手を評価して受け入れて、また信頼できるようになれるかどうかということである。
・男性が他人を気にかけることを覚えるのが難しいように、女性にとって信頼を身につけるのは難しいことである。
・男性は相手に自分の努力が信用されなかったり評価されないと、それだけでもう思いやりをなくしてしまう。パートナーを喜ばせる能力を疑われていると感じれば、たちまちのうちに彼女の幸せを気にかけるのをやめてしまうだろう。
・男性を評価するとは、自分の人生にその人がいることに純粋な喜びを覚えることである。

確かにこれ、とても重要なポイントだ。
自分の母親も、迷っても何も言わないタイプだと思う。
妻もたぶん、何にもいわないタイプかな。
仕事のことも、信頼しているよ としうだけで口を出さない。
妻に感謝だ。

●男女の違い

・一般に、男性面にとっては信頼され、受け入れられ、評価される欲求が先に立つが、女性面がまず求めるのは思いやりを受け、理解され、尊重されることなのである。
・男性が自分の「すること」で己を知るように、女性は自分の「あり方」でもっともよく自分自身を知る。この自己意識の違いが男性をより結果重視型にし、女性を人間関係重視型にしている。
・女性に自分のことを正しいと思ってもらいたいなら、彼女の言い分を聞く時間をつくり、彼女の感じていることは正しいと認めてあげることだ。
・男性にも、女性と同じように人間関係を通して安心感を求める欲求がある。しかし愛する人が側にいてくれる限り、男性はこの欲求に無自覚である。パートナーがいるという事実だけで、もう自分の力を保証してもらったようなものだからだ。妻が幸せでいれば、その自信はさらに強まる。一方、女性が安心感を得るには、直接の心のこもった気遣いがなくてはならないのだ。
・彼が「そう気持ちをピリピリさせるなよ」と言った時、彼は彼女を助けているつもりなのだ。なぜなら、危機に対処する彼の方法は、周りと距離をおいて気持ち落ち着かせるものだからだ。ところがジェニファーは逆に、ますます心を動揺させる。パトリックは冷静なうえに、ちっとも親身になってくれないからだ。彼が本当は彼女を思っていることが、ジェニファーには信じられない。
・女性は男性が自分の希望通りのことをしてくれない時に、そうじゃない、こうしてちょうだいと常に注文をつけようとする。すると、相手は自分のやり方ではまずいのだといういメッセージを何度も何度も受け取ることになる。そしてたいていの男性は、これを支配されたと受け取って拒絶する。
・女がストレスにさらされると、いろいろな問題がいつもより目にとまるようになり、さらにやらなければならないことがそこに上乗せされる。
・ストレスにさらされている男性は、他人の思惑に構わず内に向かおうとするために、一見思いやりがないように見える。同じように、女性は外に向かう際には他人を寄せつけず、まるでサポートする余地を与えないかのように見える。

このあたりは、他の本でも書かれている内容だけど、
何回読んでも改めて頷くということは、
自分はまだまだわかっていないということだ。

●幼少期の影響

・女性の自己価値は何をおいても人間関係、ことに自分がどう見られ、どう扱われているかによって高められる。尊敬と愛をもって遇されれば、自分が愛と尊敬に値すると感じられるのだ。女の子の両親が彼女を喜びと見てくれれば、自分自身を喜びとして見ることができるが、両親が彼女をお荷物と見るなら、自画像もお荷物になってしまう。人間関係志向の強い女性ほど、他人が自分をどう見、どう感じるかに左右されるものである。
・男らしさと女らしさの両面を同時に発達させるには、第一に思いやりを受け、信頼されること、理解されること、受け入れられること、尊重されること、そして評価されることを必要とする。この豊かな愛情と支えがない場合は、幼いうちから、さまざまな度合いで自分を抑圧するクセがついてしまうのだ。
・父親が他人を支える上で積極的に動いていれば、子供は内に秘めた攻撃性を良い形で伸ばす意欲をもつだろう。母親が従順で柔軟性があり、しとやかで、自分の望むものを手に入れることができていれば、子供も内なる従順な性質を上手に発揮するのを覚えるだろう。
・母親が自分を愛していなかったり、父親が母親を愛していなかったりすれば、女の子は自分の女らしい面は十分に愛されていないと感じるだろう。同じ状況に置かれれば、男の子も自分の女性的な面は愛されていないと感じるだろう。そして、どちらも、女らし能力を発達させるのに十分な「安心感」を覚えなくなる。
・同様に、もし父親が自分を愛していなかったり母親が父親を愛していなかったりすれば、その子は自分の男性的な面は十分に愛されていないと感じるだろう。幼い娘(息子)は自分の男性的な面を安心して発達させられないかもしれない。
・子供の時に無視されたり十分に尊重してもらえなかったりすると、大人になってからも相手の注意を引くことができなくなる。ありのままの自分を尊重してもらうという経験をしてこなかったために、恨みがましくそれを要求する大人になってしまうかもしれない – それではかえって相手を遠ざけるだけだ。
・両親が子供の欲求を尊重してくれないと、子供は自分にどれだけの値打ちがあるかさえ、なかなかわからない。ことに女の子は、父親が母親をどれだけ尊重しているか、母親が自分自身をどれだけ尊重しているかに影響を受ける。
・小さな女の子を見ていると、自分が無視された時に人形をめちゃめちゃにかわいがるということがよくある。もちろん女の子が人形遊びをするのが悪いという意味ではない。ただ、人形を過剰にかわいがることは、自分が求めている思いやりを受けられていないという恐れのあらわれだということである。

異性のコミュニケーションについて学んでも、
成功哲学について学んでも、
メンタルヘルスについて学んでも、
潜在意識の使い方について学んでも、
結局すべてはここ、「幼少期の環境」というキーワードに辿りつく。
やはりこれが自分の、ライフワークに関係するんだろうな。

・自分に責任があるという認識は、自我をもつ大人についてのみ言えることである。子供にはこれがあてはまらない。子供の時は、家族やまわりの虐待によって、いやおうなく痛手を受ける。拒絶されれば、子供は傷つく。不当に批判されたり罰を受けたりすれば、その子は理不尽な仕打ちに翻弄される。非難されれば、それは子供の胸にまっすぐに突きささる。この心理的な傷は、切傷や腕の骨折のような肉体的な負傷同様リアルなものなのだ。心の怪我は子供の成長を妨げる傷となる。子供は周りの環境の被害者である。子供は自我の意識が発達していないから、精神的な傷や虐待は子供の健全な自己観を歪めるのである。子供時代には自我の形成を両親、家族、友人に完全に頼っている。周りからの影響を非常に受けやすい。
・自我は、相手が自分の愛情に応えてくれることによって徐々につくられていく。愛情のこもった反応や支えに基づいて、私たちは自分が何者であり、どれくらいの価値があるかをしだいに学習していくことがてきる。したがって、愛情のこもった反応や支えがなければ、自分は何者かが学べず、否定的で間違ったセルフ・イメージを形成してしまうことになる。
・三歳のビルの目には、両親は偉大で、立派で、すばらしく、重要で、特別で、美しくて、強いものとしてうつっている。もし、その偉大な両親が彼を無視したり、非難したり、決めつけたり、拒絶したりしたら、彼はごく自然に自分がいけないのだと感じることだろう。自分は無能で、無価値で、悪い子で、馬鹿で、とるに足らない、両親に気づいてももらえない存在なのだと感じるのだ。両親が彼の愛情に応えてくれれば、彼は自分がその愛に値するのだと、だんだん感じられるようになる。自分は受け入れられていて、特別で、望まれていて、大切で、愛されていて、強くて、自信に満ち、しっかりしていて、賢く、知的で、ハンサムで、頭が良いなどと感じるようになるのだ。

娘に対して、そして息子に対して自分がどうふるまうべきか。
その最も重要なことが、ここに書かれてある。
子どもにとっては、親が世界であり、神であり、法だということ。
それだけの影響力をもっていることに、
私は畏れを感じるぐらいだ。
みんな、この影響力の意味を、もっとまじめに考えるべき。

●その他

・女性がパートナーの役に立とうとする時は、相手から評価してもらおうというのでなく、相手への評価をあらわしたいとい思いからでなくてはならない。
・男は恨みや自己犠牲や忍耐の匂いのしない要求にこそ、いそいそと応じるものだ。

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