恋するコンピュータ

黒川伊保子さんは、私が影響を受けた人の一人。
この人、とっても好きだ。
尊敬している。
知らずに手にとったこの本は、
この方の最初の本。
なんだかうれしい。
この本は、どこにカテゴライズしていいのか悩んだ。
でも、とにかく重要な本だ。


男性、とくに理系の人がコミュニケーションについて学ぼうとする場合、
黒川さんの著書はすごくオススメだ。
以下メモしたところ
●コミュニケーション

人間にしろ機械にしろ、誰かに対して情緒性を含んだホスピタリティを発揮しようとしたら、その相手を見つめることを怠るわけにはいきません。相手を見つめるということは、ひいては自分を、さらに相手と自分を取り巻くすべてのものごとを見つめることなのです。
会話における言葉は本来、語り手のイメージを表現するために使うものではないのです。言葉は、相手のイメージを喚起させる鍵なのです。会話は、語り手が自分の脳に描いたイメージを、相手に押し付ける作業ではありません。相手の脳に描いてもらいたいイメージがあって、これを喚起するために言葉を紡ぐこと、それが会話です。
「頭の良い」脳とは、感じあう脳とのバランスをうまく図れる脳。つまり相手のイメージングに対する想像力にたけている脳のことをいうのです。閉じた脳の中で、どんなに複雑な計算をやってのけようとも、それはけっして良い脳ではないのです。
コミュニケーションの場で使われる言葉は、聞き手の脳にイメージの広がりを与える鍵なのだと言いました。しかし、認識の場で使われる場合、言葉は逆に、イメージの広がりに境界線を与える役目をします。
認識する脳は、言葉を使って、あるイメージの広がりに境界線を与えて切り出します。つまり、イメージフリーズドライです。
脳の才覚は、このふたつの方向性に二分できます。イメージを言葉に凍結する才覚と、言葉を豊潤に解凍する才覚。
いつもべったり一緒にいるのではなく、何かに刺激を受けたとき、「彼女なら、どう見るのだろう」「彼女なら、きっと真価をわかってくれるに違いない」、そう思われることこそが磐石のパートナーシップだと、今の私は思っています。

人工知能の研究者が真剣に考えた結果は、
NLPでいうところの話とかなり重なるなと思った。
●頭のよさ

私たちは、一呼吸の表現するユニットを基本単位に、その中身(文節レベル)を組み替えたり、その基本単位をつなげたりして、発話文を認識しているのです。したがって、一呼吸を長く取れる人と、そうでない人には自ずから認識の深さに差がついてしまうことになります。
文節途切れの話し方は、自らの幼児性を主張している行為です。成熟した大人の女性になることに躊躇を感じる若い一時期の、一過性の症状だとすればあまり深刻になることはないと思いますが、認識ユニットが小さく浅ければ、扱いやすい小市民になってしまいます。洗練された特別の女性になりたかったら、まず文節途切れをやめることから始めたらどうかしら。

逆にいうと、深い呼吸で長文も自在に操れるということは、
頭がよいということなのかも知れない。
ただし、現代では、長文を理解できない人が増えている。
だから、Xの書くメールは、いつも一行が短いのだな。
●命名

私たちは何かに名前を付けるとき、そのいのちの音を聴き、その音にふさわしい名前を付けてしまうのだそうです。また逆に、付けた名前が繰り返し呼ばれるとき、その音が、話し手・聞き手にその名前の主の有るべきかたちを告げ、そのように振る舞えるように道を開けさせてしまうというのです。「そのゆえんで、名前を付けることを命名というのではないでしょうか」と大和田氏はまとめました。「命名は、もののいのちを見つめる行為でもあり、ものにいのちを授ける行為でもあるわけですから」と。

語感分析のさわりの部分もたくさん書いてあった。
詳細は別の書籍を読んだ方がいいと思うけど、
最近の親が、子どもの名づけに音から入るというのは、興味深いことだ。
黒川さんの研究結果が、ますます重要な意味を持つだろう。
●子育て

このことは、母親としての私に、知識を詰め込むことの無意味さを痛感させたのでした。言葉を教えてやるなら、この言葉が喚起するイメージの広がりを伝えてやらなければならない。それが出来ないのなら、薄っぺらな言葉の詰め込みはやめて、彼が彼なりのイメージで言葉を受容するのを待つべきなのでしょう。
我が家の早期教育は呼吸だけ。安上がりなものですね。

このあたりの根本的なマインドが重要。
これを理解せずに、Staticな知識だけをフラッシュする某○○式のは、まずい。
イメージの広がりを持たせるためという本質を理解していれば、
フラッシュだってかなり役に立つとは思うけど。
でも、テンポの速さは、時に呼吸の浅さとなってしまう。
このことを、フランチャイズでやっている○○式教室の教師では、
たぶん理解していない。
●本を書くということ

本の著者はツアーコンダクターのようなものだと思ってください。黒川さんは、山の頂上を知っている。そこまでの最短ルートもわかっています。でも、旅人は、最短ルートで、さっさと頂上に連れて行ってもらいたいわけじゃない。いろんな道を歩き、花も見、雪も見て、ときには道に迷ったかと不安になり、断崖絶壁の崖に足がすくんだりして、冒険のたびを楽しみたいんです。
著者は山の頂上がどういうところかも、最短ルートも知っているけれど、それをあえて語らずに、読者と一緒に山を楽しむたびに出るのです。一緒に花を発見したり、一緒に崖に驚いてあげたりしているうちに、いつの間にか本一冊分の原稿になりますから。それでも、足りなかったら、もう一度、別ルートの旅に出ればいいんです。

ここのところが、自分にとってこの本で一番の宝かもしれない。
ありがとう。感謝したい。
●その他

技術者たちの言語能力は技術の色合いにダイレクトに影響を及ぼします。饒舌な人の書くプログラマは饒舌ですし、潔癖な人の書くそれは潔癖なのです。特に技術者たちの母国語の特性は、おもしろいほど顕著に出てきます。
すべての物質は分子・原子のレベルで震動しているのですから、私たちのからだは波動で出来上がっている、と言ってもいいくらいなのです。つまり、私のからだは、私の音を発しているのです!
陣痛の合間の無痛時間にいかにリラックスするかがお産をスムーズに進めるコツです。次の痛みにおびえてリラックスできないと母子ともに疲れてしまいます。ここで、何もかも忘れてリラックスし、深い呼吸をして、赤ちゃんに十分な酸素を送ってあげてください。
「学校の勉強に何の意味があるの?」という若者の多くが、「三角関数や微分積分を知らなくたって生きていける」と言います。確かにそうですが、微分積分も力学にも、学ぶものはあります。ものの考え方を学ぶのです。視点の変え方を学ぶのです。

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