複雑系の知

二十一世紀に求められる七つの知
いま必要とされる「知」のスタイル
「複雑系」のキーワードが示すこれからのものの考え方

娘が大人になる頃には、それが当たり前のパラダイムになるんだろうな。
当たり前すぎて、「複雑系」というキーワードも忘れられるくらいに。
管理主義・操作主義の時代はまもなく終わる。

●情報共鳴がもたらす社会の進化

・われわれの生きる宇宙、地球、自然、人間、社会など、すべての世界の本質が関係性であり、世界とは「関係性のネットワーク」にほかならないからである。それゆえ、社会というものを、小さな専門の領域に分割して研究する現在の社会科学は、この分割という行為によって関係性のネットワークを切断してしまう。
・総合という方法も、学際という方法も、いずれにしても分析という方法を前提としているのである。それゆえ、分析のプロセスにおいて見失われた「大切な何か」を、総合という方法によって発見することはできない。
・「メディア」の一つの本質は、「進化のアクセサレータ(加速器)」であるという認識が、著者の思想にほかならないが、このインターネットというまったく新しいメディアは、これから社会の進化を加速され、その在り方を大きく変えてしまうメディアである。
・ソビエト連邦と東欧諸国の崩壊は、けっして外部からの圧力による崩壊ではなく、グラスノスチと呼ばれる情報公開の政策によって生じたことはよく知られることである。

コミュニケーション能力の重要性。
自分が志向していた仕事は、これ。

●アントレプレナーとビジョン

・物語の魅力が、癒しをもたらすことによあり、癒しをもたらすものは、その物語を語る人間の信じる力であることを理解するとき、なぜ、現代の政党や中央官庁や自治体が語るビジョンに、かくも魅力がないかを知る。その理由は明らかである。それは、ビジョンを語る人々自身が、そのビジョンの実現を深く信じていないからである。
・彼らは、ビジョンの魅力というものを、逆に考えている。ビジョンの魅力とは、「信じさせる力」であると錯覚しているのである。ビジョンに宿る生命力とは、それを語る人間が、そのビジョンの実現を、誰よりも深く信じているということである。
・知識資本主義の時代。これからの時代には、資本や土地を持った人々ではなく、知識と智恵を持った人々こそが、企業や市場をリードしてく。それゆえ、資本や土地を持たないアントレプレナーやイントラプレナーにも、大きな活躍の機会が与えられている。持つべきものは、仲間を巻き込んでいく「共鳴力」である。そしして、インターネットは、その共鳴力を発揮するための優れた手段を提供する。
・アントレプレナーは、社会の中に小さなゆらぎを生み出すだけで、きわめて大きな変化を引き起こせることを知っている。そして、アントレプレナーは、社会においてゆらぎを生み出すために、組織力を必要としない。彼らは、言霊の力溢れるビジョンを語ることによって、多くの仲間を巻き込んだ共鳴場を生み出し、その共鳴力によってゆらぎを増幅していくのである。いわば、アントトレプレナーとは、かつての革命家が、きわめて現代的な姿へと進化を遂げたものにほかならない。

私が信じているビジョンは何だろうか。
逆にいえば、資本がないのに、ビジョンもなかったら、
何もできない。

●病は福音なり

・子供の心だけを癒すという思考は、あたかも、故障した機械から壊れた部品だけを取り出し、これを修理して元に戻そうとする思考に似ている。それは、心の生態系という瑞々しく生命的な世界を、生命を持たない機械のごとくみなしてしまう機械論的思考にほかならない。従って、現代のセラピーにおいては、心の生態系の全体に、同時に癒しが訪れることを大切にする。
・セラピーにおいて、「心の病」とは、たんに正常な心の状態がなんらかの原因と理由で異常な心の状態になっているこを意味しているわけではない。セラピーにおける心の病とは、心というものが、さらに進化を遂げようとして、現実と葛藤することによって自ら生み出す肯定的な意味を持った現象にほかならない。こうした病に対する肯定的な思想は、心の病だけでなく、「体の病」や「組織の病」、「社会の病」なども含めた「病」という現象の全般に対する深みのある思想なのであるが、現在、社会的に通用している病というものに対する認識は、あたかも機会が故障した状態であるかのごとく、一刻も早く、元の状態にもどすべき否定的な意味を色濃く持っている。
・そもそも、現代の社会において、プロブレム・ソルバー(問題解決者)やソリューション(解決策)という言葉が好んで使われる背景には、モダンの思想にもとづく問題解決のパラダイムがある。「この問題を解決するためには、あの問題を解決すればよい」「ある問題の原因となっている問題を次々と溯って解決していけば、問題群の全体は解決する」という思想にもとづく問題解決のパラダイムである。これは、「因果性の問題解決パラダイム」とでも呼ぶべきものであり、機械的世界観と要素還元主義に共通のパラダイムであるといえる。
・実は、問題群の生態系という言葉の真の意味は、たんに「さまざまな問題が相互に関係しあっている」ということではなく、まさに、こうした「さまざまな問題が循環的構造を形成している」ということを意味しているのである。

仕事において、輸入モノのISOのPDCAサイクルとか、
コンプライアンス、リスク分析みたいなことばかりやっていると、
このあたりの感覚がガチガチの機械論になってしまう。
でも、人間関係は、そうではないということに、結婚して気づいた。
子育ても、同じ。

●その他印象に残った言葉

・洞察や直観とは、論理を捨てたときではなく、むしろ論理を究めたときにこそ、初めてその世界が開けるのである。それは、あたかもドーナツの穴を描くことに似ている。ドーナツの穴を描くためには、ドーナツの本体を描かなければならない。この本体(論理でつかめる世界)を描ききったとき、初めて穴(論理でつかめない世界)を描くことができるのである。
・歴史や政治や社会を、その現実から離れて客観的に語れるという我々の心の在り方こそが、実は、社会の直面している諸問題の解決を妨げている最も根深い理由なのではないか。二十世紀。我々は、あまりにも知と情を分離しすぎてしまった。

ドーナツ本体も描けないのに、
穴を論じるような人ってのも、たくさんいる。