講演DVD付
DVDだから、本が苦手な人でも本当におすすめ。
日めくりカレンダーの言葉は、ここからとられているものが多いような印象です。
カレンダーを持っている人は、その背景が理解できてよいと思います。
●自己評価の低下シグナル
・自己評価が低くなってきたときに、たいていの子どもが、必ずといっていいほど言うセリフがあります。「どうせ」という言葉です。「どうせぼくなんか」「どうせ私なんか」「どうせ無理」とか。子どもの口から、この「どうせ」という言葉が出てきたら、自己評価が低くなりつつあるあるサインだということで、ちょっと注意していただきたい。いわゆる「心のSOS」のサインの一つですから、子どもが「どうせ」と言いだしたら、そういう子はしばらく叱ってはいけません。すでに、自信を失いかけているのに、それ以上、自信を失わせてどうする、ということなんです。
・子どもたちが、他人を大事にするということを学ぶ前に、まず、学ぶなければならないことは、自分を大事にするということです。自分を大事にできない子どもは、本当の意味で他人を大事にすることはできません。
・ついつい私たちは、子どもを変えようと思っています。それは大事なことでもあるのですが、変えようと思っているということは、逆にいえば、「今のあんたはダメだ」ということなんでほすね。要するに、否定のメッセージを送っているということです。「この子はこの子なりに精一杯やっているのだ、しかたないのだ」と、大人もちょっと肩の力を抜くということも必要ではないかと思います。平たくいうと、「あきらめる」ということです。
下の子が生まれてから、上の子がはじめてこの「心のSOS」を出した。
しばらく注意しなくては。
●いい子の注意
・「手のかからない、いい子」と、安心していませんか。実は、子どもは寂しくて、「もっとかまってほしい」と思っているのに… ふだん、寂しい、不安な分、自分がいい子になって、親からほめられることで安心しようとする子です。ひどい場合は、親にも気を遣って、「お母さん、疲れたでしょう。お茶でもどうぞ」と言って、サービスしたりします。だけど「お兄ちゃん、お姉ちゃんは、自分でできるから、もう大丈夫ね」と思ってしまう。そうすると、本当は、もっとほめてほしくて、かまってほしくて、いい子になっているのに、いい子になることによって、よけいにかまってもらえなくなる。よけいにほっておかれる、悪循環。
・「泣いたり、わめいたり、ダダをこねたりしても、親は自分を見捨てたりしない」という安心感を子どもに与えることが大切。子どもの自己評価というのはも、親からほめられることで育てられるだけではなく、逆に、怒ったり、泣いたり、わめいたり、ダダをこねたり、いわゆるマイナスの感情を親にぶつけて、それをそれなりに受け止めてもらうことによって、育まれる部分も大きいのです。怒られたりもするけれど、「そんなことを言うんだったら、明日から絶食、家から永久追放」ということにはなりませんよね。一応、家には置いてもらえる、ご飯は出てくる、ということは、「文句を言っても、ダダをこねても、ここにいていいんだな」と、確認できるわけです。
ところが「手のかからない、いい子」というのは、自分がいい子でいる間は、自分の存在を認めてもらえるけれども、もし自分が悪い子になったら、ダダをこねたり、怒ったり、文句言ったりしたら、その途端に見捨てられるんじゃないか、見放されるんじゃないか、という不安が、非常に強いんですね。親からしたら、そんなことするはずないじゃないか、ということなんですけれど、受け止めてもらったという経験がないので、安心できないんですね。ということは、本当の自分に対する自信というのは、案外、育っていないんだということです。ですから、「手のかからない、いい子」というのは、案外、自己評価の低い人が多いんです。
・「いい子すぎる」子には、「どこかで、がまんしているんじゃないか」と大人のほうから、声をかけていく 「あんた、いつもいい子にしているけれど、本当は、何かがまんしていることがあるんじゃないの? 何か言いたいことあるんじゃないの?」と、聞いていく。そのように聞いてこられると、子どもは「じゃあ、ちょっと言っていいかな」と思って、「実は…」と話をしてくる。それを大人が「そうか、そうか。そんなことを思っていたのか、いや、今まで気がつかないで悪かった」と言葉をかけていって、初めて「ああ言っていいんだ」と思える子があるんです。
そして、「何かがまんしているんじゃないかな」という声かけ、
まさにこれをやったのだった。
よく親が怒るときに「外に出す」「置いていく」「ご飯抜き」のような言い方がある。
これは、子どもを絶対的に拒絶する、使ってはいけないことば。
このような最後通牒のような脅しでは、子どもが「いい子」にならざるを得ない。
大切なことは言い分をしっかりきいてあげることであって、脅迫して従わせることではない。
●大人の都合ではなく子どものペースで
・大人の都合で突き放したり、かまいすぎたりしない。あくまで子どものペースで見守っていく 大事なことは、この依存と自立の行ったり来たりが、あくまで子どものペースでなければいけないということです。ところか、そうわわかっていても、大人もなかなか忙しいものですから、実際、なかなかそうなっていないんですね。どうなっているかというと、子どものペースではなくて、大人の都合になっているわけです。
・子どもに愛情を伝えようとするときには、子どもの側にも、その愛情を受け取るために必要な条件があるんです。それは何かというと、子どもの側からも「大人に愛情を求めるアクション」が必要だということです。そしてそれが、実は「甘え」なんですね。だから子どもの甘えということがあって、初めて大人も子どもに愛情を伝えることができるわけです。実際、甘えてこない子どもに愛情を伝えるというのは、なかなか難しいですよね。
世の中では、「愛情は大事だ」と言うけれども、「甘えはダメだ」と言います。これは非常に矛盾しているわけです。愛情を大事にするならば、後もの甘えも大事にしないといけないのです。この甘えを受け止めてもらったときに子どもの心は安心感をもらい、また、「そのように大事にしてもらえるのは、それは自分にそれだけの価値があるからなんだ」と自己評価を育むことになるんですね。
・抱っこしてもらうと、子どもは「自分が大事にされている」と思います。そこで、「自分は大事にされる価値があるんだ、大切な人間なんだ」という気持ちが育まれていきます。自己評価が育ちます。ところが、泣いても泣いても抱っこしてもらえないことが続くと、やはり子どもは、「自分が大事にされていない」と思います。それは、親が忙しかったりするからなのですが、子どもはそうは思わないのですね。「自分が抱っこされないのは、自分が大事にされないのは、自分にそれだけの価値がないからだ」と思ってしまう子どもがあるわけです。
もちろん、どうしても抱っこできないこともありますし、また、一回や二回、抱っこしなかったからといって、すぐに自己評価が下がる、ということではありません。ただ、私が言いたいのは、「抱っこしないほうが子どもの自立のためにいいことなんだ」と思い込んで、あえて抱っこしない関わりが、一年も二年も続いてしまうと、それはやはり、子どもの自己評価に影響するということなのです。
忙しいときのイライラと、甘えさせてあげたい、我慢させないように、という思い。
この二つがいったりきたりすると、子どもは混乱してしまうだろうな。
親の都合、親に余裕があるときの、「今なら甘えてもいいよ」ではだめだということ。
●子どもの言葉遣いにびっくりしない
・子どもたちの言葉は、一種の外国語と割り切ることも必要。
「うざい、死ね」というのは、どういうことかというと、「かまわないでね」ということなんですね(笑)。
「ぶっ殺す」というのは、どういうことかというと、「怒ってるんだよ」ということなんです(笑)。
「くそばばあ」というのは、どういうことかというと、「お母さん」ということなんです。
これぐらいでいちいち深刻になりすぎないこと。
●肩の力を抜く
・「キレる」ということの背景には、一つに、ついつい「子どもに、ありえない理想を求めてしまう」ということがあるんですね。お手伝いもできて、素直で、勉強もして、ルールも守って、ちゃんと自己主張もできて、というように。ところが、自己主張のできる子どもは、たいてい素直ではありません。そんな二つが一緒に成立するということはないのです。
・もう一つ、ついつい子どもにキレてしまう背景にあるのは、親御さんが非常にまじめだということです。きちょうめんであったり、責任感が強かったりで、子どもの一挙手一投足が、自分のせいだ、自分の育て方のせいだと思ってしまうのですね。しかし、子どもというのは、育て方によって180度変わるというものではありません。