さぁ、ご先祖探しの”時間旅行”に出かけよう!
家系図について、二冊目。
戸籍でさかのぼれる江戸末期以前の、具体的な調査の仕方がよくわかった。
実際に今まで戸籍で追える範囲までは全部おっかけたんだけど、それだけでもかなりドキドキ楽しかった。
そこからさらに遡るのは、もっと楽しそうー。
数冊読んだ家系図調査関連の本の中で、この人の説明がもっとも秀逸。
その要点が収められていて、しかも説明もわかりやすい。
戸籍の読み方という、基本内容しか書いていない本が多い中、
この本では「その先どう調べるか」という、まさに最も知りたいところのノウハウについて詳しく書かれている。
しかも、その情報源や、コミュニケーションの書き方(手紙の文例)までも公開してくれていて、本当にありがたい。
本当に感謝したい。
●土地を持っていたなら
・旧土地台帳とは、明治から昭和初期にかけて役所が課税のために作成していた台帳のことで、今は使われずに法務局に保管されています。それを閲覧することで、その地番の土地の代々の所有者の移り変わりがわかります。これにより、土地を持っていたのか借りて住んでいたのかも見えてきます。つまり、ご先祖の経済状態がわかるということです。
・ご先祖の戸籍をたどれるだけたどった後に、最古の戸籍(除籍)で確認できる最後の土地の旧土地台帳を請求してみてはいかがでしょうか。もしかしたら、戸籍で確認できる以外の名前が発見できるかもしれません。ただし、法務局の判断で発行してもらえないケースもあります。
・「番戸」、「番屋敷」という表記の場合には、現在の何番地に相当するのかがまったくわからない。つまりリンクされていないのだ。
・小字名がバス停の名前として残るのもよくあるパターンです。
土地を持っていたかどうかはわからないけど、まずこれはやってみたい。
法務局といえば法人登記の時というイメージしかなかったけど、
確かに土地についても、法務局。あそこの使い方にも慣れる必要があるな。
●分限帳(武家の場合)
・その地域に関連する江戸時代の各藩の「分限帳」(藩の職員名簿のようなもの)からその家のご先祖の名前をひたすら探していきます。
・武士であれば「通称」、「実名」と二つの名前を有していたり、農民であっても「改名」したりと、同一人物が複数の名前を持っていることもあるため、必ずしも両グループの史料に同じ名前で登場するとは限りません。
・分限帳の簡単なところは、書籍化されているものを探すという点です。書籍と言っても、自費出版や小さな出版社が出した簡易な製本のものまであります。こうしたものは、国会図書館や地域の図書館で閲覧することができます。東京近辺の方は国会図書館か、あるいはその藩が存在していた地域の図書館や文書館に行って確かめます。もし、書籍化されているものに出会うことができたらラッキーです。何より、一般の方にとっては活字化されていることが助かります。それこそ「くずし字」で書かれた原本では、お目当ての名前を見つけるだけでもひと苦労だし、原本の場合には慎重に扱わなければならないため、素早く紙を繰ることはできません。
父方の直系は武家のはずだから、
これ、さっそくやってみようと思う。
●宗門人別改帳
・ところが思いがけず、そうした苦労をすることなく、宗門人別帳の情報を取得できることがあります。それは郷土史です。市町村の多くは郷土史を発行しています。こうした郷土史の中に史料として、その地域の宗門人別帳がそのまま掲載されていることがあります。ですから戸籍をすべて取得し、ご先祖がどこにいたのかを突き止めることができたら、その地域を含む郷土史を図書館等で閲覧していきます。運よく、そうした郷土史の資料編に人別帳の内容が掲載されていれば、「くずし字」を読む必要さえありません。すべて活字化されているからです。
・郷土史にも掲載されていない、図書館や文書館などにも所蔵されていないという場合には、その地域の方々に、「こちらの村の庄屋さんの家はどこだったでしょうか?」と聞いて回ることもあります。宗門人別帳は、各村の庄屋、名主と呼ばれる家が作成していたため、そうした家に控えなどが残っているケースもあるからです。
直系のひとつが、そもそもある場所の肝煎だったわけだから、
もし郷土史がなかったら、郷土史を保管している家をみつけたら一気に鎌倉まで遡れるかも…。
調べたくてうずうずしてきた。
●過去帳
・過去帳に過大な期待は禁物です。どちらかと言うと、他の情報を過去帳で確認したりヒントを得る、という程度に考えておいたほうがいいかもしれません。
よく、過去帳の話はきいていたけど、
それよりも宗門人別改帳とか分限帳、郷土史の方が使えそうなのか。
やはり、人の噂よりも、経験者の知恵だなと思う。
●一気に江戸から遡る情報源
・東京大学史料編纂HP http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/index-j.html
データベース検索のページからデータベース選択画面を選択し、さらに所蔵史料目録データベースのページで「苗字 家系」というキーワードを打ち込んでみると、『○○家系之譜」という古文書がヒットします。
・各都道府県や市町村には「文書館」という名称の機関が存在しています。文書館は、その地域に残る古文書を収集・保存して閲覧に供するのが主な目的です。各村で、江戸時代に庄屋などを務めていた旧家が、自身の家に残る古文書類を寄贈するという形で収集されます。
・普通の役所と違って、文書館の職員などは本当に親切です。とくに、自分の先祖を独力で一所懸命探しているのだと伝えると、親身になってくれる可能性は大です。
・どうしても遠方で気軽に行くことができない場合には、公立図書館の相互貸し出しの制度を使って取り寄せることができます。
・自分から代々どんどんさかのぼっていくと、どこかで本家筋と言われる家にぶつかるのが道理です。そして、そこには1000年以上も前からの家系図が巻物にされて桐の箱に収められているのです。では、その何代前でいきあたるのかわからないような自分の本家筋の家はどこにあるのでしょうか?そうです。自分のご先祖が江戸時代に住んでいた地に、今でも残っている可能性が高いのです。そうした家は、そう簡単に土地を離れることはありません。そして、その家は、自分の家と同じ苗字ということになります。
自分の場合は、残念ながらこの東大のDBからは、一気に遡れる感じはしなかった。
でも文書館と国会図書館での藩の資料と郷土史の調査は、すぐにやるべきだと思った。
毎日昼間は、国会図書館のすぐ近くにいるわけだから。
仕事帰りに行ってみようと思う。
●時代認識
・分家には戸主の同意が必要とされていて勝手にはできないものでした。よく、「本家」、「分家」などという呼び方をしますが、昔はこれも法律上の制度だったのです。
・何とこの「妾」が法律上、認められていた時代があった(明治3年~明治15年)というのですから、現代人にとっては驚きです。法律上公認ですから、戸籍にも妻と同様に堂々と記載されていました。しかし、それも前述した壬申戸籍の頃の話なので、現在では「妾」という記載のある戸籍を目にすることはほとんどありません。
・そもそも武士だった家は、明治時代を迎えると廃藩置県でいっせいに失業することになります。そのときに秩禄処分と言って、いわば退職金のようなものをもらって「商売をするなり、農業をやるなり好きにしてください」と言われてしまったのです。
なるほど…こういう話をみると、例えば同じ「分家」とか「結婚」とか「家」という言葉を使っていても、自分と祖父母の世代ではそれに対する重みや思い、意味が全く違うのだなということが理解できる。だからなのか、と。そして、少し優しい気持ちにもなれる。
●家系調査の意義
・教科書で習ったような歴史上の人物の血が入っていない可能性のほうが少ないと考えるのが自然。
1世代前 : = 2人(父と母)
2世代前 : = 4人(父方の祖父母と母方の祖父母)
3世代前 : = 8人
4世代前 : =16人
5世代前 : =32人
10世代前 : =1024人
20世代前 : =100万人突破
27世代前 : =1億人突破 … 800年くらい前の鎌倉時代
これはすごい。
歴史の教師あたりが、学校で子どもたちに教えたらどうだろう。
ただし、歴史上の人物というのは、偉人もいれば犯罪者もいる。
偉人であることも犯罪者であることも、その当時の体制や国勢、価値観によるので、
単にそれをもって善悪を判断するべきではない….という認識とセットで。