「希望」論

一瞬に目覚めて生きるために

頭がいいなぁこの人…と舌を巻く。ため息が出る。
こういう貴重な人を、二年も実刑で塀の中に閉じ込めてしまう国、
そしてその国を動かしている老人たち、国とマスコミに洗脳されている世論・国民って、
ほんと、どうしようもねーなぁと改めて思う。

●希望

・過去のことは気にしないし、先のことは考えない。どちらもいま考えてもしょうがないことだと思う。希望というと、未来のことを指すみたいに感じるかもしれないけど、あえていうならいまこの瞬間が「希望」だと思う。というか、それしかありえない。いま現在どういう状況にあろうが、希望はいまこの瞬間。
・実際のところ、あとから振り返ってみて「あ、あれは実はチャンスだったんだなあ」って思うものはあります。ですがそれは個別の、ほんとに瑣末な案件です。だけど、なぜそういう見逃しがあるかといったら、それは僕の情報量というかが足りなくて、それを重要だと思えなかったんですよね。だからそれは、情報量を増やしていくことが大事なのだろうなと、僕なりには思っています。見逃してきてしまったもの、もう流れてしまったものは、元には戻せません。それに関して何か考えてもしょうがないです。詮無いことだと。

最初に無常観について語っているところに、この人の知性の高さを感じる。
非常にクリアにものを見ている。
たとえるなら、100とか200年先からタイムスリップしてきたんじゃないか、
とさえ思える。

●仕事

・余暇の時間が大きくなった証拠は、世界的なイギリスの地位を考えと、よくわかります。いわゆる人間の余暇の遊びというのは、ほとんどがイギリス発です。たとえば、スポーツは基本的にぜんぶイギリス発ですよね。イギリスのサッカー協会は、FA(フットボール・アソシエイション)としか表記されません。日本サッカー協会なら、JFAですが、イングランドは違うんです。ゴルフの全英オープンだって、ジ・オープンだけでいいわけです。そこが発祥の地だからですね。スポーツもそうだし、ギャンブルもイギリスが発祥の地です。
・ほとんどの仕事というのは、仕事を作るために仕事をしているみたいなものだと思えてくるということ。世間の人が言うように、労働は尊いものだとか、国民の義務だとか、そういう考え方はちょっと古いんじゃないかと。そんなのは、人口の多くが畑仕事して働かないと生きていけなかった時代の名残なのかなと思う。現在はどうかといったら、そういった労働はものすごく省力化していて、働かなくても生きていけるようになっているにもかかわらず、みな昔の観念を引きずって無理して働いている、みたいなことになっているんじゃないか。それは僕が歴史を分析していって、そう思ったわけですけど。そうしたら、ベーシック・インカムという考え方があるのを知って、あ、これはまさにいま自分が考えている問題を解決するやり方なのかな、というふうに思ったんです。
・僕は、農業・漁業以外の労働は、全然尊いものだとは思いません。別に、汗水たらして働くことを、否定しているわけではないんですよ。それは、個人の自由だから。否定するつもりはない、でも賞賛するつもりもない。「そんなのどうでもいい」わけです。一生懸命やっているかどうかはどうでもいい問題で、別にあなたがやってることは、なくたって人間は生きていけるんだから、全然尊くはないというだけのことです。尊い仕事なんかまったくしていないんだと。「これは自己満足なんだ」ということを理解したうえで、その前提で働きなさいと言いたいわけです。そういう倫理観ができたのは、みんなが農業に従事していた時代です。つい150年前まで人口の大半は農業に従事していて、その人たちが農業をしなかったら社会は成立しなかった。そういう社会では、みんなで協力しないと、社会が崩壊しちゃう、餓死しちゃうわけです。だから、そういう倫理観ができたんでしょう。
・僕は企業の社長をいっぱい知っているけど、悪いけど全然たいしたことないですよ。学校の成績でいったら、公立の小学校とかでも下から数えたほうが早いんじゃねえか、という人たちが大成功してますよ。だから、それは人間の能力ではなくて、気の持ちようなのかなという気がしています。気持ちの問題だろうと、実体験として。じゃあどうしてそういう楽なところ、気持ちが盛り上がって「楽しい仕事がやりてぇっ!」てところにいかないかというと、「労働は尊いことである」という思い込み、刷り込みが、非常に邪魔をしているような気がする。「やりたいこと」と「やらなきゃいけないこと」っていう考えに挟まれて、気持ちが袋小路に入っている人たちって多いんじゃないかなと思います。
・暇な状態というのは非常に心を貧しくするというか、「つまんないなあ」と思うものじゃないですか。問題なのは「人生がつまらない」と思っている人たちは、仕事をしている時間もその人たちにとっては「暇」ということです。
・周囲を気にする社会を終わらせる。たとえば古い慣習とか、世間体とかを気にしすぎ。結婚する必要もないのに、結婚しちゃったりとか、子どもを作りたくないのに、子ども作っちゃったりとかありますよね。家なんかたいして欲しくないのに家を建てちゃったり都下、車なんかも別に一ヶ月に一回も乗らないのに買っちゃったり。あげたらきりがないですけど。そういう人たちは、それを手に入れることで何を得ているのかっていったら、何も得ていないですよ。満足もしてないし。それによって経済的に困窮して、またつまらない仕事をしなくちゃならない。悪循環です。そもそもの原因はその人が自分にとってつまらないことをしているからですよ。

いったん、国家や支配者による刷り込みを捨てる。
そして、その上で改めて、仕事観を立て直すべき時代にきている。
田坂さんの二人の石切り職人の話とは、矛盾するどころか、完全に一致しているのだ。
そのことを、ホリエモンに言えば「みんな楽しいことをやろう。やりたいことをやろう」になるし、
田坂さん流に言えば「使命感をもって」ということになるのだろう。
この二つは、全く同じことを言っている。

●電気自動車が普及しない本当の理由

・電気自動車がガソリンエンジン車やハイブリッド車と大きく違うところというのは、内燃機関を持たないところです。内燃機関を持たないということは、車のすべてをモジュール化できるということです。内燃機関というのは職人の世界なんですね。ものすごいコストがかかると同時に、なかなか作れないものなんです。自動車メーカーの最大のアドバンテージというのは内燃機関を作る技術を持っているということにあります。それに対して電池とかモーターというのは非常に単純な部品です。電気自動車の性能を決めるのはこの二つです。それとソフトウェアですね。つまり自動車メーカーが優位性を持つところではないわけです。主要部品である電池やモーターは得意の企業がほかにあります。そうなると、そういうところから調達して組み立てるのが自動車メーカーの役割になります。たとえるならパソコンが出てきたときに似ています。…インテルとマイクロソフト連合が現れて、IBM-PCにMS-DOSを搭載させて大きく変わったわけです。どのメーカーでもIBM互換機を作れるようになりました。その結果IBMは世界最大のコンピュータメーカーではなくなってしまったんですね。それと同じことが自動車産業に起こるだろうなと思います。
・なぜ電気自動車は普及しないのか。理由は簡単で大手メーカーが足を引っ張っているのです。トヨタは電気がやりたくないからハイブリッド車をやっているんですよ。現状はベンチャー企業か、ヤバくなった会社が電気自動車に乗り出しています。自動車メーカーのプライドってのは結局ガソリンエンジンなんです。それを手放してしまったら自分たちが崩壊してしまう。

それがインフラ(生活基盤)になるほどの大企業になると、
それはやはり、政府と似たようなものになるんだなと、思う。

●教育

・僕は、究極のところでは大学はいらないとも思っています。日本の大学の大半は、いらないと思う。現状、ただの就職予備校ですからね。みんな、学問をしているわけじゃない。だからもう、いまの十分の一もいらないんじゃないでしょうか。大学なんて、研究者になるやつ以外には必要ないというのが、真実です。それなら、むしろ専門学校化して、プログラミングや、美容・理容などを学べるようにしたほうがいいわけです。要は、もっと実用教育に力を入れるべきなんです。いまでも、工業専門学校などは、非常に高度な教育をしていますよね。いい人材を育成しているケースが多い。そういうものが、もっとクローズアップされるような体制にすべきでしょう。

これはほんとにそう思う。
大学のブランドは、切符としての役目は大きいようだけど、
それが逆に、使えない人材の大量生産にもなっている。

●政府の無駄な機能をすべて解体すべき

・代引きにしたって、佐川急便のEコレクトのほうが全然よかったわけです。あれはもともと、僕が考えたというか、そんなの当たり前だと思ってたから、佐川さんに「これやらないですか」と言ったら、そんなの考えたこともなかったねといって採用したみたいです。そしたらもうEコレクトが、いまの佐川急便の収入の柱ですよ。佐川急便は実はいま、利益の大半がEコレクトなんです。
・やはり、郵政民営化に反対している人たちの気持ちっていうのは、センチメンタリズムだと僕は思うんです。それは、たとえば地方の駅前の商店街が寂れていると、なんか寂しいなあ、みたいな感情論にすぎません。そうして、変化に対する抵抗感があるくせに、くだらないセンチメンタリズムだけで、なんとかしなきゃいけないといいつつも、自分は駅前の商店街で買い物をするかといったらしないわけです。結局、みんなイオンとかに喜んで行っている。それは、消費者の選択の結果なのです。それに関して文句を言うのはおかしいのかな、と僕は思っています。
・霞ヶ関の官庁で残るのは、警察と防衛ぐらいでしょう。もちろん、市場だけに任せておくと、独占のような状態になったときに介入する必要が出てくるので、公正取引委員会のようなものは何かしら必要ですが。ただ、国が介入するっていうのは、本当にイレギュラーなケースだけでいいわけです。独占や暴走など、変なところで均衡してしまって動かなくなっているのを解消するための介入にすぎません。その組織は最小でいいんです。
・法律が増えていけばいくほど、官庁は肥大化していきます。たとえば、消費者関連法案が成立したことを受けて、消費者庁が作られたわけです。官庁は、法律ひとつごとに、部署がひとつできるものです。それを、もうちょっとシンプルにできないのかなという気持ちはあります。

ジェームスが「略奪大国」に書いていることと同じ。
ほんとにもう、国がデフォルトして、公務員がいったん全部クビ
必要な機能のみが民営化して残る、、という時がすぐそこまで迫っているような気がする。
今から公務員になろうなんて人は、時代に逆行だろうな。
神田さんが、一夜にして人の価値観が変わり、英雄が犯罪者になる時代がくる、というのは
具体的にいうと、一夜にして公務員が略奪者として職を追われる時代、ということなのだろう。
おそらく数年後、民間に食わせてもらっていた公務員は、一斉にその食い扶持を失う。

●農業に関する大問題

・国産の小麦って、質の悪いものも多いんです。ああいうものは、ロットを大きく、大量生産したほうがいいものができるからオーストラリア産の小麦のほうが、日本のものより質がよかったりする。だけど、国の政策のせいで国産の低品質小麦を買わなきゃいけない。給食のパンがまずいのはそのせいです。スーパーで売っている小麦粉ですが、あれは、実は一番グレードの低い粉なんです。だから、自宅で作ったパンというのはおいしくない。自宅で作ったうどんやラーメンも、まずい。いい粉を使っていないから、当然です。一方パン屋さんのパンはおいしいでしょう。それはグレードのいい粉を使っているからです。業者間でカルテルみたいにしていて、スーパーとか一般の消費者が買えるところには、グレードの高い粉を卸さないようにしている。それで、業者のパンを買うんです。それに、小麦はいまだに政府しか、海外から輸入できません。
・農林系の金融機関というのは、僕ははっきりと解体すべきだと思う。そもそも農協が金融機能を持つ必要があるのか? 農林系の金融機関だけ、別の法律で守られていて規制がゆるいわけです。農協がお金を集めていること自体、銀行と同じ業務をしているのに、銀行のようには金融庁の監督がそれほど強くない。銀行は、もすごく規制が厳しくて、金融庁に抜き打ち検査とかやられるんで、変なことはできない。でも、農林系の金融機関は、けっこういまでも変なことがやられている。
・「食料自給率を上げないと、戦争になったときどうすんだ!」なんて言っているのは、まったくの間違いです。もしそうなったら、原油なども輸入できなくなるリスクがあるわけだから、困るのは一緒です。それは、リスクとしては一緒だから、食料自給率を上げる根拠にはまったくならないわけです。そんなことよりもより多くの国と仲よくしておいて、食料をあちこちの国から輸入できる体制を整えておいたほうが、賢いのです。それに、気候変動が起こったときにも耐えられる体制を作るという意味でも正しい。だから、食料自給率を上げなければいけないという議論は、もうまったくナンセンス。
・日本の農業技術はすごい発達しているから世界に進出するとすごいことになる。日本では衰退産業の筆頭みたいにいわれるけど、世界的に見ると農業は二十一世紀のものすごい成長産業ですよ。中国やインドなどの経済成長がけん引してるんです。

小麦、どうにか買う方法がないのかちょっと調べてみたい。
実際に食べて比較してみたい。
農協の力を弱めるには、一票の格差の問題を解決する必要がある。
ネット投票の解禁で、少しはマシになるだろうか。

●コンプライアンス重視というアレルギー

・法律と官僚組織でかんじがらめになっいては、企業もコンプライアンスに追われて、全然イノベーションが図れません。ライブドアは、昔は自分のパソコン持ち込みオーケーというシステムでしたが、そんなのはいまでは絶対無理です。アプリケーション一個インストールするだけで、ぜんぶ監視部門に報告が行くとか、いまは大企業はどこもそんな感じになっている。それでは、もう何も新しいものを生めません。そういう意味では、コンプライアンスに関しては、小さい会社のほうがよかったりするのです。こういう息苦しい風潮に、法律の厳罰化がいっそう拍車をかけています。ちょっとなにか、社会全体がアレルギー体質になっているんじゃないでしょうか。社会が、清潔になりすぎている。アレルギーになる人は、清潔な環境に育ってきた人が多いらしいですから、異物に慣れていないわけですね。

監査とかセキュリティとか内部統制とかコンプライアンスとか
自分がまさにそんなことにかかわる仕事をしているので、よくわかる。
ほんとに、アレルギー。
大企業、ほんとにつまらない。
規制だらけ。規則だらけ。
カオスの淵から生まれてくるエネルギーを感じられるのは、
やはり、個人とかベンチャーなんだろうな。

●ライセンス

・「自分たちのお金で作ったんだから、絶対に他人に渡すか!」みたいな考え方って本当に小さいですよ。もっと、大らかにみんなに技術をシェアしたほうが、全体として発展するのに。そういう考え方は、日本にはないですね。ひとことで言って、セコい。
・たとえば音楽業界で海賊版を取り締まるのに一番有効な方法というのは、その畜で割安で販売するという対策です。価格が安いのを容認して、オフィシャル盤を海賊版が売られている地区で出す。それが、ベストな海賊版対策なのです。そういうマーケティングは、オンラインだと普通にやられています。YouTubeのマーケティングというのはまさにそういう感じです。たとえば、音楽のPVで著作権のあるものを誰かが勝手にアップロードしたとしても、それは容認する。その代わり、そのアップロードした人には収益は入らなくて、そこで表示された広告の収益はぜんぶ著作権者に入るっていう仕組みができているわけです。

フリーの概念がもっともっとあらゆるところに浸透していくと、
このあたりのこと、理解されるようになるのかな。
そのためには、あらゆるものを「フリー」にして、
現在の既得権益とか価値を一気に無効化するような意味での革命が必要だ。
それを、やろう。

●その他

・ライブドア事件を通じて、ある種の人たちのルサンチマンを、代弁する人たちがいることを知りました。マスメディアなんかはたいして実害はないのだけど、それを代弁することによって、利権化している人たちがいた。その最たるものが、検察庁という組織だったわけです。
・宇宙飛行するためには、それだけの能力が必要だろうとみんな思っていますが、それは勘違いです。宇宙飛行士の試験が難しいのは単純に行ける人間の数が少ないから、ふるいにかけるためにそうしているだけです。いまだって六十歳のおじいさんとかが、大金を払って宇宙へ行っています。そんな人にそんな身体能力があると思いますか?ありませんよ。つまり本当は誰でも宇宙へ行けるんです。