子どもを追いつめるお母さんの口癖

上手に、少しずつ気を静めてあげながら、その空間の中で許される範囲の遊び・エネルギー発散におさめられるように導いてあげられますか?興味を他に向ける言葉をかけてやり、体に手を触れて落ち着かせてやり、少し静かにしてくれると大人としては助かるということを、おだやかに伝えてあげられますか?
弱い、小さな子どもの心が痛むことをしながら、それでも一方的に叱り付けるのは、どう言い訳しようと(親の)憂さ晴らしなのです。

無意識に子どもを追いつめてしまっていないか、
注意しなければならないNGワードは何か?
そう自問しながらページをめくってみた。


子どもと接し方を通して、自分のトラウマを解消していくという癒しのプロセスについても触れられている。子育てが、自分の潜在意識の探求であるということに気づくことができる一冊。また、最後の魔法のおまじないは、あらゆる成功哲学のエッセンスといってもいい。
メモしたところを以下に。
> ・静かにしなさい
> 狭い空間、たとえば電車の中やお店とか、どうしても静かにしてもらわなければ困る場面もたくさんありますね。そういう場面で「静かにしてね」の一言で、しばらくなら無理なく静かにできる子は、基本的に満たされている、心の安定した個です。でも満たされないことがあったり、逆に騒いでもいいところでの元気一杯の大騒ぎを日頃から経験できていない子は、言葉の精子だけできくはずがありません。
> ・この忙しいときに、わけ分からないこというんじゃないの!
> わけ分からないのは、実は子どもの側の事情も同じなんです。何をどうしてほしいというよりも、「お母さん!ちゃんとこっち向いてよ!!」と騒いでいるのです。
> ・早くしなさい!
> 時の流れの中にたたずんだり、立ち止まったり、さまよったり、走ったり、その瞬間瞬間の物事や手触りを楽しんで生きていたい子ども。子どもって、そうしながら時を重ねるのが与えられた使命なのかもしれません。
> ・食べないと大きくなれないよ!
> 本当にそうでしょうか。少々食にむらがあるからって、大きくなれない子なんているでしょうか。いるわけありません。
食事のたびに、あるいはその日ごとに、食べる量も変化します。昨日は驚くほどの食欲だったのに、今日はほとんど食べない。そんなこと、しょっちゅうあることです。黙ってみていれば、それでも子どもはちゃんと成長するのです。
→子どもは、自然のあり方、人間本来の力について、大人である私たちに教えてくれているのかもしれない。
> ・早く寝ないと怖いお化けが出るよ。
> 寝たがらない子を、脅して眠らせようとする。子どもは、怖いものを見たくないからという必死の思いで目をきつく閉じます。でも胸の中はドキドキ。これって、潜在意識に恐怖を植えつける以外の何物でもありません。世の中にはすごく怖いものがあるんだと、漠然とした恐怖や不安を胸の底に抱いた人に育ってしまいます。(恐怖や不安は)子どもの心にとっては無駄なばかりでなく害にしかならない。
眠るときは、温かく安心させてやってください。眠るときの恐怖は悪夢の温床になりかねません。恐怖や不安や悪夢は、心の傷そのものです。温かい安心の中で、素晴らしい、おだやかな夢に包まれながら眠るとき、子どもは眠りながらニコリとほほ笑むかもしれません。
いい子で寝ようね。きっと素晴らしい夢が見られるよ。楽しい明日が待ってるよ。そう話しかけてやってください。
> ・怖いおばさん(おじさん、おまわりさん)がにらんでるよ
> こういう叱り方は、少なくとも三つの、とても悪い結果を招きます。
1. 世の中には怖い人がたくさんいるのだという潜在的な恐怖を植え付ける点。人の目に恐怖し、おどおど行動する人に育ってしまうかもしれません。
2. 他者の目を基準にして行動する心を育ててしまう危険。
3. 自分の責任、自分の見識で叱り正すのではなく、他の権威や恐怖を利用して子どもをコントロールしようとする親の心根を見透かし、親を軽蔑するようになる危険
→たくさん売れている絵本に”せなけいこ氏”のシリーズがある。自分はこれをみたときに、これは絶対に読ませたくないと思った。潜在意識の仕組みやNLPを少ししっている人であれば、あのシリーズを読ませたくない理由がわかるはず。その理由についてわかりやすく書いてくれていた。
> ・いつまでも外で泣いてなさい! 反省するまで家に入れません!
> 本当に悪いことをしていなかったのか、時間がどれほどの長さだったかなどは問題ではありません。こういう形での罰則や謝罪・反省の強要は、どうやら親子としての関係以前に、人間同士の関係として越えてはならない一線を越えたものかもしれません。対峙して懇々と説諭されるときなら、人は決してプライドや信頼を傷つけられることはありりません。しかし圧倒的な強者が、その強権をもって弱者を屈服させようとするとき、生まれるのは反発だけなのです。仮に反省や謝罪の言葉を引き出せたとしても、屈辱感は後々まで尾を引きます。家に入れてもらえない。これは子どもにとってとても不安で屈辱的な仕打ちです。
> 世の中で何かを成し遂げた人は、すべて中途半端の中で、しかし何か一つを集中的に追究し続けた人のことです。そういう人は、多くの場合、中途半端を非難されることなく育ってきたようです。中途半端を云々されるよりも、たった一つのことでも、小さなことでも、ちょっとでも成果があれば、そのことをほめられ、評価され、力づけられて育ってきた人です。だから何をやっても中途半端は、当たり前だと思ってください。子どもは、何をやれるのか、何に集中できるのか、何に向いているのかを模索している最中。
→大人になって幸せな人生を送れるかどうか、自分の子どもには、否定的な魔法、否定的な催眠をかけてしまわないようにしたいなと思う。
> 焦ったりイライラしたら、それだけ早く、効率よく片付けることができるのでしょうか。できそうな気がします?焦りやイライラなんか損なだけ。焦っている人は、わざわざ好んで、自分の処理能力を低下させているようなものなのです。
> 太陽の恵みも、大地の恵みも、海の恵みも、何もかも、実際には人間の努力や頑張りなんかと無関係にあるもの
→これらの心の姿勢(Mindset)は、そのまま子どもに伝わっていく重要な姿勢でもある。
×お母さんは、そのくらいのことは簡単にできたわよ
○お母さんはね、こうやって工夫してみたんだ。そしたらできたよ
×ハンカチ持った?テッシュは?
○小学生となったら当然のこと。自分が忘れた結果は、自分で困らせてあげる
何でも自分で処理できるようになるはずの子どもの潜在能力を、親の都合で封じてしまわない
×我慢しなさい! 誰だって嫌なこと我慢して生きてるんだから。
○あなたがそうした気持ちはよく分かる。だけど、ここでもう一歩踏ん張って別の選択をしたら、あなたの望みはもっと素晴らしい形で実現されると思わない?
我慢我慢で欲望を封印し続けてしまうと、生きることを根底で支えている意欲が涸れてしまう
×さっきまでふて腐れていたのが、あらあら、もう調子づいちゃって
周囲がそのまま受け入れてくれれば、気分転換の上手な子に成長するもの。ところが、からかいや揶揄が入ってしまうと、ふて腐れとニコニコの間に、無用な壁を作ってしまう危険があります。
×何度同じことをいわせれば気がすむの!
○困るべきをちゃんと困らせてあげる
本当なら自分自身だけのものであるはずの問題を、自分とお母さんと2人の間にある問題として意識(錯覚)するようになり、自分自身の問題としてちゃんと困る必要が卯されてしまう
×どうして食べられないの!なぜ好き嫌いするの!
○たとえ二年も三年も食べない物があっても、それでも「たまたまの内」と腹をくくる。
子どもの好き嫌いは、まさに日替わりメニュー。昨日は食べたのに、今日は食べない。朝は食べたのに夜には食べない。そんなことの繰り返しなのに、そのときたまたま食べないからと無理にでも食べさせようとすれば、その無理強いが心の負担になり、嫌いになってしまいます。
×言い訳ばかりしてるんじゃない!
○とりあえず批判や指摘などなしに、すべていうがままに聞きつくす
何もかも他の責任だといいつくろいたいのではなくて、自分はそんなにもダメな人間じゃない、落ち度もあるけど、本当はうまくやれる能力だって気力だってあるんだと、自分自身にも納得させたくて言い訳するんです。言い訳を最後まで聞いてもらえない心は、いつまでもいつまでも言い訳することで、せめて最低限の自負を保とうと必死になるのです。
×あんたみたいな子じゃ友達ができなくて当然じゃないの。
○そういうときはこうしてごらん。
○たったこれだけのことをするだけでもみんなと仲良くなれるものだよ
×お母さんが笑われるのよ
○いいのよ、あんたが何をしたって。必要なことはみんなお母さんが引き受けてあげるからね。笑われる?そんなこと気にもならないよ

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