魔術の構造

本は月に20冊ぐらいのペースで読んでいたが、
この本一冊を読むのに一ヶ月ぐらいかかってしまった。
難解だったがとてもおもしろい。NLPの原点。
グレゴリーベイトソンが序文を書いている
というのも、すごい。
但し、大前提となるラポールに関する記述がこの本にはかかれていない。
だから、何も知らずに、杓子定規にセラピスト気取りで
このままこれを使うのは、ちょっと危険。
でも逆に、ここまで詳しく書かれたものは他にない。
セラピストやカウンセラーは、必ず抑えておくべき。


●セラピーの原則とマインドセット

・人々が我々のところに治療に訪れ、苦痛や不満を訴える場合、彼らの経験している限界は決まって彼らの世界表象のなかにあり、現実世界そのもののなかにあるのではない。
・我々のところに治療に訪れる人は決まって苦痛を抱え、自分が無力であるように感じ、自分の人生においては、もはや行動に選択肢もなく自由も奪われていると感じている。彼らについて気付いたことは、現実世界自体は、それほど制限されているわけでも選択肢がないわけでもない。ただ彼らは自分の外界モデルの中でそれが得られないために、目の前に広がる選択肢や可能性を自分で見えないように塞いでいるということである。
・難点は、彼らが間違った選択をしているということではなく、十分な選択の幅を持たない – 彼らの焦点は世界の豊かなイメージに合っていない – ということである。
・魔術師たちは、クラエイントの外界モデルを変えるために用いる独自のモデル、すなわち地図 – たとえばメタモデル – をもっている。それを使ってクライエントのモデルを効果的に拡大し豊かにして、クライエントがより充実した有意義な人生を送れるようにするのである。
・治療に助けを求め変わりたいと思っている人は、行動に選択肢があまりないと感じており、それ以外の行動がとれないと感じているから治療に来ているのである。さらに言えば、彼らの行動は我々には奇妙に見えるかもしれないが、彼らの中の外界モデルにおいては筋が通っているのである。
・人々が苦しみを味わうのは、現実世界が豊かでないために彼らの要求を満たすことができないのではなくて、彼ら自信の世界表象が不毛だということである。それに対する我々の治療法方は、クライエントを、もっと豊かな複数の選択肢を与えるような世界と結びつけることである。
・クライエント自身が気付くよりも多くの意味に気付いているとしても、治療者は、クライエントの表象と自分の憶測とを絶対に区別しなければならない。
・治療によって現実世界そのものを変えるのかというと、そのような方法をとることはまずない。むしろ、治療ではクライエントの世界経験を変えることを考えるが、それは、人々は現実世界に対して直接働きかけるのではなく、必ず彼らの近くや、内的外界モデルを通して働きかけるからである。そこで、治療においては、クライエントの外界モデルを変化させるように働きかけ、結果的に、クライエントの行動や経験に働きかけることになるのである。

NLPを突き詰めていくと、
このリチャードバンドラーとジョングリンダーという二人天才の手法を使うことで、
ある程度の悟りのレベルまで到達できるような気もする。
●メタモデル

・般化 : 正しい般化というものは存在しないわけで、それぞれのモデルのが個々のコンテキストのなかで評価されなければならない。
・削除(モデルの中で欠けている部分) : もしクライエントの経験モデルに失われた部分があるとすると、それは不毛にされているということだ。不毛なモデルは、行動に関して限られた選択肢しかないということを意味する。治療によって、この失われた部分が回復されると、その人の中で変化のプロセスが始まるのである。
・歪曲 : クライエントのモデルの中に現れてはいるが、それが何らかの形でねじ曲げられており、そのために彼の行動能力を狭め、苦痛を生み出しやすくしている状態
・ミルトン・エリクソンはこのテクニックを対峙の最初のステップとしてしばしば使用する。たとえば、肥満で体重を減らしたいと言うクライエントに対してエリクソンは決まって体重を増やすようにと指示を出すであろう。エリクソンが指摘するように、この方法は、クライエントは自分の体重をコントロールする力があることを前提としている。つまり体重を増やすことは、以前には自分でコントロールできないと考えられていた行動の分野での責任があることを受け入れるのと同じことである。
・自己評価のレベルはきわめて重要である。というのも人間の自己イメージは、人間の経験全体すなわち基準構造をどのように準備するか、ということに影響を及ぼすからである。それゆえ、構造についてのこのれべるの変化は、クライエントの外界モデル全体に浸透する。
  T : あなたは怒りを感じることについてどのように感じますか?
  C : ええと、そのことについてはあまりいい感じはしません。

●適格な条件

・クライエントが行動に選択の余地がないと感じているモデルの中に変形削除もなく、具体的に明らかにできないような削除もない
・名詞化(process→event)がない
・指示対象のない単語や句がない
・具体性に欠ける動詞がない
・クライエントが行動に選択の余地がないと感じているモデルの中に、具体的に明らかにできないような前提がない

私が10代~20代はじめまでに仕事で厳しく教えられたのは、
まさにこの「般化」「削除」「歪曲」に対する認識と、それを越えるトレーニングだった。
(そうとは知らなかったけど、彼らは自然にこれを教えてくれていた)
般化を行うと(それがどんなに細かいものであっても)、
即座に指摘されるような環境で仕事をしていた。
つまり、適格な条件に合う言葉を使わないと、すぐに指摘された。
今、自分自身の分析にも、人に仕事を任せる上でも、とても役に立っている。
●般化に対して

・普遍数量詞を加えることによって、クライエントの普遍数量詞が説明する般化を誇張し、強調しようとしている。同時に彼らの使う般化に例外がないかどうかを探すように促がしている。
  C : 誰も私の言うことを聞いてくれない
  T : つまり「誰ひとり」あなたの言うことを「まったく」聞こうと「しない」ということですか?
  C : いいえ、必ずしもそうでは。
  T : それでは、誰があなたの言うことを聞かないのですか?
  C : 人を信じることなんてできません
  T : 誰かを信じるという経験をしたことはありますか?
  C : 怖いんです
  T : あなたにぴったりくるかどうか、こう言ってみてください。「私は父を恐れています」

基本的に、仕事ができる人というのは、
総じて、この「般化」を行わない人であり、すぐに般化に気付く人だ。
●削除に対して

・治療者は、クライエントが彼の問題に対処するために他にとりうる方法をクライエントに提案し始める。治療者の多くの提案に我々がいかにも同意するように思うだろう。なぜなら我々の経験のなかにその選択肢が実際に入っているだろうから。しかし我々の経験では、クライエントのモデルで起こった削除によるギャップにぴたりとはまる提案はかえって逆効果である。というのも、この削除がクライエントのモデルを不毛にしたのであり、治療者が薦めようとする、モデルの中に現れていないものがまさにそのクライエントのもつ可能性豊かな経験部分なのであるから。ここではまずクライエントは、その選択に抵抗するか、耳を貸そうとしないだろう。なぜなら、治療者の提案は、彼が自分で彼のモデルから削除した部分なのだから。そこで、治療者はこの提案をクライエントのモデルが豊かになりそれを取り入れる余裕ができるまでとっておくのがいいと思う。
・クライエントが以前削除したためにモデルの中に現れていないデータに彼を近づけ、彼が自分の経験を再結合できるようにするには、What stops you from…? という質問がきわめて重要である。クライエントがこの質問に完全に答えられれば、削除されたうち、いくらかは回復できるだろう。
 T : あなたが人を信用することを妨げるものは何ですか?(…を不可能にしているものは何ですか?)
 T : もしあなたが人を信用するとどうなるのですか?
 T : そうでないとすると、どうなるのですか?

回答を渡すのではなく、質問を返して
気付きを促がすとうことなんだろうな。
●歪曲(プロセス→イベント)に対して

・治療者の仕事は、クライエントのモデルの中で閉ざされた、すでに終了したイベントとして表象したものでも、彼が動かすことのできる進行中のプロセスである、ということにクライエントが気付くようにしてやることである。
・治療者が名詞化された動詞を元に戻すことは、クライエントがすでに終わった事象だと思っていたもの、自分のコントロールの外にあると思っていたものが、実は変更可能な現在進行中のプロセスであるということに、クライエントが気付くことができるようにすることである。

これは、目からウロコだった。
成功哲学を教える人でも、このあたりを理解している人は少ないかも知れない。
このメタ認知はとても重要。
●歪曲(意味論的不適格)に対して

・人が自分のモデルを歪曲し苦痛を生じさせる原因の一つは、彼らが自分でコントロールできる範囲内の責任を、彼らのコントロールの及ばないところに転嫁してしまうことである。「不適格」という概念は、他人の意思でコントロールができないことを彼にやらせることができるかのように言うことは正当ではない、という意味である。
・ある人が他の人にある感情を(直接)起こさせることは不可能 ある人物がある行為を起こし、第二の人物が何らかの感情を抱いて反応するという状況なのである。ここでのポイントは、二つのイベントが続いて起こるが、一人の行為ともう一人の反応とを何も関係づける必要はないということなのである。
・読心術 : クライエントの考える他人の心を読むことができる能力や他人が自分の心を読むことができるという憶測は、対人間の困難さ、コミュニケーションの失敗、それに伴う苦痛がかなり積もり積もったものの根源であるので、我々はこれを非常に重要なものと捉えている。我々の経験からすると、ある人が他人に対し直接的に必然的にある感情を引き起こす可能性は本当に少ない。
・治療者は、受動的に表現されている人間がそのプロセスにどのように関わっているかについて尋ねるとよい。
  夫は始終、私と口論している → 私は始終、夫と口論している
  夫は私に笑顔を見せない   → 私は夫に笑顔を見せない
  T : ご主人があなたに笑顔を見せないのは、あなたに感謝していないことですか?
  C : その通りです。
  T : あなたがご主人に笑顔を見せないのは、彼に感謝していないということですか?
  C : いいえ、そういうことではありません。
  T : それはどう違うのてすか?

精神的に病んでいる人には、このあたりの対話能力がとても役に立つ。
ここには引用していないけれど、ケーススタディとして記載されていた
クライエントとセラピストの対話がとてもわかりやすかった。
●表象システム

・毎日一人の人を選び、その人の述語を意識できるようになりなさい。とくに、あなたが耳にする述語がどの表象システムに属するかをかくにんしなさい。
・触覚人間は聴覚・視覚人間を鈍感だといって不満を言うことが多い。
 視覚人間は、聴覚人間は会話の中でアイ・コンタクトをしないので自分たちに注意が払われていないといって不満を言う。
 聴覚人間は、触覚人間は話を聞いてくれないと不平を言う。
・自分が最も高い価値を置く表象システム以外の表象システムによる経験で苦労しているクライエントに対してセラピストの側でできる一つの有効な選択は、クライエントが最も高い価値を置くシステムによる経験の再地図化の手助けをしてやるということである。ある人の最も価値の高いシステムとは、その人が最大限に区別のつくものであり、たいてい一番効果的に対処できるものである。
・表象システムとサティアカテゴリー
  触覚 – なだめる1
  視覚 – 責める2
  聴覚 – 超合理的3

このVAKのところは最近では有名になってきたけれど、
ここまで細かく具体的な活用の仕方について説明があるのはこれがはじめて。
理解するのに時間がかかりそうだけど、
これは本当に貴重なテキスト。

タイトルとURLをコピーしました