心の操縦術

真実のリーダーとマインドオペレーション

仏教を本当に学んだ人であれば、
この本にはとても共感できるというか、わかる感覚だろう
という感じ。


●洗脳=相手の情報空間を書き換える方法

・相手の情報空間のなかに人参をぶらさげる方法は、プライミングです。「これ美味しいですよ」「これすごいですよ」「儲かりますよ」・・・というのを、相手の情報空間のなかに書いてあげればいいわけです。基本は、「相手の臨場感と自分の臨場感が同調するまで自分の視点を下げて、その臨場感を共有して、その共有された臨場感の空間に書きこんでやる」ということです。そうすれば、相手は従わざるをえなくなります。オカルトではなくて、”ホメオスタシスの同調”という概念で説明される現象です。
・相手を自分の臨場感の世界に引きずりこむためには、その人の臨場感の世界に対して記述をすればいいのです。自分の物理空間を言葉にされてしまうだけで、もう物理空間にいなくなります。それは相手に記述された空間になってしまいます。相手が気づいていないものであればあるほど効果的です。
・重要なのは、相手に好意を抱かせるための特別な言葉や仕草は何もいらないということです。相手の感じている臨場感世界を支配するだけで相手に好意を抱かれるのです。そのためには相手が見ているに違いないものを言葉にし、相手が感じているに違いないものを言葉にし、相手が聞いているに違いないものを言葉にするだけでいいのです。
・映画のストーリーの仮想世界の支配者である「007」の主人公ジェームス・ボンドは、観客に強い好感を抱かれます。要するにモテるのです。映画の例でわかるように、ラポールは、仮想空間での臨場感として引き起こされれば、物理空間における生命現象としてのバイタルなホメオスタシスに介入しなくても、つまり、人を誘拐したり脅したりせずとも、生成することが可能です。そして、映画やテレビの主人公にわざわざならなくとも、仮想世界の臨場空間の支配者となることで、安全にラポールを生成し、リーダーとして相手に好感を引き起こすことができる。それが臨場感空間におけるホメオスタシス同調です。

具体的な活用方法は書かれていないのだけど、それはおそらく
悪用をきらってのことなのかもしれないな。
でも、この理論、わかる人にはわかる。
そしてやっている人はやっている。
●カリスマ性

・臨場感のレベルの問題です。思いっきり臨場感を強く感じた人が相手を引きこむのです。その臨場感が相手に移るのです。同様に、情報空間についても、その空間の臨場感が高ければ強いホメオスタシスのフィードバックが起きているわけですから、相手はそれに引きずりこまれます。必ず相手に伝わるのです。

確かミスターXの話か何かで、思い込みの強さ→カリスマ性 という話があった。
確かに、いい意味にせよわるい意味にせよ、有名な「カリスマ性のある人物」は、
みなこの「激しい思い込み」による独特のリアリティの持ち主だ。
●抽象化の具体的なトレーニング

・視点を上げるという作業は、記憶からの切り離しです。それには、顔の前で、ほんの三回くらいでいいので、指を左右に動かし、右、左、右、左と目で追う方法があります。目を動かすと、”レム睡眠”の逆が起こります。あれは昼間の記憶を整理しているのです。脳内で記憶をつかさどっている海馬の情報処理が活発化すると、なぜか、眼球をつかさどる神経に信号が流れるのです。逆に、過去の記憶を思い浮かべながら目を動かすと、過去の記憶が体感から切り離されます。
・指を動かして目で追うのはEMDR(Eye Movement Desensitization and Reprocessing)という記述で、実際にトラウマ治療で使われています。それを、トラウマ治療ではなく自分の訓練として利用するだけです。視点を上げるときに、物理的情報を切り離さなくてはならないからです。
・意識というのは気がつくことだと書きましたが、今気がついているところは一つしかフォーカスを持てないのです。無意識にすれば、心臓と肺が勝手に同時に動きます。同時に二つのことをするのはすごく大変です。けれどもそれは、車の運転と同じで慣れです。何度もやっていると、いつの間にかその作業は無意識化されるようになってくるのです。無意識化された瞬間に、超並列に一気に変わります。

もしかして、眼振の自分は、
このEMDRに近いことを意図せず普段からしているということなのかな・・。
それからこの「無意識化による超並列」は、さらっと書いているけど、
加速学習のものすごく大きなヒント。
●メタな視点で問題を解決

・問題解決も、高い視点で行ったほうが効率的です。
・釘抜きを曲げなければならないと思うのは、トタンが曲がっているからです。そして、トタンに釘を打つから問題なのです。となれば、トタンを使うのをやめよう、ということになるかもしれません。釘を使わずにすむように溶接方法を考えだすかもしれません。こういうふうに考えるのが、高い視点で考えるということです。
・マッキンゼーやボストンコンサルティングにいるなかの優秀な経営コンサルタントは、高い視点からの解決のアドバイスをするでしょう。だからこそ、「この人材をどうしよう?」という問題に対して、場合によっては「うん、簡単。その部をなくせ!」という答えも出てくるでしょう。
・全体と部分が双方向的に関係していることがゲシュタルトです。「フレームワークがわかることで部分がわかる」という関係です。
・認識の大前提は、知識の存在とゲシュタルト能力の存在です。それで初めて認識できるのです。
・視点が高いと、視点の低い相手が何を考えているのか、何をしようとしているのか、先が読めます。
・視点が低い、モノとしての”脳”、高い、情報としての”心”というわけです。うつというのは、脳(=心)の状態です。そこで、うつになった患者は医者ところへ行きます。けれども、うつになったのには何らかの因果関係があるはずで、それはセロトニンの量がどうのという即物的なこととは別物のはずです。それが解消されなければ、うつが治ったとは言えないでしょう。つまり、うつという心の問題を、心よりも低い視点で脳だけ見て、その高さで解決しているのです。それでは、対症療法にはなりますが、根本的な解決にはなりません。もっと視点を上げる必要があるのです。
・高い視点の解決は低い視点に落とすことができます。しかし、その逆はできません。低い視点での解決は、対症療法にしか過ぎないのです。それはそれで重要ですし、役に立ちます。けれども、本質的なものではありませんし、効率がよくありません。

いつも、常に「メタレベルで」を意識するようにしてきたけど、
それができる場合とやりにくい場合があった理由が少しわかった気がする。
それはたぶん、ゲシュタルトに関係している。
フレームワークとして全体像を掴んだものについては、
かなり楽にそれができるという意味で、
フレームワークを知識とて把握しておくのは、かなり重要なことだと再認識した。
●抽象思考とMBAのすごさ

・アシスタントにはまったくわかりません。全部「スポーツカー」なのです。知識がないと差が見えないのです。
・現場を経験するということは、認識能力を身につけるというよりも、運用能力を身につけるトレーニングです。組織の上位に立つリーダーは、このような現場の運用能力そのものを身につける必要はありません。高い視点を持つことのほうが重要なのです。
・例えば、アメリカのMBA方式では、現場のことを全部経験させるというようなことはしません。組織に入ったとたんに、最初から社長級か準社長級の仕事をさせるのです。MBA方式が必ずしもいいかどうかは別問題としても、効率という面で考えると優れていると言うしかありません。全部署を経験させようとすれば、一生を使っても足りないくらい、キリがありません。大企業となると、なおさらそうです。経営をしている時間がなくなります。これが日本の経営の問題なのです。
・経営に必要な認識能力は運用能力とは別物だからです。
・知識がないと認識はできません。ですから、現場を経験しなくてもいいとはいえ、MBAくらいは取っておかないと、もしくは、そのくらいの抽象思考の訓練を積んでおかないと、知識不足で企業内の解決すべき問題を認識することができません。
・極めて優秀なコンサルタントたちが出している本は、数々のケーススタディを高い視点から俯瞰し、理論化して書いているのです。そうして解決法が発想されているのです。では、それらの理論化された解決法を実際に運用するには、どうすればいいのでしょうか? それには、運用のレベルにまで視点を下げる必要があります。

現場のことを何もしらないくせに・・・とか
机上の空論ばかり並べ立てやがって・・・とか
何かインテリをばかにするような風潮もあるようだけど、
それは運用レベルに落としこむことができない、力のない人をみた場合の話。
本当に知性の高いコンサルタントなら、そんなことにはならない。
ちゃんと、適応もできるということ。
●気・霊・実在について

・気と霊は似ています。霊は実在しません。それは、物理的に実在しない、ということで、存在しないということではありません。どこにあるかと言えば、心のなかにあるのです。そういう意味では、あります。存在します。けれども、「あそこに霊がいる!」とか、そう言って怖がっている人に「そんなものは存在しない」と言ったところで怖がっているわけで、そういう意味では存在しているのです。心のなかにあるのです。心のなかにいる霊を怖がっている人には、「そんなものはいない」と言うよりも、そうか、と認めた上で「じゃあ、やっつけてあげるよ」と除霊したりして安心させてやる。そういうことを繰りかえしていき、徐々に霊はいないということを教えていかないといけません。気功も似たようなものです。
・心と体が一つのものだからです。強く思えば、血も出るのです。気も同じで、強く思えばがんも治るのです。ですから、「気はない」という教え方をすると、気は使えません。「気はある」と教えなければなりません。けれども、気は技術なので、できるようになれば、気はないと思っていても使えます。脳が、そういうことができる存在なのです。
・私は、気どころか、物理世界は実在しないと思っています。空ですから。みんながあると思っているからあるのです。空の世界にリアリティを持っているということ自体、脳の現象なのです。

実在するかどうかということと、存在するかどうかということの違い
もっとこのことを理解できたら、世の中の精神世界の議論はすべて解決するのに。
というか、もともとブッダはそのあたりについて、
空なんだから、考えることには意味がないと、バシッと斬ってるんだけど、
それを知らない人が多すぎるというこか。
●因と縁 時間の流れについて

・因も縁も、実は直接的な因果です。違いは抽象度の高さなのです。因のほうが抽象度が低く、縁のほうが高いのです。縁は間接的に見えて、実は、高い抽象度で直接的なのです。
・過去は、現在や未来の体験により変わるということです。それは、あなたがどんどん経験を積むことにより、それに合わせて過去の出来事の意味合いがどんどん変わっていくということと理解してもいいでしょう。
・現在、もしくは未来の選択は、過去、現在のあらゆる要因の組み合わせからその最適な選択をするというのが正しい選択法であり、それを誰よりも速く、確実にできるのがいい人生であり、また、それが正しいリーダーの選択法だと教えられてきています。本書では、それは誤りであるとしました。
・過去、現在の結果とての最適解ではなく、未来の因果からの最良の選択をできるのが真実のリーダーです。過去、現在の因果ではなく、未来の縁で、真に自由な選択をするのが真実のリーダーということです。このことが、皆さん自身が率いるすべての人たちをも、過去の因果から開放し、真に自由にするのです。

この因と縁を抽象度の高さで説明するような解釈ははじめてだ。
確かにそう言われてみればそうかもしれない。

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