時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語
ミヒャエルエンデ
神田昌典さんの話の中に出てきて、改めて読みたくなって手にとってみた。
前から気になってたのに、今までタイトルだけ知っていて、内容を知らなかった。
●感じたこと
家族と過ごす時間と、家族や生活を支えるための仕事。
その狭間で悩む私に、モモは大切なことを思い出させてくれます。
私にとって妻は、モモのような存在です。
私は、知らないうちに「灰色の男たち」と契約をしてしまっていたのかも知れません。
私は、ビジネスをする中で「灰色の男そのもの」になりつつあったのかも知れません。
そんな自分に、なんだか、違和感を感じていたところです。
近所の川沿いを、ゆったりと散歩する時間が、好きです。
カワセミや鴨、白鷺、亀もいるこの川を、
妻と、娘と、ただ歩きたいんです。
娘がうまれる前、星と夜のシンとした空気をあびたくなって、
テーブルにあったトマトを手にとって
2人でかじりながら、歩いたこともあります。
お腹にいる娘に、世界の美しさを語りながら、
歩いたこともあります。
桜の花のシャワーの中を、
娘と三人でどこまでも歩いたこともあります。
空の表情は、毎日違います。
夕焼けのあかい色に、いつまでもいつまでもみとれていたり
富士山のシルエットを、日が落ちるまで眺めてみたり
雲のカタチが鳥の形にみえるのを、楽しんだり
そして、
いつも、決まったベンチに座って、
これからのこと、夢のこと、こどものこと、
たくさん、たくさん話します。
・・・でも
最近、歩いていないなと、
思っていたところです。
私が仕事に忙殺され、自分自身を見失いそうになると、
「灰色の男」の世界にひきづりこまりそうになると、
きまって、妻は、
モモのように、私に話しかけます。
さいきん、お話をする時間が、ないね と。
もっとお話したいね と。
流行のレジャー施設に行きたいわけでもないの
人に自慢するために「話題の場所」にでかけたいわけでもないの
べつに、モノがほしいわけではないの
ただ、ゆっくりと家族だけの時間をすごしたいの
ただ、ゆっくりとお話がしたいの
と、いいます。
でも、つい私は
「生きていくためには忙しくても仕方ないんだ」
「仕事をしなければゆっくりする時間もとれないんだ」
「休んでいる暇なんてないんだ」
と、いいそうになります。
でも、口まででかかったその言葉を、ぐっとみ込んで、
「ほんとうにそうだろうか?」
「ほんとうにこれでいいのだろうか?」
と、
問い直します。
そして、
全ての仕事をキャンセルして、
パソコンの電源をおとして、
「そうだね、歩こうか」
と、答えるんです。
モモを読むと、
そんな私の気持ちが、わかってもらえるかも知れません。